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散歩の途中 12

秋鯵

 波止の先端が大崎さん夫婦の定位置である。
 軽自動車を妻のヨシエさんが運転し、今日も釣竿とクーラーボックスと折り畳みイスを積み込んでやって来た。
 夫の幸造さんは、助手席によいしょと乗り込むとまっすぐ前を見詰めたままだ。爽やかな秋の風が吹くようになってから夫婦はこの波止で釣り糸を垂れるのが日課となった。

 幸造さんは、猛暑の夏をほとんど寝転んで過ごした。脳梗塞で倒れ、半身が不自由になって2年。半年入院し、それから1年間リハビリに通ったが、左側の機能は思うように回復しなかった。
 印刷会社を経営し、毎週のようにゴルフに出掛け、接待と友だち付き合いで週2、3回は夜の町に繰り出した。55歳にしては腹も出ておらず、髪も少しシルバーが目立つもののゴルフ焼けの精悍な顔つきは3、4歳若く見えた。
 朝の営業会議で、専務の長男の報告を聞いて立ち上がろうとしたときに崩れるように倒れた。
 病気一つしたことがなく、この日も前日のゴルフのスコアを自慢していたほどだ。
 救急車で市民病院に運ばれ、5時間もの手術で何とか一命はとりとめた。集中治療室に1カ月いる間に常務のヨシエさんの一存で、会社の仕事を長男に譲ってしまった。
 「もうお父さんにはのんびりしてもらいます。仕事はあなたがしっかりとやりなさい」と引き継いだ。ヨシエさんは、幸造さんがそろそろ後を託して、のんびり旅行とゴルフを一緒にしようと話していたのを実行した。
 ICUでさまざまな管を体中に張り巡らされている幸造さんにヨシエさんが「もう仕事は専務に任せますよ」と呼び掛けると、幸造さんはまぶたを動かした。ヨシエさんは「そうせんと仕方ないわな」と読み取った。
 退院してからずっとリハビリセンターに通い、せめて歩行だけでも、と始めたが左足の一歩がなかなか踏み出せないでいた。
 6カ月後、リハビリに頑張る幸造さんが思うように動かぬ手足に苛立つようになった。手が動けばあたり構わずモノを投げつけるところだがそれもままならず、目に涙が滲んでいた。
 顔が広く、外づきあいが好きで家族は二の次だった幸造さんは閉じこもり、誰とも会おうとはしなかった。体が不自由なうえ、ヨシエさんにしか意思が伝わらないほど言葉も不明瞭なことが幸造さんにしてみれば歯痒くて仕方ない。こんな不様な姿をみんなにさらしたくない、幸造さんの気持ちがヨシエさんには痛いほど分かった。「父さんはスタイリストでええ格好しいじゃからね」といたわるように声を掛けた。

 家に閉じこもっていては、益々動けなくなりますよ、リハビリセンターの先生の指示でヨシエさんは幸造さんをドライブに誘った。
 「どこに行こうか」。地図を差し出すと幸造さんは不自由な手で決まって岬町あたりを示した。
 顔見知りのいない隣町をぐるりと巡るのがドライブコースになった。
この春のことだ。
 岬町は夫婦の住む町から、造船所のドック脇を抜けて、灯台のある先端から半島の裏側にあたる。波止のある小さな港に車を停め、ぼんやりと海を眺めるのが習慣になった。
 時には沖の島々の間に夕日が落ちるのを夫婦で見詰めていたことがある。
 猛暑の夏はさすがにドライブを控えたが、秋空に鰯雲が飛ぶようになって、幸造さんがしきりに地図を指さした。釣りなど一度もしたことがないのに、釣り竿で魚を引きあげる真似をする。
 春の終わりに、波止で中学生が釣りをしているのを見ていたのだ。幸造さんが積極的に出たがるのを喜んだヨシエさんは幸造さんの幼馴染みの「釣り伝」の大将に相談した。ヨシエさんも釣りなど一度も経験はない。
 「そうかい。幸ちゃんが釣りをねえ。ガキの頃は岬まで自転車で行ったものよ」と言いながら「任しとけ」と一式揃えてくれた。
 大将はヨシエさんに、この時期、岬の波止はサビキで鯵がいくらでも掛かる。この小さなカゴにオキアミを詰めて、竿を垂らせば、潮が良けりゃあ入れ喰い状態、と教えてくれた。釣るんじゃあなくて、カゴの餌に寄ってくる魚を引っ掛けるんじゃからわきゃあない、といとも簡単げにいった。
 初日から、釣果は上々だった。
 幸造さんは椅子に腰掛けたまま釣竿を握った。ヨシエさんは、大将が用意してくれたオキアミをカゴに掬いとると幸造さんに「いいよ」と目で合図した。
 海面に竿を垂らすと一分もしないうちにずしりと手応えがあった。白い腹をした銀鱗がはねた。幸造さんは左に竿を回転させて、側にいるヨシエさんの方に魚を釣りあげた。
 大将のいう秋鯵ではなくコノシロだった。
 ヨシエさんは引っ掛かった魚を外すと、またカゴにオキアミを掬い、幸造さんに合図した。幸造さんは釣り上げ、ヨシエさんは外す。繰り返してるうちに16尾になった。
 幸造さんは上機嫌で、すっかり釣りにはまってしまった。ヨシエさんはコノシロを外して、絡まった糸をほぐすのに少しくたびれた。
 上機嫌の幸造さんは、帰り道に「釣り伝」に寄れ、という。クーラーをヨシエさんに開けさせて大将に嬉しそうに見せた。
 大将は「おうおう。いきなりの外道(げどう)じゃのう」と目を丸くした。
秋の鯵を狙ってこれだけのコノシロ揚げるとはの「ご祝儀、ご祝儀」と目を丸くした。
「外道、ですか」
ヨシエさんが首を傾げて聞くと、大将は「このあたりじゃあコノシロは手間は掛かり傷みやすいんで嫌う。じゃが立派な江戸前の寿司ネタよ。酢締めにすりゃあ一番旨い」と幸造さんの肩をポンポンと叩いた。
 その日以来、一日おきの岬通いである。
 息子夫婦も印刷会社の社員もみんな夕方になると幸造さん夫婦の釣果を待っている。
 「コノシロよりは秋鯵やサヨリの方がええですのう。会長」と昼過ぎに出掛ける幸造さんに冗談口を叩く社員もいるほどだ。

 波止の夫婦はすっかり風景に溶け込んでいた。椅子に座った亭主が竿を握ったまま半回転すると、妻が魚を手際よく外し、クーラーに投げ込む。オキアミを掬うと同時に竿は再び海面に戻る。
 来る日も来る日もコノシロが主で時にサヨリが混じった。鯵はほんの数えるほどしかない。
 秋も深まり、じっと座っていると風が冷たく感じるようになった。そろそろ波止の釣りも終わりが近づいた。
 「父さん、今日でそろそろお終いにしましょうかね」というと幸造さんは寂しそうに頷いた。
 この日は、澄み切った秋空に筋雲が北に向けて何本も走っていた。いつものように腰を掛けた幸造さんが海を見詰めながら、ヨシエさんの仕掛けを待った。
 最初の竿を投げるといきなりグイと引きがあった。コノシロの手応えより、やや軽いが勢いがあった。サビキの仕掛けに2尾の鯵が跳ねていた。
 幸造さんがヨシエさんの顔を見て満面の笑みを飛ばした。餌を掬い、海に戻すとまたすぐさま鯵が掛かった。今度は3尾同時である。
 どうやら鯵の群れが入り江に入ってきたようだ。小一時間でクーラーがほぼいっぱいになった。
 ヨシエさんもすっかり興奮してしまった。
 椅子に腰掛けた幸造さんはいまに立ち上がらんばかりの勢いだった。
 岬から引き返す車中でも、幸造さんはヨシエさんに手応えを身振り手振りで伝えていた。
 ヨシエさんはハンドルを握りながら、うんうんと頷いた。
 帰りに「釣り伝」に寄れ、という。
 夫婦の車に気付いた大将が店前に出てきた。ヨシエさんがクーラーを開けると、見事な秋鯵が詰まっていた。大将が「幸ちゃん、やったのう」と肩を叩いた。
 幸造さんも嬉しそうに握った竿の感触を確かめるような仕草をした。
 「ゲ、ド、ウじゃないど」。幸造さんが目一杯の笑顔を弾かせて、大将に言い放った。
 大将も「おう立派なもんじゃ」とまた幸造さんの肩を叩いた。
 ヨシエさんが「5時すぎならまだ間に合うよ」と幸造さんを促した。
 会社の前庭で帰り支度の社員たちがいた。
 ヨシエさんがクーラーをどっこいしょと下ろした。皆がのぞき込むようにして蓋が開くのを待った。
 幸造さんが今度ははっきりした口調で「ゲドウじゃないど」と言った。
 ヨシエさんは、幸造さんの得意げな顔を久し振りに見たような気がした。

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