こさきたけし

KBARマスター。KBARは港町2丁目の埠頭の倉庫街の半地下にあります。マスターはひが…

こさきたけし

KBARマスター。KBARは港町2丁目の埠頭の倉庫街の半地下にあります。マスターはひがな軽い小説を読み 草野球を観戦し、いろんな路地裏を歩いています。うろついているのでなかなかつかまりませんが、このごろよくフードコートでみかけることがあります。声をかけてやってください。

マガジン

  • あとで読む

    あとで読む記事をマガジンに保存しておくことができます。不要であれば、マガジンの削除も可能です。

最近の記事

一期一絵 SAV 1972

 SAVで待ってます。アパートの扉に書きなぐったメモが挟みこんであった。それだけ。モリカゲさんは通りがかりにいつもこうだ。    会ったのは1970年の暮れごろ。三島由紀夫のあの事件があったから憶えている。モリカゲさんは小さな詩集を二冊ほど出していて知る人ぞ知る詩人だった。   哲学的な詩でよく分からなかった。もの静かでいつも考えごとをしていた気がする。面と向かって詩の話などしたことはない。  会うのは渋谷の道玄坂を登り、百軒店の坂道の途中にあったジャズ喫茶SAVだった。

    • 一期一絵 麦酒工場1976

       国電山手線の恵比寿駅のホームを出て品川方面に向かうと左側にビール工場が見えてくる。サッポロビールの文字が躍る。  この電車で学校に通ったので毎朝の車窓の見慣れた風景だった。コクのあるエビスビールはサッポロビールの銘柄のひとつで、恵比寿の地名にちなんでいたのかと思ったら、恵比寿麦酒が先で恵比寿の地名になったらしい。  恵比寿の駅は地下鉄日比谷線の駅と交差しており、頻繁に乗り降りしたが、さほど街を歩いた記憶はない。70年代は今のような若者が楽しむような場所ではなくどちらかという

      • 一期一絵 新宿場外1976

         新宿場外馬券売り場は新宿駅の南口を出る。今はバスタの裏手あたり。随分と小ぎれいな一角になった。あのころは薄汚くなにしろ場末感がハンパないエリアだった。  南口から甲州街道の石段を下りてから福盛屋などバラックの飲み屋、公衆便所のある角を右手に高架をくぐり抜ける。馬券はネット投票のない時代で、レース直前は殺気立ったオヤジたちが予想紙と千円札を握りしめ列を作る。  1976年12月。第21回有馬記念はトウショーボーイが追いすがるテンポイントを振りきりゴールした。競馬にのめり込ん

        • 一期一絵 工場裏 1975

           京王線の初台駅は新宿を出て最初の駅でこのあたりはまだ地下を走る。たしか三つ目の幡ケ谷あたりで地上に出たように思う。  この初台近くに住んでいた。もう半世紀も前のことで記憶も曖昧だ。いちばん最寄りの駅は小田急参宮橋だったが、悪い友だちが京王線沿いにポツポツいたのでこの線をよく利用した。  初台、幡ケ谷、笹塚と続くのだが、笹塚くらいまではふつうに歩いていた。  この「工場裏」は1975年とある。歩く途中にこの工場はあった。結構、マジメに絵に励んでいたころだ。  笹塚にある渋谷区

        一期一絵 SAV 1972

        マガジン

        • あとで読む
          1本

        記事

          散歩の途中 18

          キャッチャーやります 取り残された細長い土地はマーケットの壁越しで反対側は今はビジネスホテルになっている。  この土地はうちの祖父(じい)さんがやってた酒屋の空き瓶のケースを積み上げていた場所だ。祖父さんは五、六年前まで元気に商売をやっていたが、同じ通りに安売りの酒量販店が駐車場付きでオープンして客足がぱたりと止まり、古くからの馴染み客への配達だけで細々と生き延びていた。  老舗といってもたかが酒の小売店である。いまどき食っていけんわな。そんなわけで親父はあとを継がずサラリー

          散歩の途中 18

          散歩の途中 17

          紫陽花 「ただいま!」の声の様子で、弘子さんは娘のはるかちゃんの学校での出来事が手にとるように分かる。  玄関にランドセルを放り出すと、クラスであったこと、友だちの男の子と話したこと、先生に褒められたことを一気にしゃべってそれからおやつだ。  そんなはるかちゃんがランドセルを背負ったまま玄関に座り込んだ。「ただいま」の声のトーンがいつになく沈んでいた。玄関に出てみると、庭先に咲いた満開のアジサイをぼんやり見詰めていた。  そういえば今朝、出掛けに紫と薄青の大輪を花束にして登校

          散歩の途中 17

          散歩の途中 16

          空蝉 カラスの賢さを見せつけられたことがある。県北のT村があまりのカラス被害に業を煮やし、駆除許可を得て役場と猟友会が捕獲作戦に出た。捕獲といっても猟銃で撃つのであるが、猟友会員の赤い帽子を見るとカラスは一斉に隣の谷に移動するのである。  無線連絡で「あっちの谷に回ったど」と入る。猟友会が移動すると、上空からあざ笑うように元の集落に戻りごみ漁りや畑に舞いおりる。一日中、それを繰り返して結局は駆除をあきらめた。  司令塔のカラスが一羽いて、号令ひとつで群れはほどほどの距離をとり

          散歩の途中 16

          散歩の途中 15

          チャンポン ヘルパーさんと呼ばれているがタカシには何の資格もない。いわゆる世の中でいわれているプータローだ。高校中退、就労意欲なし、向上心なし、なにもなし。  免許はいちおう持っている。原付免許。ペーパー二回落ちてやっと受かった。唯一、自分を証明する紙といえばこれだけ。  「タカシくん、水曜日は付きおうてよ。いつものコース」。リネン交換のワゴンを押してエレベーター待ってると、ヤマザキさんが廊下の向こうから手を振りながら叫んだ。  「わかったァ」タカシはもう水曜か、とヤマザキさ

          散歩の途中 15

          散歩の途中 14

          ドクダミ ひんやりとした屋敷裏の陰地に群生するドクダミ。濃い緑の葉をつまんで嗅ぐと独特の臭気があるが、これを好む人と、嫌う人は極端に分かれる。このにおいがなぜか嫌いではない。むしろわざわざ摘んで確かめてみるほどだ。  このにおいを嗅ぐと決まって思い出す路地がある。子どものころの光景。N君は義足だった。小学校に入る前に、電車に轢かれたらしいのだが、詳しいことは知らない。N君は戦艦と戦闘機のプラモデルを集めていて、部屋いっぱい飾っていた。N君に誘われて部屋に行くと、大和と零戦くら

          散歩の途中 14

          散歩の途中 13

          砲丸 タクヤは早朝、砲丸の入ったバックを抱えてやってくる。ゆっくりとウオーミングアップをする。5㌔の鉄の球をぐりぐりとしごくようにして、右手で首とあごの間に挟み込んだ。  砲丸のひんやりとした冷たさが、掌の温もりでじんわりと熱を帯びてくる。体を動かしながら、準備する間のだるい感じが嫌いではない。  直径2・1メートルのサークルに入るまでの2、30分。まだ眠った体を投てきに持って行くまでのさまざまな動きをタクヤは一応決めている。芝に寝転んで、鉄の球を体のあちこちに転がしながら、

          散歩の途中 13

          散歩の途中 12

          秋鯵 波止の先端が大崎さん夫婦の定位置である。  軽自動車を妻のヨシエさんが運転し、今日も釣竿とクーラーボックスと折り畳みイスを積み込んでやって来た。  夫の幸造さんは、助手席によいしょと乗り込むとまっすぐ前を見詰めたままだ。爽やかな秋の風が吹くようになってから夫婦はこの波止で釣り糸を垂れるのが日課となった。  幸造さんは、猛暑の夏をほとんど寝転んで過ごした。脳梗塞で倒れ、半身が不自由になって2年。半年入院し、それから1年間リハビリに通ったが、左側の機能は思うように回復しな

          散歩の途中 12

          散歩の途中 11

          鯖 青魚のなかでも一番は鯖なのである。和泉さんが言うには、鯖の背にある青い縞模様がそのままの全身に浮かび上がるのだという。  鯖てんかん、なのだという。鯖アレルギー。青魚のうちでも、鯵でもサンマでも鰯でもなく鯖なのである。和泉さんはそれでも鯖が店頭に並ぶ梅雨ころになると決まって、鯖を注文し、背中から腹まで縞模様にして二晩ほどかゆい、かゆいといってのた打ち回り、仕事を休むのである。  そのころ、ボクは高円寺の駅近くの雑居ビルの一室で進学塾チェーンの通信添削のアルバイトをしていた

          散歩の途中 10

          エレベーターガール ツナ子さんのことは青葉のおかみさんから聞いた。へえーって思ったが、それが本当なのかどうかは知らない。 でも、ありそうな話ではある。  デパートのエレベーターに乗っていたツナ子さんがいきなり各階のボタンを押しながら姿勢を正して「いらっしゃいませ。ご利用の階をお知らせください」としなやかにやるらしい。  その話なら知っている、という常連客が何人かいた。トキワデパートのエレベーターに乗ると、おばあさんが勝手にエレベーター嬢をしているというのだ。  もちろ

          散歩の途中 10

          散歩の途中 9

          秋刀魚 「おい、おい。ちゃんときれいに食わんか。それじゃあ、あんまり魚がかわいそじゃ」  言うまい、言うまいと思ったのだがまた口をついて出てしまった。杉岡さんは、また反省しきりである。  N社の社員食堂は食品関連会社が一堂に集まった八階建てビルの最上階にある。杉岡さんは会社がまだ木造二階建ての水産加工会社時代から総務畑一筋に来て、この十一月の誕生日には定年退職である。  港を見下ろすしゃれた展望食堂は、入り口にその日のメニューが表示され、カウンターに並んだ一品をトレイに取り進

          散歩の途中 9

          散歩の途中 7

          金魚玉 「金魚あずかってくれないかしら」  勘定済ませてニュースの終いあたりのナイターの結果を見て腰を上げようとしていたらふみさんが金魚を目の前に差し出した。  何の変哲も無い赤一色の金魚2匹。ただ珍しいのは丸いガラスの玉に入って、ぶら下がるように紐が付いている。ガラスは手作りの感じで青い縁取りがしゃれている。  ふみは駅から桟橋のある港に行く途中にある小さな居酒屋である。ママさんの名前がふみ子だったのかふみえだったのか、結局知らないままだ。  なじみの客は「ふみさん」と呼ん

          散歩の途中 7

          散歩の途中 6

          サーファーの風 猛暑の8月といえども盆を過ぎると客足はガクンと落ちる。だだ広い浜に数えるほどの海水浴客になったのを見ながら、タケシは夏の終わりを感じている。  タケシの現場は山陰のK海水浴場。三百台収容の駐車場の八割が他県ナンバーでそのほとんどが瀬戸内海側から中国山地を越え高速道路を利用してやってくる。  Jドリンク飲料のボトルカーのアルバイト運転手のタケシはこの夏もこの浜の臨時売店を任された。7月20日から8月末までの40日間。広島近郊の自動販売機を巡るよりもこの浜の現場が

          散歩の途中 6