「熱々」信仰への反逆

つけ麺に目が無い。夏も冬も春も秋もつけ麺が好きだ。
するとラーメンが好きなマジョリティが眉をしかめて私に言う。

「せっかくのスープがぬるくなっちゃうよ」

その言葉を聞いた瞬間に私は尾を踏まれた猫のようにバン!と机から立ち上がりこう言うだろう。

「ぬるいから食ってんの!つけ麺を!」

ただの猫舌なのだ。
子猫ちゃんと同じ舌を持つ30歳の独身男性なのだ!

すると呆れたように散り散りに去っていくラーメン好き、もとい多数派の諸君に問いかけたい。

本当に熱々が正しいと思っているのか?

世の中大体「出来たて」や「炊きたて」を良きものとして崇めて金を払ってらっしゃる方が多いが、それが本当に良きものなのでしょうか。

熱い!と感じるということはすなわち生物的に危険を感じていることに他ならない。
炊きたてで熱をぎっしり溜め込んだ白米を食べたとき、誰でも過呼吸のチンパンジーのようにホフホフホフホフッ!となるにも関わらず、そこにある本能が指し示す「回避せよ」という生き延びるためのメッセージは無視して「良きかな良きかな」と恵比寿顔。
これを平和ボケと言わずしてなんと言おうか。
喝!
もし熱いものを逆に良しとする方を見た人は、その方の目を見て「死ぬ気ですか?」と止めてあげてください。
その人のことを本当に思っているのならば。

さらに美味しさという点でも疑問が生じる。
熱い!ということは味を感じる味蕾が火傷をしているはずなのだ。
気絶している器官に旨味を授けたところで砂浜に水を流す行為と等しく、「ある/ない」の判別は出来ようが繊細な味わいを理解できようが無いはずだ。
なので熱々を「うまい!」と言いながら食事している方を見た人は、その方の目を見て「馬鹿舌ですか?」と笑ってあげてください。
嫌われるかもしれませんが、頑張ってください。

と、このように熱々へのアンチテーゼを提出したところでアウフヘーベンを求めた私に多数派の方々は「そもそもお前が熱い!と感じるハードルが低いだけで普通の人はラーメンくらいは熱い!とは感じないんだよね」という脱構築。

私がつけ麺が好きな理由は私個人が極度の猫舌で、さらにはつけ麺は中盛り、大盛りまで無料でできるお店が多いというみみっちい理由も実は隠し持っていたためラーメン好きへのアンチテーゼにはなり得なかったのだった。

地方都市に住むにんげんです。 なにか思ったことなど、カタカタ書いておきます。