虚誕解脱 Part2(ニルヴァーナイニシアチブ Loop2)
この解説は、以下のAIソムニウムファイルシリーズのネタバレを含みます。
解説をご覧になる前にご自身でプレイすることをおすすめします。
AI:ソムニウムファイル ニルヴァーナ イニシアチブ
[追記]この記事は、マガジンの構成の都合上、Part4として公開したものをPart2に移したものになります。
バグ
今回は、主人公の1人――龍木について考えます。
龍木は過去時間の6年前、双子の弟を亡くしたことを切っ掛けに精神的に不安定な状態が続きます。
そのため、登場人物達からは、龍木が唐突におかしな言動を繰り返すのはその症状として受け取られていました。
しかし、我々フレイヤ―の視点からは、その状態の時に文字化けなどのバグが発生することがあることが分かります。
この現象はフレイヤ―による解脱ーーニルヴァーナ構想の第2段階に起因します。
フレイヤ―の視点は、チャクラの糸によって特殊な時系列――トゥルーフローチャートを経験します。
一方、ママに真相を語られるまでの間、フレイヤ―の認識はオリジナルフローチャートと同様です。
その間に龍木編とみずき編で矛盾するなど、龍木に憑依したフレイヤ―が因果関係の崩壊を認識した瞬間にバグが発生します。
[補足]QR動画だけ時系列とは関係ない例外です。
QR動画が虚構世界と現実世界両方で配信されることによる、虚構世界が作り物であるという認識の崩壊――胡蝶の夢が原因のようです。
以下、一覧になります。
(抜けがあったら報告していただければ助かります)
「2月10日 交差編0章 半死」のQR動画(前述)
「2月10日 みずき編0章 New Investigation」のダリア・ボート(フレイヤ―の意図的な介入)
「2月12日 龍木編2章 夢幻」のニルヴァーナトライアル(龍木編とみずき編で2度配信されたように見える)
「2月13日 龍木編3章R1 離苦」のQR動画(前述 ※最初の時と違ってバグのエフェクトなどは発生しない)
「2月14日 龍木編4章R1 雲散」の観覧車(時間のねじれで祥磨が消えたように見える)
「2月14日 龍木編4章R1 雲散」の病院(みずき編で過去時間の祥磨が入院しているが龍木編は無人)
「2月15日 龍木編5章R1 斯尽」のNAIX日本支部の時雨(過去時間の時雨が復活したように見える)
[補足]ニルヴァーナXでバグが発生しないのは、みずきが見ていないからです。
また、大聖堂のTC-PERGEが原因の幻覚ではバグが発生しません。
これらのバグのほとんどは、フレイヤ―の自我で完結し、登場人物に共有されることはありません。
ダリア・ボートですら、登場人物たちはなぜその名を龍木が知っているか疑問に思うものの、解脱には至りません。
しかし、これらの経験は着実に、バグを顕在化させる決め手――ニルナンバーの準備として、フレイヤ―の自覚を芽生えさせていきます。
オールマイティ
法螺鳥は、%の痣がある古衛を創造主――オールマイティとして崇めました。
しかし、古衛はHB事件の最初の犠牲者であり、オールマイティというには名前負けしています。
ところで、%教団の教えでは、創造主には%の聖痕以外に記憶喪失という特徴があるということでした。
これに該当する存在としてフレイヤーが挙げられます。
フレイヤーは、ニルヴァーナ構想を通じて自己を認識しますが、裏を返せばそれまでは何とも認識していなかったということです。
これはフレイヤーが龍木に宿った時に記憶を失ったからだとも捉えられます。
また、NAIXの教えもフレイヤーが設計者であると示しています。
設計者の想定を越えた時にバグが生まれる――AI2でバグが発生するのは、フレイヤーが因果関係の崩壊を認識した時です。
真相を知れば分かる通り、時系列の矛盾は客観的には何の問題もありません。
世界の想定はフレイヤ―の主観を基準にしているということになりますから、フレイヤ―が設計者であるということになります。
以上の点から、フレイヤーが%教団の言うところの創造主であり、NAIXの言うところの設計者であると考えられます。
なぜ痣を持つ古衛ではなく龍木に宿ったかは現段階では不明です。
龍木自身もしくは双子の弟にその理由があるのかもしれません。
テクスト論
ゲームのプレイヤーに近い立場であるフレイヤーが、創造主であるというのに違和感を持つ方がいらっしゃるかもしれません。
ゲームを作るのは開発者です。
プレイヤーがフレイヤーに相当するように、開発者に相当する存在がいるんじゃないかと考えてもおかしくはありません。
(また、今後フレイヤーがそういう側面を持つこともあるかもしれません)
ここでの創造主というのは、作品論ではなくテクスト論的な視点に基づいているように思います。
作品論とテクスト論の違いは、解釈の基準を作者におくか読者におくかです。
作品論の場合、作家が何を伝えたいかに主眼を置きます。
一方、テクスト論の場合、読者がどう読み取れるかに主眼を置きます。
テクストの世界が生まれるのは、読者が解釈した時です。
それと同じように、ゲームの世界が生まれるのはプレイヤーがプレイして観測した時――だからフレイヤーを創造主と呼んでいるのです。
[補足]textはラテン語の「織る」が語源です。
NAIXが世界を布に例えているのも、それを逸脱する存在をフレイヤーと呼んでいるのも、テクスト論が一因かもしれません。
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