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私とAxisバードスタジアムとは長いつきあいである

皆さんは鳥取市営サッカー場バードスタジアム、現在ネーミングライツの供与によって一般的にAxisバードスタジアムと呼ばれるスタジアムを訪れたことはありますか?

Axisバードスタジアム。

ファーストコンタクト

私がAxisバードスタジアム、いや、そのように名乗る前の鳥取市営サッカー場バードスタジアムと称していた時代に初めてここに来たのは、1995年のJリーグセカンドステージ。

田園風景の中にそびえるスタジアムの古い写真

当時はNICOSシリーズと言ってました(ちなみにファーストステージはサントリーシリーズと呼称)が、その最中にあったサンフレッチェ広島とベルマーレ平塚との試合に行ったのです。

この試合を見に行ったわけです。

ゴール裏でなく当時はベルマーレ寄りの指定席で見てました

前にどこかに書きましたが、昔は、今で言う山陰自動車道なんて洒落たものはなかったので、ひたすら下道を爆走します。特に最も問題だったのが、今は鳥取市の一部になりましたが、昔は独立した市町村だった青谷町から気高町にかけて。
その付近に、魚見台という難所がございます。

今でこそ、先程も言った山陰自動車道というのが青谷町や気高町の山側を爆走するわけですが、昔はこの辺りをちんたらちんたら走るわけです。
坂がとにかくキツい。昔はパルサーに乗ってましたが、それでもキツかったんですから。
冗談じゃないですよ。こんな場所、サッカーという目的がなかったら、あんまり走りたくありません。私はここを夜中に通ったりしたもんだから、今考えるとおっかねえことしてるな、と思います。
その後、この魚見台の急な坂道を回避するルートができたおかげで、ここは通らなくなりましたが、今考えてみると、若いから通れた、というわけで、今じゃ先ず無理だと思います。

後述しますが、この8年後には雪のシーズンにここを通りました。まあ、良くしたものでこの辺りには融雪パイプが埋め込んでありますから、その恩恵でそこまでの苦労はしなくて済みましたが。


これは今も変わらず。
正面玄関
この日はベルマーレ側のゴール裏だった辺り。
なお、ベルマーレはこの後もバードで何度か試合をしますが、
彼らがホーム側に行ったことは一度もありません。

ガイナーレと出会うまでのバード

その後、バードスタジアムには様々な機会を得て見に行くことになります。鳥取は遠いけど、あのスタジアムには、何と言うか興奮が詰まっている、と私は今でも思っています。

ここではいろんなチームや試合を見ました。

最も笑ったのはこれかもしれません。

私は京都パープルサンガより相手チームのあの人目当てでした。

ドラガン・ストイコヴィッチなんて、鳥取の片田舎にあるスタジアムで見られるなんて思わないじゃないですか。
しかしですね。このチケットにチラッと書いてありますよね。「駐車場はありません」って。実際には、千代川筋にある蔵田スポーツ広場が駐車場に充てられていた記憶があります。
でも、今みたいにおカネ払えばサブグラウンドに車を停められる、などと言うようなこともありません。
そして、驚くことに、こんなクッソ高い席に座ってるんですよ、私。まあ、今のガイナーレのシーズンチケットだって大差ありませんが。

そんな私がゴール裏詣でを初めてしたのは、このバードでのこちらの試合でした。

ゴール裏だもんな。だからこの価格。

ジェフ側のゴール裏にお邪魔して、試合がどういうわけかバカ試合だったせいもあり、何だか楽しく応援させていただきました。
この時のこともあって、ジェフユナイテッド市原・千葉は、わりと憎めないチームになっています。個人的にもここの応援の人たちはかなり好印象がありますね。


この他にも、いろんな試合に行きました。

2003年12月の天皇杯。清水エスパルスvs湘南ベルマーレ。これ、最初行くつもり皆無だったんですよ。浦和レッズが湘南ベルマーレに負けたりしなければ。

ところが、浦和レッズが負けてしまって。で、湘南ベルマーレが来る羽目になったわけです。
それで急に決めたのは良いんですが、天気が酷い。ドカ雪なんです。おかげで米子で雨宿りならぬ雪宿り休憩しましたもん。
雪の中を進軍するのは辛いので、立体駐車場で少し休んで、それから隙を見て再出発しました。
問題の魚見台は、融雪パイプがあったので、快適でした。でも、浜村ぐらいの平地に来たら、雪が来ました。蔵田ぐらいまで着いたら、もう疲れて仮眠しました。

起きても雪はアホみたいに積もってます。どうにか蔵田の川原からスタジアムまで歩いて行きましたよ。
ベルマーレ側の人たちはごく僅か。清水側は多少来てましたね。ベルマーレ側の人たちは、バスツアーが遅くなっちゃってました。
すると、キックオフがディレイになったとの報。13時キックオフが1時間ずれた、という記憶があります。
ちなみにこの試合、テレビ中継もあったようなんです(実際私は録画予約までして出ましたがパーになりました)が、こうなってしまっては仕方がないですね。

おまけに、ボールが黄色になりました。しかも、これが途中で破裂するというハプニングまであったよう。
ベルマーレ側のサポーターがようやくキックオフ15分後ぐらいにぞろぞろ現れ始めました。私はベルマーレのゴール裏でバモってました。

ベルマーレの応援に加担する方になったのは、この3年ほど前に松江であった天皇杯。そこでちょっと混ぜていただいたら、とても楽しかったです。

それ以後、2011年と2012年にガイナーレ鳥取と対戦した時を除いて、ベルマーレの応援はよくしています。

まあ、それは置いといて。

SC鳥取~ガイナーレ鳥取と共に

その後、SC鳥取~ガイナーレ鳥取が登場します。このチームに関わるようになってから、何度となく足を運んでいます。

スタジアムの案内看板(最初)
スタジアムの案内看板(とりスタ版)
スタジアムの案内看板(Axis版)

そういった事情もあってか、私にとっては通い慣れたるスタジアムになりました。行く方法は車での自走から列車などに代わりましたが。
このスタジアムにも長い歴史があり、その渦中でいろいろなものが変わった印象があります。

そんな変わったものの最たるものと言えば、スコアボードでしょうか。

最初はこんな感じでした。
ネーミングライツを鳥取銀行に認めたら、こんな感じになりました
やがて、こんな感じのボードになりました。
こういう表示もできますよ。
スコア表示はこんな感じ

思えば、2004年のHonda FC戦とか、見てるんですよ。400人も観客いませんでしたが、決勝点を目の前で見ました。

誰だよ、この人?

JFLの頃は、今でこそ湘南ベルマーレのスタジアムナビゲーターをやってますけど、時々福島ユナイテッドに期限付き移籍するわけのわからない三村ロンドなる御仁が中心になって、ガイナーレ鳥取のスタジアムナビゲーターをやっていました。
今でも湘南ベルマーレのホームゲームなどを別にしても、時々いろいろな番組等でお声を聞けるかもしれませんね。知らず知らずのうちにこの人の声を聞いていることもあり得ます。
今では奥さん共々、声を武器にして幅広くご活躍のようで、元気な姿もよく見かけて何よりです。
(注)これは、三村ロンドなる方によく似た別人ですので、決して混同なさらないようにお願いします。

この2010年のSAGAWA SHIGA FC戦では、1万人プロジェクトだか何だかやったんですよ。
こないだ、FC大阪が集客プロジェクトをやってましたが、ああいうのと概ね類似したようなものです。

実際、やってきたお客は1万人にわずかに及ばず。

2010年がこのような試合に代表される歓喜のシーズンだったとするなら、2013年は反対に暗澹たるシーズンでしたね。

まあ、こちらがつとに知られますが。

説明不要のあの試合。

この時の鳥取の選手で、現状での立場は別にして、今もピッチに立ってる選手って、誰がいますかね。
何人かの選手は、何となくイメージがつきますが、ひょっとしたら他にもいるかもしれませんね。

まあ、こういう試合を経て、今はJ3リーグにいますが、それでも応援には参じてしまうんですね。
もちろん、私も身体がこういうことになりましたので、今は応援活動の一戦からは足を洗って、写真を撮ったりしながらまったりスタジアムライフを楽しんでいます。

どんな時も、私と共にある、それがこのバードスタジアム。

決して近い場所にあるわけではないけれど、でも行く価値は常にあると思っている、それがこのAxisバードスタジアムです。
また、この先もこのスタジアムとのつきあいは続いていくだろうと思いますが、このスタジアムがある限り、私はそこで起きることにも何かしらの意味を見出したい。
私にとって、このAxisバードスタジアムというのは、そういう「意味を生み出してくれる」不思議な場所なのです。
もはや、ガイナーレ鳥取のホームスタジアムとしての意味どころか、それ以上の意味を、このスタジアムは作り出そうとしているように思います。
それがあるからこそ、この先も行ける限り、このスタジアムに足を運びたいものです。

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