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「頑張れ」という言葉と、自分の親父

その、一見すると脈絡がないように思われる事柄について、しばし駄文を書こうと思うので、おつきあい願いたい。

「頑張れ」という言葉が嫌い

唐突だが自分は「頑張れ」という言葉を、他人に言うのも、他人から言われるのも嫌いだったりする。なので、極力自分では他人に向けては使わないようにしている。

単なる自己満足による拘り、と言ってしまえばそれまでのことなのだが、最初に脳梗塞で倒れた頃からそれを意識するようになった。
いや、昔からそう思ってはいたが、最初の脳梗塞の時から強くそう思うようになった、というわけで。

この辺りにちょこっと書いている。

自分は若い頃から、他人からせっつかれるのがどうにも苦手な性分で、故に「頑張れ」という言葉から、一種の圧力みたいなものを感じてしまう。そういう強迫観念みたいなものがある、と言うべきかもしれない。
もちろん、そのように自分に言ってくれる人に悪意などないだろうし、別に自分を困らせる気もないんだろうから、それで文句を言うことはないのだが(ただ、一度それで母親と揉めたことはある)、どうもそういう「頑張れ」という言葉に過敏になってしまう自分がいる。気にしなければ良いんだろうけど。

そのように自分も言われるのは嫌いなので、自分の方からも他人に言わないように努めている。何かのきっかけで誰かを激励するような時にも、できるだけ「頑張れ」という言葉を使わないようにしているつもりだ。
でも、時折言ってしまうことはあるけど、それでもできるだけ言わないようにとは心掛けている。

自分のテーマ曲みたいなローリング・ストーンズの「Before they make me run」という曲でも歌われているように、「(他人から言われて)走らされる前に(自分の意思で)歩きたい」というわりと厄介な(我を張ってしまうような)性格の人間なので、そこら辺りは譲りたくない。

脳梗塞をした時は、症状によっては麻痺とかが生じる可能性があるので、必ずリハビリがセットでついてくる(だから最初の時も二度目の時もあった。もちろん今後の再発時だって予後が良ければあるだろう)ものだけど、自分はかわいげの無い患者だった(特に再発の時はそうだった)ので、自分の意思で(もちろん主治医や療法士などのプログラムに沿った上で)自分の状態を何とかしたいと思っていて、何もかもできるわけでもないのに、突っ張ってしまうことが往々にしてあった。何とかなると思い込んでしまうのだ。これは自分の悪い癖でもあるのだが、持って生まれた性分であるが故に、仕方のない部分でもあるように思う。

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事情を知らない他の人としては、別に悪意も何もなく、激励やお見舞いのつもりで「頑張れ」と口にするのだろうし、自分もそれに文句を言っても仕方がないので、大人しくスルーしていたが、一人になった時、あまりいい気はしなかった思い出がある。今更、その時それを口にした人をそんな風に責めてみてもしようがないので、それは黙って呑み込んでおくべきだ。

そういう身勝手な感情は、その言葉を言ってくれる人間でなく自分が処理すべき感情なのだから、他者にその感情の処理を押しつけてはいけない。それぐらいの自制心は自分にもあるつもりだ。もういい歳なんだから、それはないとダメだ。

そんな風に「頑張れ」と言われることは嫌だし、自分も言うことはできるだけ控えるようにしているのだが、それを他人が(自分に対してもだし、他の誰かに対してもだが)言うこと自体は止める気はないし、そんな権利も自分には全くない。表現や内心の自由に反する話だから、他者の持つそんな言葉を発する権利を制限する謂われがそもそもない。せいぜい「なるべく自分には言わないでね」と思うのが関の山で、相手に「頑張れとか俺に言うな!」などと口にすることはできない。

このように、若い頃から何となく「頑張れ」という言葉を言われるのを嫌だと思ってきたわけだが、その根源には、気ままな自分の性格というものが大きく寄与しているような気がする。

自分と何となくでも面識がある人は、何となくでもおわかりだろうと思うのだが、自分は結構わがまま気ままな性格を持っているような面がある。糸の切れた凧みたいなもの、とまでは言わないが、納得できる理由もなしに過剰に言動を縛られたり制限されるのが苦手だ。

えっ?そんなの誰だって苦手だろうって?

そりゃそうなのだけど、自分は特にそういうのがダメ。理不尽に、上から抑えつけられるのはもうダメ。但し、どんな理由であれ、その理由が自分でも納得できるなら、そういう言動への制約も甘受できる。あと、その場の決まり事とか、そういうのは守らないと秩序が保たれないなら、それには従う。自分だってそこまでわがままではない。そういうものだ。

ともあれ、安易に「頑張れ」とお題目みたいに言われるのが苦手だと言った方が最も適切なのかもしれない。そんなことを言われても、「自分は自分のペースで頑張るのだし、何もあなたに言われてそれをするわけではありませんよ」としか言えないのだ。
不器用と言うか、それこそ単なるわがままかもしれないが、自分はそういう自己中心的と言っても良いような人間なのだから、それはもうお察しいただいて、諦めていただく以外にないだろう。

親父のこと

自分は若い頃から、このように自己中心的な部分があるのだが、妙に規範意識みたいなものはあって、この辺は10年ぐらい前に他界した父親譲りなのかな、と思わなくもない。
うちの親父は、今思うと、本当に自分にとって大事な人物だったと思う。最近こんな風に振り返る余裕がやっと出てきた。

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2010年の7月に他界した(だからもうすぐ親父の命日がやってくる)うちの親父は、非常に単純に言えばとても真面目な人(そんな親父から自分みたいな人間が出来たこと自体が、ある種の奇跡みたいなもの)で、冗談が通じにくく融通の利かない面(これは自分にも継承されているという自覚がある)もあった。趣味には一徹な人(この側面も自分には継承されていると思う。自分がサッカーや音楽などを愛好する方法論は、親父の趣味だった盆栽いじりの傾倒の仕方に近いとさえ思う)という印象も強くあった。
あと、決まりはとにかく守ろう、という面も強かった。ただその一方、思ったことには自分を曲げない面も持っていたと思う。この両面はたぶん自分にもほぼ継承されていると思っている。他の人々はそう思わないかもしれないが、自分ではそう思っている。

自分もそんな親父と対立したことは、一度ならず何度もあるが、うちの母親がフランクな分、親父がおっかない印象があったので、表面的な対立程度で収まることの方が圧倒的に多く、そして大抵の場合は自分が折れた。
何たって怖い親父だもの。そういう親父の怖さは、他の人にはたぶん到底理解し得ないだろう。
ただ、怖い親父だったが、優しい親父でもあった。そんな二律背反みたいな人格をうちの親父からは感じた。

たぶん、自分が他人の親子関係を簡単に理解できないのと同じで、他の人たちもそんな自分たちの親子関係など単純には理解できないと思う。そんなこと、されるわけもないし、そもそもされてたまるか。

そんな親父だったが、白血病をやって入院生活をするようになってから、やたらと小さく見えるようになった。それがとても寂しく思えた。
病院に見舞いに行った時、何か話しかけても、力なく答える。その様子がとても悲しいものに思えてしまうことが何度もあった。自分が今、こんな風に気ままに生きていられるのも、あの親父のおかげなんだと思うと、それまでの不行跡が申し訳なく思えてしまった。

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親父が亡くなって10年程度経った上で改めて思うのだが、今現在のこういう状態、つまり脳梗塞を二度も罹病したのは、自分がもっと親父を大事にしなかった罰が当たってるんだな、と思えてならない。
自分は親不孝などら息子だ。以前、祖母の葬儀の際に、親父が誰かに息子たる自分を紹介した時に「不肖のどら息子」という言い回しを使って表現したことについて、何となくムカッとはしたが、今は親父がそう言いたくなった気持ちもよくわかるように思える。
確かに世の中の一般的な父親からしたら、こんな無責任でいい加減な人間など「不肖のどら息子」と言いたくもなるだろう。そんな風に育ってしまったのは、他ならぬ自分だし、その責任はほぼ自分自身にある。育てた親父が悪いのではない。ことに成人してからはそうだ。

親父にはどうしようもない迷惑をかけたことも多々ある。自分の恥をさらすようなものなので、他人には言ったことはないし、これからも言うつもりはないけれど、本当に親父にはいろいろな迷惑ばかりかけてしまった。今更それを思い知るとは、全く以て情けない。

自分には幸か不幸か子供がいないので、自分の子供にそんな思いをさせることはない(まあそれはそれで寂しいが、それはまた別のお話)のだが、たぶん自分は親父みたいに不器用だけど家族には優しいような人間にはなれなかったのかもしれないし、ならもうそれはそれで仕方がない。自分の運命なんだと思うしかない。

生前の親父は、自分にとっては確かに取っつきにくい人だったが、亡くしてみると、もっと大事にしておくべきだったと思うことが増えてきた。
「後悔先に立たず」「親孝行、したい時には親はなし」を地で行ってしまっているのだが、そのことを今更悔やんでも始まらない。

実際のところ、自分は今更親父に孝行することは不可能だし、する方法も知らない。そうやって考えると、自分は情けない人間なのだとつくづく痛感してしまう。
だからこそ、今の自分が自分らしく生きて、これから先の人生を全うしていくしか、あの親父に報いる方法はもはや残っていないのかもしれない。残る自分の寿命があと何年あるかは知らないが、自分が存命の間は精一杯自分の人生を生きていたい。自分の親父ができなかったであろう分まで、そうしていたい。おこがましいことかもしれないが、そういう思いを強くする。自分は自分で親父の代わりにはなれないし、なるつもりもない。
まして、親父が望んだようには育たなかったとも思う。全く期待外れにしか育たなかったとさえ感じる。たぶん、今の自分を親父が見たら、激怒するに違いない。本当に申し訳ないことだけど、それをいくら詫びても取り返しはつかない。

でもそれならいっそ、自分なりの人生の様式を貫いて、残った時間だけだが全うすることで、親父に報いてみよう、とは思う。それが自分なりの親父への供養なのだと信じて。他人からは違うと言われるだろうけど、自分がそう思っているのだから、誰にも文句を言わせてなるものか。

自分は残る人生をどう生きようか

と、いうことで、ダラダラいろいろと書いてきたことのまとめがこれか、という話だけれども、正直、8年前に初回を、4年前に二度目をやって、今は三度目の大きな脳梗塞の発症が最も怖い。

この前に入院した際にも、このブログエントリにチラッと書いたように、小さい脳梗塞は実を言えば見つかっていて、ただそれは大勢に影響があるほどでもなかった(影響があるほどの大きな症状だったら、今、ここでこういう駄文なんか書いていられないはずで、今でも入院中のはずだ)ので、とりあえず放免してもらっているが、正直、この先どうなるのかはわからない。

脳梗塞の原因となり得る糖尿病の症状に関して言えば、現時点ではほぼ収まっている。自分もよくよく注意しているので、糖尿病に関しては小康状態を保てているが、脳梗塞に関しては自分でも予測がつかない。だから、あと何年生きられるかなど、予想できるはずもない。

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こんなアホなおっさんが、あと何年、こんな情けない文章とかを晒しながら生きられるかなんて、わかりようもないけれど、先にも書いたように、自分なりに自分の人生を全うしていくしかないんじゃないかと思っている。
そりゃあ、他の人から見たら、器用でキレイな生き方はできないし、さぞかし不細工でバカなことしかできてない人生かもしれない。あまりの滑稽さ、しようもなさに、何してるんだ、と嗤われるだけなのかもしれない。それならそれでも構わない。

自分は自分だと開き直りつつ生きていくしかない。自分にはそれしかできないし、するつもりもない。ありのままに生きる以外の道はないと思う。繰り返すけど、自分は自分だ。それ以外に言い様がない。その生き方を誰にも邪魔をしてほしくない。
もちろん、あまり酷いようなら、忠告はされてもそれは仕方がない。聞くかもしれないし、聞かないかもしれない。それはわからないが、いずれにしろ自分らしくいたい。そのことだけは先程も書いたようにずっと思っている。

不器用なわがまま気ままなおっさんが、残り何年あるかは知らない人生の余分を、せめて自分の思うように生きたいと願うことは、考えようによっては身の程知らずの贅沢かもしれないが、それを叶えられた上で人生を終えることができるなら、それだけで十分だと思っている。自分の人生のケリは、そんな感じでついてくれれば良い。

基本的に他人様にどうこう、と偉そうに提示するような文章ではなく、「こいつ、馬鹿でぇ」と軽くお読みいただけるような文章を書き発表することを目指しております。それでもよろしければお願い致します。