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私はどんなサポーター?

私がサッカー愛好者(あるいはサッカーファン)だという話をすると……

要するにサポーターのことですよね?
サポーターとざっくり言いますが、それならあなたはどのようなサポーターですか?

強いて区分するならば、ガチサポですか?それともユルサポですか?


……こういう話に行き着くことが多いわけです。
で、実際にあなた自身について、このように訊かれた時、皆さんはどちらだと答えますか?


ガチサポ

応援に限らず、チームをとにかく強く愛するサポーター。


ユルサポ

チームを、程よく、できる範囲で愛するサポーター。


私はそれぞれを上記のように定義したいです。それだけを読むと、異論は多々あるだろうけれど、一応そういう前提でお読みいただくと幸いです。


さて、自分の現在の立脚点はどちら側なのか。


これは迷うことなく「ユルサポ」だとお答えしたい。別に応援行為に入れ込んだりするわけでもないですし、チームの勝敗を第一義に置かなくなったわけですから。
昔、強いて言えば今の病気をするよりも前に、応援行為主体でいた当時は、「ガチサポ」と呼んでいただいても差し支えなかったと思います。

しかし、時が移ろう間に大病をし、身体の状況に変化が生じました。それに伴い、今までのような応援ができなくなってくると、必然的に観戦者としての在り方を変えなければならなくなりました。

故にそうした観点からだと、私は「ユルサポ」と区分されるべきなのかもしれませんって話です。だってそりゃガッツリ応援とかできないんですから、必然的に「ユルサポ」方向にシフトするしかないですよ。
言わば必然性がそうさせた、と言うべきだと思います。身体の自由が制限されたら仕方がないんですよ。

正直言うと私はある時期から……、

どういった在り方にしても、支えたく思うならばサポーターはサポーターに変わりはないじゃねえか

……と思ってしまうんですが、サポーターのカースト分けというか、区分をしたい人がいるようなので、そういう前提の下に、こんなしようもない話をしているだけなのですよ。

結構以前からあちこちで言われてますが、サポーターなりのドレスコードってあるじゃないですか。

スタジアムに応援に来るなら、レプリカにしろオーセンにしろユニフォームを着てこい、さもなくばチームカラーの服をまとってこい、みたいな。

私はそんなもん、ハッキリ言ってどうでも良いと思ってましてね。応援したいヒトがどんな服で来ようが良いじゃねえか、と。
ユニ着てこいとか、せいぜいチームカラーのものをまとってこいって、それは一体感を醸し出したい、一部の応援するサポーター側のみの都合で、一見に近い立場の人たちからしたら、そんなものはどうでもいいことですよ。

私はガイナーレ鳥取の試合会場に、ガイナーレ鳥取のユニフォームで現れる割合が圧倒的に高いです。
しかし、別にそんなドレスコードがあるからやむなく従っているわけではなく、単に自分がガイナーレ鳥取の試合会場で彼らのユニフォーム等を着たいから着ているだけです。
他の人たちがどう思っているかは知りませんし、知る必要もないと思っています。私は着たいから着ているだけ。それでいいじゃないですか。他にこれという理由なんてありません。

単に自分がしたい格好をしているだけなのに、それに別の理由なんて要るでしょうか?

例えば、重要と位置づけるような試合で、チームカラーにスタジアムを染めたい、などという理由で、クラブが何らかのドレスコードに類するものを、当該チームを応援する観客や中立の観客らに求めてくる場合もあるでしょうね。
もちろんこの場合も観客に対して強制はできないので、あくまでも形としてはお願いに過ぎませんが、たまにそういうケースを見受けます。
鳥取でも何度かあったような気がしています。強制的なお願いをしたような記憶がないので、たぶん穏当にしたと思います。もう忘れました。

応援に際して、クラブあるいはサポーター団体が来場者に〇〇を強制する、みたいな話はあってはいけないと思います。どうしてもしたいなら、せいぜいお願いに止めるべきだとも。
クラブやリーグが定める観戦規定を守る、という大前提から逸れてさえいなければ、本来は服装なんて特に観客の自由であるべきです。

私は周囲で選手や審判などに罵声を飛ばすような連中が大嫌いですが、それはあくまで個人的な好悪の問題で、試合運営に著しく支障を来すものでないなら、それも原則的には自由なのです。
服装で応援したいとする心情まで損なわれたりしないでしょう。もし服装で損なわれるなら、たぶん服装以外のところに原因があるような気がします。

そのように、服装は拘ることはありません。

但し、いくら観戦規程で禁じられていないとしても、そういう罵声は得てしてノイズと受け取られることが多いので、クレームの対象になりやすいですから、ごくまれに口をついて出てしまうような場合を除いては、乱発は好ましくありません。

私は「野次」と「罵声」とは別物だと思っています。両者を同一視する人もいますが、私はあくまでも別物という認識です。

私の思う「野次」と「罵声」はこういうものです。異論もあるでしょうが、あくまでも私個人の認識、とお考えください。


野次

場の状況についてのユーモアの感じられる茶々入れ

罵声

対象への悪意が主体の文句や憂さ晴らしの言葉


この区分にも多々異論がありそうですが、私の考えとしてはとりあえずそんなところです。

私はこれらの中で、「野次」はまだ許せる。笑いにまぶせる分には「何言ってんだこいつ、しようがねえなあ」となりやすいですから。
これに対して「罵声」は好感が持てません。ゴール裏にいた頃、私も時折口にしたことはありますが、正直なところ、あまり気持ちの良いものではありませんでした。

スタジアムを離れた帰路の途中とかで、仲間内で感想戦をする分にはまだ良いのかもしれない。その頃になるとスタジアムでの興奮状態は冷めてきていて、幾分穏当にもなりますし。

スタジアムで試合の最中だと、どうしてもアドレナリンが分泌しますし、興奮状態にも容易になりやすいと思います。それ故に、ついつい罵声を飛ばしてもしまいます。
無論、それをイージーに容認してはいけません。自戒して律するようにしなければ。

私らは、もういい歳した大人なんですから、そういうことを自覚した上で応援なり何なりするべきだと思います。


あんたはもうゴール裏から離れた人間だからそういうことが言える


……確かにそうかもしれませんし、それを否定することもしません。確かにゴール裏の人間でなくなったから好き勝手言える部分もあります。


けどね、ずっとゴール裏にいたなら、試しに一度、ゴール裏から離れてごらんなさい。
あるいは、メインスタンドやバックスタンドにずっといたなら、一度ゴール裏に混じってみれば良いんですよ。

そうしたら、あなたなりに感じる双方の良いところ、良くないところが、朧気にでも見えてくるような気がしませんか?

私はどっちも否定はしません。それぞれに良いところもあるわけですから。そんな良いところを大きくできたら良いのにと考えているだけです。

まあ、こんな凡百の徒にできることなんて大したことじゃないんでしょうけどね。せいぜいこんなところでクダまくぐらいとか。その程度のことなんですよ。
それに結局、変えるのは自分たち自身しかいないんですから。


で、ユルサポにしろガチサポにしろ、どちらでも良いのですが、それぞれの在り方を認めた上で、良いと思うところをどんどん伸ばしていきたいですよね。そうなれば、スタジアムはより幸せな空間になるような気がします

基本的に他人様にどうこう、と偉そうに提示するような文章ではなく、「こいつ、馬鹿でぇ」と軽くお読みいただけるような文章を書き発表することを目指しております。それでもよろしければお願い致します。