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さようならは言わない

以下、原則的に一部を除き全て敬称略で行くことをご了承願いたく。

2020年11月28日夕方の段階で、先ずこれを見た。

はて、デッツォーラ島根ECの名前がないぞ、と。これを見て、自分は以前から薄々思っていたことが現実化するのではないか、と思ってしまった。

そうしたら、これを目にすることに・・・。

自分は再三言っていると思うが、デッツォーラ島根ECをFCセントラル中国と名乗っていた時代から応援し続けている立場に過ぎず、よってチームや運営法人などの内情は全く知り得ない立場だ。そんなものを自分如きが知っても、何も力添えなどできないからである。

だから、応援・観戦という手法で、このチームに接し続けてきた。

なるほど、このツイートの画像にもあるように、トップチームは確かに解散した。今後はU-12のチームとして、やっていくようだ。
だから、このチームにはさようならを言うべきではないと思っている。

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自分は以前から各所で申し上げているように、ガイナーレ鳥取を応援する立場であるが、同時にデッツォーラ島根ECもまた、応援する立場にある。

それについての様々なことは、折に触れて書いている。

最も近いところではこれの中の一編とか。

こともあろうに、この中に寄稿した自分の文章で「宇都宮徹壱さんに取材に行っていただきたい」みたいなことを書いてしまった。
そうしたらデッツォーラ島根EC(のトップチーム)が活動を止めてしまったのである。

ああいう形で引き合いに出してしまい、デッツォーラ島根ECというチームにも申し訳ないし、宇都宮さんにも申し訳ないと思う。自分の不明を恥じたい気分ではある。

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出会いは以前からも書いているように2004年のこと。天皇杯に出てきたので、観に行ったのが最初だ。

その時、そしてこれ以後、このチームに対する固定的なイメージとして自分の中にあり続けるのだけど、「何だか知らないけど、とにかく強そうなチームだ」と思った。
このチームが強い理由というのは、自分はサッカーの分析とかをするタイプでないのでわからないけれども、その「得体の知れなさ」が自分の興味を強く惹きつけることになった。
(写真は2005年の天皇杯島根県予選決勝より)

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繰り返すようだが、理屈ではない得体の知れない面が、このチームの魅力となったと言える。
そして自分は、このチームに惚れてしまうことになった。

このチームを追いかけて、試合を見たいと思うようになり、機会はないかといろいろ探っていると、美保関で試合をするらしいとわかり、わざわざ行った。
(以下の写真は2005年の県リーグの試合より)

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見ての通り芝ではない。こういうところで試合をした彼らは、強かった。そしてGKは明朗にチームを鼓舞するように声を出し続けていた。それもあって、このチームへの印象は更に良くなった。

やがて、サッカー人生のほぼ半分をこのチームに捧げた男、庄司孝を迎えることになる。
(写真は2007年の天皇杯島根県予選より)

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庄司は、ここに来るまでに柏レイソルやモンテディオ山形、大分トリニータなどというチームに籍を置いたことがあり、その後、プロフェソール宮崎という、恐らく界隈の人ぐらいしか覚えていないチームに籍を置いていたこともある。ここを経て、彼は2005年にFCセントラル中国に加入した。
最初はすぐに出てっちゃうのかなあ、と思ったが、彼はこのチームに居着いてしまった。

市立船橋高校の同期の中にあのペナルティのヒデがいるというのは後々わかるわけだが、そういう境遇だった彼が、流れ流れて辿り着いた先が、このチームだった。

FCセントラル中国は、この庄司以外にも、個性的で面白い選手を揃えるようになっていった。
島根県のサッカーに於いて、一つのエポックだった時代が確実にあった。

やがて、今の「デッツォーラ島根エスポルチクルービ(EC)」という名称になり、エンブレムなどが制定された。
(以下の写真は2013年頃にいただいたグッズの中のタオルマフラー)

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ちなみにこのデッツォーラ島根という名前だが、「デウス(Deus=神様の意。島根県が神々のふるさとと称されていることからの連想だろう)」+「オラ(O’la=やあ、という挨拶を表す語)」の組み合わせによる造語のようだ。
以上は、かつて開設されていた公式サイトに説明があったが、現在はないので、Wikipediaに記載されているに留まっている。

中国サッカーリーグには2006年から昇格し、そこで2位に躍進する。一時順位を落としたこともあったが、上位の常連として君臨するまでになる。
そして、2011年。天皇杯で、ジェフユナイテッド市原・千葉を相手にウノゼロの試合をして敗れるものの、強い印象を残した。

今でこそ松江シティのキャプテンをやっている田平謙は、この時はデッツォーラ島根ECの一員だったし、福山シティで活躍中の隅田航も同じく長年デッツォーラ島根ECを支えてきた選手の1人だ。
渥美高二などもこのチームに長く在籍した1人だし、林一章はチームに籍は置いていて、たまに呼び出されて試合に出ていた。この時もそうだったらしい。で、あの活躍だから、驚く。

このシーズン、デッツォーラ島根ECは中国リーグで初優勝を遂げた。我がことのように嬉しかった。

で、たぶん、中国リーグに上がった前後ぐらいの時期辺りで、自分はここの代表であり名物監督でもあった若三康弘さんに顔を覚えられているのではないか、と思うようになった。
いや、どう考えても確信的にそうだと思って話しかけてくる。こりゃアカンと思ったが、若三さんは好き放題書いてるこちらに怒るでもなく、フレンドリーに話してくる。
サッカーに関しちゃトーシローの門外漢みたいな自分相手でさえ、「どんどん厳しいこと書いてやってくれ」みたいなことを言う。

男が男に惚れるってああいうんだろうなあ、と今にして思えば感じるのだけど、若三さんのこういう人柄にすっかり惚れてしまって、親しくさせていただくことに。つっても、別に時々お宅に訪問したりとか、そういう仲ではない(そもそも若三邸を自分は場所も何も全く知らないし、知る必要もないと思っている)。

ともあれ、2011年に中国リーグ優勝し、この翌年も同じく優勝した。たぶんこの頃(2011年~2013年頃)がデッツォーラ島根ECの、様々な意味でのピークだったのだろうと思う。

2013年、石田学を監督に迎えたもののリーグ3連覇となる優勝の座を逃してしまっている。この前年に運営法人も設立しているが、実際にどういった活動をしていたかは自分は知らない。
若三さんはこの頃から「総監督」というポジションになっているようだ。だが、肩書きがどうあれ、若三さんは若三さんだ、と思っていた。
ただまあ、チームの変調についていろいろ想像できることはあるのだが、あくまでも憶測の範囲に過ぎず、それらをここで安易に披講することは憚られるので、ここには書かない。自分はこのチームに於いてはあくまでも内情を全く知らない部外者の一人でしかない。

それ以降も、中国リーグでは上位に食い込んでいたが、2004年以降長らく天皇杯の島根県代表を務めてきた(途中、2009年は浜田FCコスモス=現・ベルガロッソ浜田が、2012年は松江シティFCが県代表)が、2014年を最後に代表の座にも就けなくなってしまう。入れ替わるように、松江シティFCが強くなっていったからだ。
(以下4枚の写真は2014年天皇杯1回戦ヴェルスパ大分戦より)

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この試合は後に2020年のJFL覇者となったヴェルスパ大分に0-5で完敗しているが、この頃までは、まだ夢の見られるチームだったのかもしれない。

2015年頃から、徐々に退潮傾向が見られるようになったと思う。また、この辺りの頃から、若三さんがベンチ入りできなくなり(主原因はいちいちここに書かないので、各自で探してもらいたい)、チームには帯同してくるけれど、ベンチに入れない(どころか試合に関与できるエリアにすら入れない)ことが増えた。

それでも、デッツォーラ島根ECの試合を観に行けば、若三さんの姿ぐらいは見られたし、話もできたから、それで良いと思っていた。

自分はこの間、2012年春と2016年夏から秋にかけて脳梗塞でぶっ倒れてしまったが、2012年夏に全社予選に行った時には気さくに声も掛けていただいたし、2016年の時には全社の最中に電話してきてくださったこともある。
いろいろ迷惑もかけられたが、自分は全く気にしていない。むしろ、若三さんだから、まあ大目にみようか、ぐらいの感じでいた。

ただ、2017年に体調を崩したと聞いた時は大丈夫なのかと思った。
(写真は2017年7月のCSL・Yonago Genki SC戦より)

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この時の試合前に若三さんと少し会話をしたのが、若三さんとの最後のことだった。

その後、若三さんは、身罷ってしまわれた。その知らせを見た時、驚いたより何より、全身の力が抜けてしまう気がした。

そして、2017年12月28日に、若三さんを追悼する試合が行われた。世話人を務めたのは、デッツォーラ島根ECに在籍経験を持ち、今は福山シティFCの代表者としての方が通りが良い岡本氏。

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自分はこの試合を観に行っていない。病気は大丈夫だったが、ちょうど年内の仕事納めの日だったので、休めなかった。あと1日ずれていたら、打ち上げはともかく、試合ぐらいは冷やかせたかもしれない。
まあ、済んでしまったものは仕方がない。動画の様子を見る限りだと、きっと笑顔の溢れる楽しい試合だったし、若三さんも大満足だったに違いないと思っている。

だが、2018年。デッツォーラ島根ECは不調に喘ぐ。
(以下4枚の写真は2018年8月のCSL・松江シティFC戦より)

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松江シティFCがこの試合のために呼んだゲストのシンガーソング100円ライター・安来のおじ(関係ないが、自分はこの安来のおじと、一度共演させていただいたことがある)が、わざわざ(違うと思う)赤いシャツを着てきてくれたというのに、松江シティに良いように蹂躙されまくり、11点も失う始末だった。この時点でのチーム力の差をまざまざと見せつけられて、言葉もなかった。
この様子を見て、自分は「ここに若三さんがいたら激おこなんだろな」と思ったが、そんなことを言っても仕方がないので言わなかった。

こうした試合が多々あり、このシーズン最下位となったため、デッツォーラ島根ECは長らく居着いた中国リーグから島根県リーグへと降格した。

だが、2019年は島根県リーグで出直した。
(以下の写真は2019年5月の県リーグ・フォルツァ斐川戦より)

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さすがにこのカテゴリでは強かった。結局優勝し、県リーグ決勝大会にも駒を進め、そして勝ち上がれた。
(以下の写真は2019年7月の県リーグ・SC松江戦より)

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そして、この夏のSC松江戦が彼らの試合を見た最後の機会になってしまった。

今年、2020年は皆さんご存知の通り、COVID-19にまつわる問題があり、CSLのリーグ戦は全く開催されなかった。
その代替、というわけでもないが、地域CLに駒を進めるチームを決めるべく、CSLチャンピオンシップ(C-1)という大会が行われることになった。

しかし、この中にデッツォーラ島根ECの名前がなかった。彼らは不参加を決断した。
(ちなみに、デッツォーラ島根EC以外にも、NTN岡山とYonago Genki SCが参加を見合わせているので、不参加チームは全部で3チームになっている)

実はこの決断を目にした時から、自分はこのチームの将来について、あることを考え始めていた。それはつまり・・・

トップチームの解散か活動休止

・・・だった。

とはいえ、U-12チームを新たに取得した(実際、このチームのInstagramのアカウントをフォローさせていただいているが、特に変わったことはない)ので、ひょっとしたらそれは杞憂に終わるんじゃないかとさえ思っていた。

だが、現実には、冒頭に列挙した通りのことになった。

デッツォーラ島根ECにもCOVID-19等々にまつわる、のっぴきならない多くの事情が存在していたのだろうし、それらがチーム運営を圧迫してしまっていたのだろう。そうとしか思えない。

こういうことになってしまったことは残念だと思うし、いろいろと思うところはあるけれど、それを言っても、誰も幸せになどなれないし、だったら口にするべきではない。墓場にまで持っていくのがスジというものだ。

ともあれ、デッツォーラ島根ECは2020年のCSLを闘うことなく、シーズンを終えたばかりか、トップチームの解散という決断を下すに至った。そこに至るまでの苦悩を容易に推し量ることはできない。
若三さんが作り上げて、育て上げたチームが、他業種すらも苦境に立たせるような、自身ではどうしようもない事象が原因で活動を停止する方向に追い込まれたことは、何ともたまらない気持ちにさせられる。

だが、兎にも角にもそうした決断をされた。そのことは尊重するべきだ。長年、このチームを何らかの形で見てきた立場としては、そうするのが一番自然だと思う。誰も悪くない。強いて言えば、この世の中がこういうことになってしまったのが良くないだけだ。

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そろそろ、この文章もまとめる頃合いになりつつある。

楽しく、厳しく、いい加減に

何度となく言っているし、この言葉をタイトルに戴く文章すら書いたことがあるが、デッツォーラ島根ECのトップチームが解散しても、このチームの根底に流れるこの言葉と、この言葉が体現するであろうスピリットは、何があっても絶やしたくない。

だから、デッツォーラ島根ECのDNAが何処かに脈々と息づいているのなら、細々とで良いので、これからもこの言葉を実践し続けていただけないだろうか。

それが自分の願いだ。

少なくとも自分は、この言葉に忠実たらんとしながら生きようと思う。それでいいじゃねえか、と思いながら。自分がそのようにありたいから、なるべく他人様の迷惑にならないように、実践しようとしているだけだ。誰にも文句など言わせてなるものか。

それを愚かだと言いたければ言えば良い。でも、それを思う内心の自由ぐらいは認めてほしい。

駄文ついでにもう少し書かせていただくので、しばしおつきあい願えないだろうか。

デッツォーラ島根ECのトップチームは終焉を迎えることになったが、自分は彼らに「さようなら」は言わないでおく。
言ってしまったら、たぶん、もう二度とこのチームにまつわる夢は見られないような気がしてしまう。
このチームにまつわるものでないとしても、それに匹敵するようなワンダーを持つチームが登場する夢を見られない可能性だって有り得るような気がしてしまう。
それだけは、それだけは平にご勘弁願えないか。

しばしのお別れ

それで良いと思う。またいつか「(それこそ、このチームの命名の由来の一部にあるように)オラ!(やあ、ようこそ)」と声をかけられるなら、それが一番だと思うから。そんなカジュアルなチームであってほしい。

とりあえず、これまでの楽しかった思い出には「ありがとうございました」の言葉を捧げておきたい。でも「さようなら」だけは言わないでおく。またいつか、こんな「何だかわからないけど強くてワクワクするチーム」が自分の目の前に現れてくれる日のことを願いながら。
それ以上のことは望まないでおこう。

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最後に。

デッツォーラ島根エスポルチクルービのトップチームにまつわる皆さんからは、これまでたくさん驚かせてもらった。数多くの選手も見たし、いろんなプレーも見せていただいた。それらについての感謝の気持ちは止めどなくあふれてくるばかり。
在籍経験者もいろいろいたけれど、それぞれ楽しませてもらった。今活躍している選手たちは、この先も活躍してほしい。
特に庄司孝氏。あなたとは言葉を交わしたことは一度もなかったけど、そのプレーを見てるだけで楽しかった。
年齢を感じさせないところもたくさん見せてもらったし。この先どうするか知らないけれど、何をするにしても元気でいてほしい。それだけはお願いさせてほしい。
このチームを支えてきた若三ファミリーも、この先、いろいろあるかもだけど、何はともあれ人生を楽しんでもらえたら。

最後になったが、デッツォーラ島根エスポルチクルービのトップチーム。
今までたくさんのワンダーをありがとう!じゃあまたいつか!

基本的に他人様にどうこう、と偉そうに提示するような文章ではなく、「こいつ、馬鹿でぇ」と軽くお読みいただけるような文章を書き発表することを目指しております。それでもよろしければお願い致します。