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Celebration Day~サッカーが帰ってくる祝祭の日に向けて~

今回のCOVID-19を巡る一連の騒動は、まだ完全な終息を見てはおらず、現在に於いても世界的には猛威を振るい続けている。

我が国では、志村けん氏のような一部著名人を落命に至らしめるなどの悲しむべき被災事例はあったものの、世界的にあれだけ流行し、蔓延している状態であることを鑑みるに、比較的落ち着いた数で推移しているように見受けられる。
これは単純に国としての方策が結果として奏功したのだろうし、その方策を国民も冷静に受け止めた(そうでない国民もいたようだが、まあそれはそれでまた別の話。今回の主題ではない)からこそ、現状の数値に反映されているのかもしれない。
もちろん、従来の便利で自由闊達な生活に一刻も早く戻りたいと思うのが人情というもので、その心情は重々理解できるのだが、だからと言ってここで油断して従来の生活をすぐに取り戻せば、感染者が増加傾向に向いてしまうだろう。
日本に住まう人間としては、今しばらくは控えるべきを控えて、しかし、振る舞うべきを振る舞いながら、人それぞれの楽しみを発見しつつ暮らしていくしかないのかもしれない。その意味でのCelebration Days(祝祭の日々、とでも言うべきか。そういう日常)は、容易には戻ってこない、ということでもあると思う。

今回はCOVID-19と日本サッカーとのこれからを、レッド・ツェッペリンの様々な曲でパートごとにタイトリングしながら、与太話的に考えてみたい。

In my time of Dying

COVID-19のせいで、世界はまさにこのレッド・ツェッペリンが演奏するような「In my time of dying」という状況になってしまったわけだが、そういう状況がありつつも、我が国日本のように(いろいろな模索や努力を経た結果として)活気を取り戻しつつある国や地域もある。
もちろん、我が国日本に於いてもまったく楽観ができないが、それでも従来の生活を取り戻せる契機はつかみつつあるのかもしれない。

そんな中、世界ではサッカーなどが再び動き始めようとしている。一部のリーグでは無観客で試合が行われたようでもある。
現実問題として、そうせざるを得ないのだろうし、その判断を責めることは誰にもできない。

そうしたことができているのは、ごく僅かな国や地域ぐらいなもので、世界中の潮流にはなり得ていないようだが、それでも決して急を要するわけでもないイベントであるスポーツイベントが、たとえ無観客でも行われた意義は大きいと思う。関係各方面の努力には敬意を表する以外にない。

某国の某芸術方面が「スポーツは無観客『でも』できる」みたいな言い回しをして総スカンを食らってしまったようだが、観客を「必要不可欠且つ重要な舞台装置の一つ」として捉えた場合、そのような認識はあまりにもスポーツに対する理解が欠如したもの、と言うべきだろうし、結局はその芸術とて同様の「装置」を要するにもかかわらず、さもスポーツにはそれが要らないみたいな認識をするのは、あまりにも公明正大さに欠ける認識だと思えてならない。

芸術がそうであるように、スポーツもまた、身を削り、頭を使いながら行われるものであり、芸術だけが特別なものでは決してないのだ。そこは芸術方面にもご理解いただかないとなるまい。

We're gonna groove

そういう動きを踏まえて、日本のサッカーはどうやってCOVID-19型の生活様式に取り込んで行くべきなのだろう。

再開当初は無観客で試合を挙行するというのが現実的な選択だろう。それでしばらくやった後、徐々に制限をかけつつ客を入れていくようである。

その上で、よく言われる三密というものがある。

密集・密接・密閉

この三つの密を指す。

窓がなかったり換気ができない場所で何かを行うことを「密閉」、人がたくさん集まったり、少なく人数でも近接した距離で集まることを「密集」、お互いに手が届くような至近距離で会話・発声・運動等をすることを「密接」とそれぞれ定義するのだとすると、サッカー観戦の一般的な環境下では、密集と密接が大いに関係すると思われる。これを防止する、というのは、例えば入場人数を制限しただけでは難しいかもしれない。

コアゾーンに足を踏み入れてサッカーの応援に加担したことのある人ならわかると思うが、ああいう場所では下の写真にもあるように、密集や密接を求められる。そうすることで「一体感が醸成される」と考えられ、応援によりパワーがこもるという作用が期待できる故に、そういう呼びかけが為されると思う。

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チームによって人数の増減はあると思うが、こうしたエリアで人々が肩を寄せ合わんばかりの距離感で応援行為に前後半45分間ずつ(試合によってはこれにプラスして延長前後半15分ずつと、PK戦などが追加される)没頭するわけだ。
こういう状態で応援することは、やはり心情的にはとても盛り上がりやすいし、情勢が良い試合だと喜び合いやすくもなる。得点が入った時なんて、周囲の人たちと喜びを分かち合って、ハイタッチしたりとかね。

リーグとしても、レギュレーションを決めないといけないので、いろいろな紆余曲折があると思う。その辺はJリーグだって大変だろう。細々したことを議論しながら詰めていかなければならない。時間は少ない故に、いろいろな工夫が求められよう。
何より、COVID-19がこのまま終息するという保証はなく、今は小康状態だけど、この先どうなるかは誰にも予想できない。その上で、決められることはボチボチ決めていくしかない。

とりあえず応援関連だと、少なくとも無観客の間は旗・ダンマクは持ち込めないというのが現実的なのだろう。これには様々な意見もあったようだが、セーフティファーストの観点からそうなったのだろう。これは現実的にもう仕方がない。

同様にスタジアムグルメの問題も、どうにかしようとリーグやクラブとしていろいろと考えているようだ。現在進行中のこととして捉えたい。

大前提としては、リーグやクラブとしてもあれこれ頭を使って考えているわけだけど、応援する我々の側も、ただそれに乗っかる、だけではなく、できる準備はしっかりしておいた上で、一緒に協力し合いましょう、ということだと思う。

その上で、例えば2m程度とされるソーシャルディスタンスを保って応援・観戦しましょう、と提示されたら、そこは(言いたいことはあれども呑み込んだ上で)一先ず受け入れましょう、と。

リーグもクラブも、それが最適解かどうかはひとまず置いておくとして、頭を使って考えるべきを考えて準備をしてくださっている。それは尊重したいものだ。もちろん、改善点はどんどん提案していけば良いし、その意見が傾聴に値するものと考えられ、実際にそれで良くなるなら、観戦者はもちろんのこと、リーグにもクラブにも同じようにメリットになるのだから、提案していけば良いと思う。
そういう共同作業ができる関係が、今のJリーグやクラブと、応援者・観戦者たちとの間には醸成されていると考えている。

Your time is gonna come

とにかく、もうすぐJリーグが再開(J3は開幕)する

再開(開幕)当初しばらくは無観客だが、やがて人数を限って客を入れていき、ある程度進んだら制限を取っ払う(段階的に取っ払うのか、一括的に取っ払うのかは不明)というフェーズを践むようである。そんなロードマップでやっていくらしい。

開催の際は、恐らく当面は近隣チーム同士が当たるような配慮がなされ、時期を見て遠方のチームとの対戦があるのだろうと思う。15日の発表を見てみないとわからないが。

兎にも角にも、段階的にではあるが、こうやって進捗が見えてくることで、他のイベントの開催にも好影響が出て来ると良い。もちろん、屋内イベントと屋外イベントとでは準備すべきことがいろいろと異なるはずなので、一概に比較はできないけれど。

屋内外問わず、ソーシャルディスタンスが取りやすいイベント、取りにくいイベントの別はあると思うので、その辺りの見極めをしっかりとしていただきたい。

一方、サッカーと一口に言っても、日本にあるのはJリーグというプロリーグだけではない。JFL(日本フットボールリーグ)があり、なでしこリーグ(然るべき後にWEリーグへとなるのだが、それはそれ)があり、男女ともに地域リーグというものがあり、その下に都道府県リーグ、更に市域や地区別のリーグが存在する。
世代も、いわゆる1種とされるところから、2種とそれ以下、学生の各年代など、多岐にわたる。それらもこれからボチボチ、Jリーグの動向を見つつ決まっていくのだろう。

Jリーグはそうしたものの先陣を切る意味からも、またスタンダードになり得るべき意味からも、非常に重要な役割を担っていると思う。

ちなみに、こうした状況下で苦境に陥っているのはJクラブだけではない。Jクラブは、順当な経営に邁進していれば、保護が期待できるが、街クラブはそういうわけにいかない。頼るものがない。ないわけではない(実際、下記のようなものが設けられている)が、これを活用するのもなかなか難しいだろうと思う。もちろん、活用を検討している人やクラブは、要項を読んだり問い合わせをした上で、内容が合致するなら活用を検討してみるのも良いだろう。しかし、実際に活用までに至る例はそこまで多いかどうかはわからないと思う。

そこで、例えば福山シティFCなどは、クラウドファンディングという手法を使って苦境を乗り越えることにしている。

何らかの方法で足掻こうとしていて、その結果前進しようという意思が見られるのだから、この福山の事例は成功例となってほしいところ。もちろん、多くの人たちはおカネを他のことに回したいとも思うだろうし、全部が全部の人たちに「おカネ出して」というわけではない。
lこの福山シティの事例にしても、どこにしても同じことだが、強制ではない以上、出せる人が出せば良い。そういうものだ。
この福山シティの場合は、これまでを見ているとヴィジョンもしっかり持っているようだし、プレゼンテーションも誠実なのだろうから、今のところ、相当な金額が集まっているようだし、何とか成功してほしい。

Celebration Day

さて、先程来言っているように、もうすぐJリーグがリスタート(カテゴリによっては開幕)する。無事にリーグ戦やYBCルヴァンカップが挙行できることを切望したい。
それらがうまく行けば、検討すべき事項を洗い直して、Jリーグの今後の更なる円滑な運営に資することは可能だろうし、他のジャンルのスポーツにとっても、Jリーグの成功例や実践例の提示は、有益なこととなると思う。

そして、だからこそ言えることなのだが、試合を挙行し、運営する側に様々な準備や協力の呼びかけが必要なのと同じように、我々試合見て応援する側も、ともに試合を作る側として協力が不可欠だ。
サッカーの試合というイベントは、クラブやリーグのみが準備して行うものではないと思っている。観客もまた試合を作る重要なピースとしての「スタッフの一員」という位置づけで、できる協力をしていくと良いと思う。

例えば、クラブがソーシャルディスタンスの確保を求めるなら、それに応じたら良いし、応援の形もソーシャルディスタンス対応の形を模索していきたいところ。

いわゆる「Jリーグ水増し部」とかつて冗談めかして言われたこういう活動さえも、この際、視野に入れてみても良いのではないか。
ここではサウルコス福井(現・福井ユナイテッド)のケースを取り上げたけれど、他のチームでも大なり小なり似たような経験があるはずなので、そのノウハウを転用すれば良いかもしれない。
いろいろ障壁はあるかもしれないが、検討したり、実際にやってみる価値は少なからずあると思う。

スタジアムグルメに関しても、クラブを通じていろいろなアクションが行われているケースもあると思う。

例えば湘南ベルマーレのケースなどはこれだ。こういうアクションが出てくるのは良いことだと思うし、他にもいろいろとやっているクラブもあるだろうから、こういった面での広がりに期待したいところ。

全員で助け合って行けることは良いことだと思う。「サッカーファミリー」という語が空々しいものではなく、現実的に思えるこういったことは、ぜひ多様に広がってもらいたい。

Jリーグに限ったことではないが、サッカーの試合という行事を媒介にした、そこそこの規模のイベントは、それを運営する側と、お客として参加する側の双方の協力関係があってこそ成り立つものだと思うので、ぜひこの際に、そうした関係の再構築を目指せたら良いなと思う。

自分も、無観客試合でなく、しかも自分が観に行けようが行けまいが、そういう別なく、何とか盛り上げられるように、微力ながら自分のできる形で何かしてみたいなとそんなことを考えてもいたりする。
実際に何ができるかはわからないし、何もできないかもしれないが、足掻く手伝いぐらいはしてみたい。それだけだ。


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