見出し画像

デッツォーラ島根ECと若三康弘さんのこと

俺にとって、いくつか大好きなサッカーチームがあります。

前回ご紹介したガイナーレ鳥取やそのファミリーチームであるところのSC鳥取ドリームスは言うに及ばないのですが、今回ご紹介するデッツォーラ島根ECというチームも、俺にとってはとても重要なチームの一つです。

デッツォーラ島根エスポルチクルービ。つまり、デッツォーラ島根スポーツクラブとでも言いましょうか。ま、長いので普段はECと略しますけどね。ただ、最初からこのような長ったらしい名前ではありませんでした。

元々このチームはFCセントラル中国というチームでした。ヘッダーに載っけた広島訛りのおっさん(今回は敢えてそういう失礼な呼び方をお許し願いたく・・・)であるところの若三康弘さんが広島県で設立したチームでした。よってわりと最近まで、チームの本拠は広島県北部の北広島町(この度、島根県浜田市に正式に移るようです)にありました。

しかし、様々に事情があって、島根県で活動をすることになりまして。初めのうちは浜田市の方でリーグ戦に参加していて、やがて島根県リーグに上がり、中国リーグにも上がることになりました。

俺がデッツォーラ島根EC(当時はFCセントラル中国でしたが)を知ったのは、2004年のことでした。

この年、天皇杯の島根県代表に初めてなったセントラル中国は、静岡FC(現在の藤枝MYFCの流れにあるチームの一つ)をPK戦で下しています。この試合を観に行ったわけなのですが、それまで毎年のように島根県代表になっていた石見FCを破るとはどういうチームなのか、と単純に興味が湧きまして。で、松江まで行きましてね。

で、見たら「この人たちは何なんだ!」と。一発で惚れちまいましたね。面白いチームだと思いましたよ。で、こうなりゃ県リーグで見てみようってなりまして。

でも、島根県リーグって情報少なくて。だからいつどこで試合があるのかなかなかつかめませんでした。翌年、ようやく機会を見つけまして、行ったのが美保関というところ。今は松江市の一部ですが、この時は平成の合併をまだしていない時期のはずなので、独立した自治体でした。

その美保関の中学校か何処かのグラウンド(当然土です)で試合をしました。空いてるグラウンドがそこ以外になかったんでしょうね・・・。
しかも、折から雨が降ってまして。よって、傘を差しつつ写真を撮る、というアホみたいな真似をしまして。この頃使ってたのは初代のオリンパスのデジカメなんですが、よく壊れなかったな、と。

画像1

ただ、サッカーそのものはすっげえ面白かったですよ。当時セントラル中国にはブラジル人選手が何人かいました。この連中が飛び抜けて上手いってわけでもありませんが、そいつらが何かやりそうな感じなんですよ。

そして、俺が見に行き始めた頃には、元Jリーガーが加入してまして。庄司孝という男なんですが、彼が何を思ったか、島根の片田舎に突如やってきたわけですよ。

画像2

当時、庄司のことは実を言うと「ああ、元Jリーガーなのね」ぐらいにしか思っていなくて。でも、その彼が今では島根に根を下ろしてるんですから、人生何が起きるかわかりません。彼、今選手兼監督ですからね。
まあ、当時はそんなことになるなどとは思ってもいなかったわけですが。なお、俺はそんな庄司とろくに話をしたことがありません。

この年(2005年)の天皇杯は観に行ってません(次の写真のように島根県大会の決勝は見ています)。鳥取を優先したので、観に行けなかったのです。

画像3

しばらく天皇杯の本大会でセントラル中国やデッツォーラ島根を見ることはありませんでした。でも、県リーグとかはたまに見てましたし、中国リーグに2006年から昇格しましたが、それ以降も時折観戦に出向きました。
彼らはある時期までは出雲や松江でも試合をしてくれたので、行きやすかった、というのもあります。

そして、中国リーグに上がってボツボツ試合を観に行きだして、しばらく経過した頃から、俺はどうも若三さんに顔を覚えられてるのではないか、と思うようになりました。明らかに確信した上でブログのこととか話してくるんですよ。「(+。+)アチャー」ですわな。

でも、別に好き勝手なことばっか書いてる俺に対して怒ってる風でもなくて、むしろ鷹揚に構えてるんですよ、あの人。それどころか「どんどん厳しいこと書いてやってくれ」みたいなこと言うんですよ。
いやあ、これには正直たまげましたし、こんな懐の深いお人は初めて見ました。もうね、これであの人には参っちまいましたよ。

大して試合を観に行くわけでもなければ、途中でヴォラドール松江(現・松江シティFC)に浮気したりした俺に、だけど試合会場とかで会うとにこやかに「KAZZちゃん、KAZZちゃん」と呼びかけてくるんですよ。あるいは俺のTwitterアカウント(noteのそれと同じにしてあります)で呼びかけてみたり。

いつしか、試合後に若三さんと雑談するのが習慣みたいになりましてね。しょうもない話ですよ。ここでは敢えて内容は言いませんが(そもそもチラシの裏に書いとくような話しかしてませんし)、バカ話をするようになりましてね。

俺が初めての脳梗塞で倒れてそこから復帰してサッカーを観に行きだした頃、若三さんと会う機会がありましたが、いろいろ心配してくださいましてね。俺もあの人の情には本当に感謝する以外なかった。

中国リーグを連覇した頃は、このチーム、どんだけ強くなるのかなって心底思ってましたよ。あの頃が一種の絶頂期だったんでしょうねえ。
例えば松江シティFC相手に8-0なんて試合をしたりしましたしね。7年後に0-11というスコアを喰らうまでになりましたが・・・。

若三さんは気さくないい人なんですが、何しろ熱くなっちゃう方で、それが時折悪い方に出てしまうことがありました。ベンチ入り停止、みたいな処分を喰らっていますしね。
ただ、2015年に決定的な処分を喰らってしまい、二度とベンチ入りできなくなってしまいました。熱くなると歯止めが利かなくなっちゃうんですなあ・・・あの人は。
でも、そこも含めて愛すべき人なんだろうなって思うわけです。そりゃあの人の醜態だって見たことありますよ。ベンチ入りできないので、とりあえずスタンドで観戦していたら、あの人、好きな酒かっ喰らってデカい声で喚いてて。そんなことがあってからスタンド観戦さえもできなくなったんじゃないかと・・・。ただ、それに関しては、俺、厳しいことを言ったつもりですし、その行為自体はやはり許されるもんじゃないと思うのです。

でも、そういうことを除いたら、あの人、普通にいい人なんですよ。ラテン気質な部分は確かにありますけど、あの人はそれを別にしても愛すべき人だった。今でもそう思ってます。

あの人、酒飲んでると、歯止めが利きにくくなっちゃう人だって、よくわかる事態に何度か遭遇したことはあります。電話で。
あの人、時々、酔って電話してきたことがあるんですよ。確かにあの人にケータイの番号を教えましたよ。でも、まさか用事もないのにホントにかけてくるなんて思わないじゃないですか。
ところが、あの人、本気で電話かけてきた。一度は、俺がSC鳥取ドリームスの試合を観に行った帰りだったと思います。安来の駅付近に到達した頃、電話が鳴って。誰かと思って車を停めて出てみると、若三さんでしたよ。
あの人、俺が移動中だからって言ってても聞いてくれないんですよ(笑)。傍迷惑なおっさんだと思いましたよ(笑)。結局、1時間近く、その場で停車して話し込む羽目になりました。俺はもうとっとと家に帰りたいのに、あの人、全然聞いてくんないんですもん(笑)。
二度目は2016年の元日。天皇杯の決勝戦を見ようと思ってスタンバってると、思いっ切り酔っ払ったあのおっさんから電話がかかってきましてね。
もう「勘弁してくれ」と思いましたよ(笑)。結局、天皇杯の決勝戦を見ながら電話し続けることになったんですが、何しろあのおっさん、酔ってるもんだから、時々電話を切っちゃうんですよ(笑)。俺も正直に待っちゃうからどうかしてるんですがね(笑)。
結局、決勝戦の間中、ずっと電話しっぱなしでしたよ。あの人、あの時は相当に電話代かかったんじゃないですか?(笑)、いや、俺が払うわけじゃないから知りませんが(笑)。
おかげで、決勝戦の浦和レッズ-ガンバ大阪の印象がほぼありません。

まあ、でもあの頃はまだ俺もまともに会話できていた。2度目の脳梗塞の前でしたしね。

その後、俺は2016年8月に2度目の脳梗塞でぶっ倒れまして。ただ、その時に、リハビリテーション病院に入院してた頃、若三さん、突如電話をしてきてくださって。確か、全社に出場してた最中だったと思います。
忙しかったろうに、わざわざ時間を作って電話してきてくださって。あの時は本当に嬉しかったです。
ガイナーレやドリームスのことも見たいけど、デッツォーラのこともまた見たいと思って、そうしたら、また若三さんに会えるさって思いまして。それを張りにしてなんとかリハビリしましてね。

俺は2017年に辛うじて復活しました。でも、その年の7月、米子の弓浜コミュニティ広場で再会した若三さんを見てビックリするやら。
あの人が今度は入院してるらしいと聞いたので。詳しい病気の内容とかは知らなかったし、俺もいちいち詮索するのは嫌いなので聞かなかったんですが、あの時、車の中でちょこっと話をしたのが最後になるなんて、その時は夢にも思いませんでした。

2017年秋。若三康弘さんは、遠くに旅立ってしまわれました・・・。

その年の12月28日、追悼試合がサンビレッジ浜田で行われたそうです。

伝聞形で書いてるのは、俺がその試合を観に行っていないから。何としてもあの試合には参加したかった・・・。
ただ、俺は前年脳梗塞の療養などで長期の休みを取ってしまったんで、有給休暇の取得がほぼできない状態にありまして・・・。1日後ろにずれていたら、参加できたのに・・・と残念至極な気持ちでしたが、こればかりは仕方がありません。

でも、あんなにたくさんお世話になった若三さんとお別れできなかった、そのことが悔やまれてなりません。
あの追悼試合のダイジェスト動画を見る度に、「若三さん、あっちから苦笑しながら見てるんだろうなあ」って想像してました。

今年(2018年)、デッツォーラ島根の試合はわずか1試合しか見られませんでした。本当は7月ぐらいに行く予定があったのですが、その時、台風が来てしまって試合ができませんでした。
結局、8月の松江シティ戦まで延び延びになるんですが、そこで見たものはというと、0-11で惨敗する様子でした。
若三さんが生きててあの試合を見たら、恐らく激怒しちゃうんだろうなって、そう思って見てました。確かに松江シティは強かったですよ。でも、それ以上にデッツォーラ島根ECが弱すぎたし、無策すぎました。

2018年シーズンのデッツォーラ島根ECは、この試合に例を取るまでもなく惨憺たる成績で、テールエンダーを脱却するに至らず、2019年シーズンは島根県リーグ1部に降格してしまいました。
あるいは、このままチームもフェイドアウトするのかなって、実は覚悟もしていたのですが、しかし、先日、2019年は島根県1部から出直す旨の声明をTwitterやFacebookで見たので、やってくれるのでしょう。
俺も出雲や松江での試合には極力行きたい旨を申し上げておきました。

若三さんはもういません。あの人の思い出に浸って停滞したまんまっていうのも、たぶん若三さんは喜ばないと思うんですよ。
来季に向けた選手集めのために、合同セレクション(今年はおこしやす京都acが主催すると聞いてます)に参加するそうで。どんな選手たちが来るでしょう。

来季の戦いの場となる島根県リーグ1部は強豪が多くなりました。デッツォーラ島根も簡単にはリーグ優勝できないかもしれません。ただ、だからってくじけてもらっても困っちゃうのでありまして。
今年が「若三ロス」のシーズンだったとしたら、来季はその「ロス」から抜け出すシーズンだと思います。
また、今季47歳になった庄司が来季も現役選手でいるかどうかはわかりません。たぶん、もう90分間プレーし続けるのはほぼ絶望的かもしれませんし、状況が許せば監督専任になっちゃうかもしれませんよね。でも、ほんのちょっとだけでも、庄司をプレーヤーとして見てみたい気はします。

若三さんには面倒もかけられたけど、たくさん楽しませてももらえたし、とても恩義を感じています。
俺には悲しいことにきょうだいがいないので、若三さんのことは勝手に俺の兄貴だと思っています。もちろん、彼に全面的に賛同はしないし、ダメなところもあるって思うんですけど、そういうところも含めての若三康弘って人に、俺は強い憧れだとか魅力を覚えてるわけでして。

試合会場で、試合がとっくに済んだ後、缶ビール片手にほろ酔い加減で出てきて「KAZZちゃん、KAZZちゃん」ってひょっこり出てきて呼びかけてくんねえかな・・・なんてバカなことを思ったりもします。
でももう、それは一生叶わない夢。その代わり、そういう若三さんがまたどこからか現れるかも・・・って期待するぐらいのことは、してもいいんじゃないでしょうか。俺もいい加減、若三さんがいないって現実を真っ向から受け入れなきゃいけないな・・・「若三ロス」から抜け出さなきゃいけないなって、そう思うんですよ。


若三康弘さん。最後になりましたが、俺のお願いを一つだけ聞いてください。

あなたが遺したデッツォーラ島根エスポルチクルービというチームに、もう少しだけ夢を見させてくださいよ。それ以上の贅沢は何も言いません。10年以上、あなたのチームを何らかの形で見せていただいてきたこと、心の底から感謝します。だから、もう少しだけ・・・。

とりあえず、2019年は試合観に行かなきゃ!

(2019.1.3 少し写真や文章を追加しました)

基本的に他人様にどうこう、と偉そうに提示するような文章ではなく、「こいつ、馬鹿でぇ」と軽くお読みいただけるような文章を書き発表することを目指しております。それでもよろしければお願い致します。