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問題解決あるあるコラム#13:ちゃんとやるって意外と難しい

こんにちは。いちおか@問題解決サポーターKAIOS代表です。

問題解決あるあるコラム第13回のテーマは、「ちゃんとやるって意外と難しい」です。いきなりですが、質問です。「ちゃんと」って何なんでしょう? 「ちゃんと」って? 皆さん、考えたことありますか? これ、結構深い言葉です。


やるのは簡単、「ちゃんと」やるのは大変

前回の続きという訳ではないですが、「あれやれ、これやれ」と言われて「やる」のは比較的簡単です。「やれ」ばいいのです、そう、行動に移せばいいだけです。でも、「ちゃんとやる」のは別物です。この「ちゃんと」が、「やる」の前に付くだけで、意味合いが全く変わります。「ちゃんと」していることを、相手や周りに理解・納得してもらうためには、どんな条件が揃っている必要があるでしょうか?

「ちゃんと」を証明するのは大変

例えば、「ちゃんと作業しました」ということを示すには、「決められた作業手順通りに作業を実施・完了し、その結果でき上がった「もの」や「こと」が、決められた基準を満足し、意図した通りに使用可能であること、が証明できる状態」が担保できて、初めて「ちゃんと作業しました」といえます。さらに、その作業にあたった人は「決められた教育課程をこなし、作業員としての力量を保持・維持できていることを、その組織に認められた認定作業員である」ことが証明されなければなりません。そして、その認定をするための教育基準や手順の適切性が確認され……と、「ちゃんと」していることを証明するには、さまざまなことが整えられ、適切に運用されていなければなりません。

「ちゃんと」は「説明責任」の代名詞

このように、「ちゃんと」やっていることを証明するには、「計画」と実際の行動に基づいた「事実」によって説明され、相手を「納得」させる必要があります。そう、「説明責任」を果たすことが求められるのです。「やったのか?」という質問に対し、「やったよ」と答えるのは簡単です。「やった」は、「Doした」「開始した」だけでそう言うことができますが、「ちゃんとやった」には、それ以上の結果が求められます。なので、相手からの質問に対して追及を逃れたい時に、「ちゃんとやった」と言って、「完了させたこと」を伝えろことで、追求から逃れようとしても、「量的・時系列的」完了だけでは許されません。それらに加えて、「質的満足度」が求められるのです。「ちゃんと」は意外と重い言葉なんです。

「ちゃんと」は「品質道」の真髄?

前回のコラムで「品質規格は我々の心を試している」とお伝えしましたが、この「ちゃんと」は、当にその「心と行動」を表していると言ってもいいかもしれません。「ちゃんと」とは、品質の「心・技・体」を追求する、「品質道」をひと言で表わした言葉とも言えます。「柔道」や「剣道」はたまた「茶道」のように、「道」と名の付くさまざまな活動は、「礼儀・規律・習熟」が求められ、その取り組みに終わりはありません。当に「品質」そのものです。そう思うと、「品質規格を理解し身につける」ということは、「一朝一夕には達成できず、地道な鍛錬のくり返しが必要なのだ」ということが、この「ちゃんと」という言葉を使うと、すんなりと理解できるような気がします。

「品質道」を極める

「品質道」を極めるためには、たゆまぬ努力が必要そうです。でも、その先には何か重要な「真理」が待っているような気もします。果たしてそれが何なのか? それは、なまけず取り組み続けることでしか知り得ないことです。でも、他の「道」と違って「品質道」は、誰でも、いつからでも、どんな形ででも、始めようと思えば直ぐに始められる、間口の広い「道」なのかもしれません。

まとめ

話がとんでもない所まで発展してしまいました。「ちゃんとやる」って、言葉で言うのは簡単だけど、「ちゃんとやってる」ことを証明するのは、意外と難しそうです。でも、「ちゃんと」を合言葉にして活動に取り組めば、ひとりひとりが「『ちゃんと』ってどういうことだ?」と考え、自分たちなりの答えを導き出せるかもしれません。終わりのない「品質」だからこそ、自分たちで達成レベルを決め、それを実現し、実現したらまた次のレベルを決めて、それを達成するために取り組みを進める。「ちゃんと」は、そんなきっかけを与えてくれる言葉なのかもしれません。皆さんも、「ちゃんと」やれてますか? 

今回も最後までお読み頂きありがとうございました。
次回のテーマは「WantsとNeeds」です。
次回もお楽しみに! 

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