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問題解決あるあるコラム#12:品質規格〜我々の心は試されている?

こんにちは。いちおか@問題解決サポーターKAIOS代表です。

問題解決あるあるコラム第12回のテーマは、「品質規格~我々の心は試されている?」です。「品質規格」って嫌われ者ですよね。「製品規格=Spec」なら、みんなそれを満たそうとするのに、「品質規格」になると、なんで嫌がるのでしょう? 考えた事ありますか?


品質規格には嫌われる要素が詰まってる

世の中にさまざまな規格が数あれど、ここまで大勢に嫌われている規格は、品質規格の他にないのではないでしょうか? それは何故でしょうか? その理由のひとつは「答えがよくわからない」こと、そしてもうひとつは「行動を縛られる」こと、にあると僕は思います。我々人間がそもそも嫌う、二つの要素がバッチリ含まれているからなんですね。最初の「答えがよくわからない」ですが、品質以外の規格もの、例えば「会計」「労務」「安全」などのマネジメントシステム系のものにも、品質と同じく「要求事項」があり、「監査」もあります。が、最も大きな違いは、それが「法的要求」である、ということです。つまり、「明確な基準がある」訳で、「ここまで満たしていれば良い」というはっきりとした境界があります。なので、却って取り組みやすいのですね。

品質規格は顧客要求

一方で、「品質」は「顧客要求」であり、法的拘束力はありません。「ここまでできていれば良い」という閾(しきい)値もないので、逆に、どこまでやれば良いのか判断がつきません。「品質に終わりなし」なんて言葉もある通り、いつまでやっても終われないのです。そして、顧客はいつだって「Demanding」です。「尽きない要求」「終われないもどかしさ」が、ずっと続きます。こんな背景から、前回の「お客さんがいいって言った」というフレーズを使いたくなってしまうのかもしれませんね。「終わらせたい」という欲求が、我々にそう言わせているのかもしれません。

終わらないゴールの為に行動を縛られるのはイヤ

そして、この「品質要求」を満足するためには、自らの行動を律し、継続しなければなりません。ふたつ目の嫌いな要素、「行動を縛られる」のです。「あれをしなければならない、これをしなければならない」だらけです。我々は、ただ「あれをやれ、これをやれ」と指示される以上に、「しなければならない」という「義務的行動指示」が最も嫌なのです。指示だけなら、黙って従がおうともしますが、この「義務的行動指示」は、「必ずやらなければならない」という責任が生じるため、生理的に逃げ出したくなってしまうのです。まぁ、そりゃそうですよね。

他の規格からはなぜ逃げない

では、なぜ他の規格からは逃げずにいられるのでしょう? それは「逃げられない」からです。「会計」は納税義務から、「労務」は人権保護義務から、「安全」はそこで働く人々の安全の確保義務から、逃げることができないのです。法治国家の定めるそれぞれの「法」が、それらを厳しく監視し、そして逃れようとする者に「罰則」が与えられます。罰則は、経済的ダメージの場合もありますが、我々人間が最も嫌う、「自由の拘束」が課せられる場合もあります。これが抑止力となり、従うことを選択させようとします。一方で、「品質規格」には、法的要求も、法的罰則もありません。従わなかったことにより、結果として招いた「望まれない結末」に対して、刑事罰や社会からの制裁といった、別の側面からの「罰則」はありますが、「品質規格」そのものが「罰則」を与えることはありません。せいぜい「認証取り消し」と、それによる「信用の低下」に端を発する、取引の機会損失による「経済的損失」が関の山です。これはこれでキツいですが、おおむね直接影響を受けるのは経営層で、一般従業員はどちらかというと、被害者側に層別されます。ここがまた、「従わなくても大丈夫」という思いをいだかせてしまう要因でもあります。

品質規格は人類最後の砦

近年の世の中の情勢から、「品質偽装」は、社会からの厳しい制裁が待っていますが、それでも、「品質規格」への要求未達を恐れて、そのためにわざわざリソースを割いて、取り組みに力を入れる組織もあまりないように思います。基本、人間は自己の利益を優先します。それは、どのような分野においても、人道的に考えられる「あるべき姿」さえ、難なく越えようとします。だからこそ、法で強く規制しています。しかし、法で規制されていない「品質」は、我々の「良心」によって担保されている、と言えるのではないでしょうか? そう考えると、法でがんじがらめの世の中で、「品質規格」は我々人類の最後の砦なのかもしれません。「品質規格」が法で規制されはじめたら、もう人間終わりな気がします。

まとめ

ちょと荒唐無稽な考察でしたが、改めてこんな視点で規格ものを眺めてみると、既に法で規制された分野に対して、「品質」はまだ一定の自由度を与えられています。そして、「自由」の反対側にある「規律」を、我々がどう自律的に運用するのか、我々の心の強さを試されているような気がしてなりません。「品質」との戦いは、「自分自身」との戦いなのかもしれません。全然勝てる気がしませんが……(笑)

今回も最後までお読み頂きありがとうございました。
次回のテーマは「ちゃんとやるって意外と難しい」です。
また次回もお楽しみに!


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