ふと

ふと見上げた空。
 台風がまだ九州に接近中で日本に上陸していないせいか晴天の中に流れる雲たち。
 出勤時間に毎日20分位余裕がありいつもは会社近くの公園で時間を潰していたのだが緊急事態宣言により入れなくなったためコンビニの駐車場に車を停めて椅子を倒した。(何度かの緊急事態)
 運転席の後ろの後部座席から窓の外を覗くと流れる雲と広がる晴天。
 最近、朝晩が冷え秋の訪れを感じる今日この頃。
 ふと自分自身に問う。
 今まで何を目指して何をしてきたのだろうか?

 ふと思い返してみた。
 高校卒業の頃何になりたくて何がしたいか?その問いに私は答えられなかった。ただ心の中に秘めていた思いはいつか有名になって見返すとかその程度だった。 
 都会に住みたいとも思っていた。だが将来設計が甘かったのと調べもしなかったから今こうなってるんだと思う。
 25歳位の頃にわかった事だが親が身体障がい者の片親に育てられた。 

 毎日のように今月もお金がないと聞かされる日々。 
 夢や希望がみいだせなかった。
 生活の為に働いてお金を家へ入れるって選択しか思いつかなかった。

 やりたいこと。
 少しながら都会に行って俳優になりたかったとも思うかも。自分に自信のない時点で向こうに行っても潰されて帰って来ていたと今ならわかる。

 働きながら何か探そうと適当に受けた会社。受かって働きに行って途中で不満が出てくる。友達の所は夏のボーナス出たのに俺の所は出てないだとか冬のボーナス貰ったら5万しかないだとか。
 石の上にも3年だとかほざかれてた時代だった。
 
       悩み続けた。

 ローンで買った中古の高級車。
 手取りは15万しかない。遊び歩き足りない稼いだ毎月の金。
 毎月3万円食費として家へ入れる。
 だが1万は親に前借りして返す。
 そんな生活が続いた。
 社会に出て数ヵ月、ずっと欲しかった彼女ができた。
 今までがんばって生きていたかいがあったと産まれて初めて生きてて良かったそう思えた。
 心の癒しをずっと求めて生きていた。
 彼女作るまで、童貞卒業するまでは絶対死なないと心に決めて今ここまで生きてきたのに・・・。
 彼女できる前に童貞は捨ててたのでこの時辺りが最強だった。
 死も恐れず怖いもの知らずになっていた。
 もう死んでもいいと思ってるから何でもありだった。童貞卒業するまでは死ねるかとなんとか生きていた。
 童貞卒業後目標あまりなかった。
 やっと出来た彼女だがすぐに別れてしまった。
 その事が心のダメージかなりでかかった。

 もう全てが嫌になった。
 仕事に行かなくなり気が向いたら仕事に行くような生活へ。2日行って1日無断欠勤して2日行ってを繰り返し2カ月位で辞めてしまった。

 プー太郎生活が始まった。
 プーと言うよりももうニート。
 何一つやる気が起きなかった。
 好きなときに起きて好きなときに寝る。
   
 心の傷は見えない。 

 メチャクチャ心の傷が深かった。

 ほぼ生活はAVみてセンズリこいて寝る。

 食事は家にある適当な物食べる。
 夜中気分転換に車運転して、あても無いのに無駄に海沿いや町中を走った。
 あの頃はスタービーチが流行っていた。
 色々な女をあさったが一人も遊べる事はなかった。

 少しだけ運が良かったことがある。
 失業保険がハローワーク通えば貰えた。
 何にも将来見えてないし本当にやる気が無かったから求人広告を観覧したら帰った。
 あの頃は月3回求人見に行くとハンコ貰えてそれが職を探してるって証明になり認定承けると月10万円位は振り込まれてたと思う。
 貰える期間は3カ月間だったかな?
 面接に1回はいくようだったかな?
 覚えてないや うろ覚えで書いてます。
 自分の条件なんて手取り20万に土日祝休み位だったがその条件に合うところなんてなかった。
 なんとか車のローンと保険料、ケータイ料金だけは払った。
 まだガラケーで進化中の時代。
 車がハイオク車で燃費がわるかった。
 出かける度に懐をえぐられた。
 そんな生活が続くわけもない。
 

 そして数ヵ月すぎ失業保険打ちきり。

 ケータイが止まるのが計算できた。
 ケータイないと誰とも連絡が取れない。
 それだけは避けたかった。
 最低限の生活費を得るために適当に面接に。 
 さすがに1年位プー太郎だとどこも雇ってくれる所がなかった。
 数件受けに行ったな。
 そしてやっぱり給料低いのが不満だった。
 細く長く給料低い正社員か、いつ切られるかわからないが手取りは高い派遣か?
 のちに目の前の金をとった。

 派遣会社に登録した。
 頑張れば正社員が見込める所にした。
 当時は派遣は同じ会社で働くには最長2年。
 期間が過ぎると正社員で雇うか違うところに飛ばすしか方法がなかった。
 夜中まで毎日残業して手取り25万円。
 今だから低くね?って思うけど当時はほしいもの買うのに毎日残業頑張った。

 作業してると作業服が油だらけのビチャビチャ。
 洗濯機なんて回せないから週に一度捨てて新しいの買ってたっけ。
 こんなこと一生やりたくねぇ。
 常に働きながら思ってた。
 だが残業いつもしていた。
 夜11時12時当たり前だった。
 一つ積んでは自分の為。
 2つ積んでは母の為。 
 一つとは一時間って意味。
 服や靴が欲しかったから残業してた。

 たまに正社員受けに面接に行った。
 受からなかった。
 ズルズル2年の月日が過ぎようとしていた。

 そんなとき彼女がまたできた。
 ドタイプだった。
 一目惚れしやすい自分。
 猛アタックしまくってやっとだった。
 これが人生最後のチャンスだと思っていた。

 もうこれでダメなら死のうと思ってた。

 なんだかんだ無理やり付き合わせた。   別れる話しまくったりしたが結局、今は嫁になっているから結果オーライだと思う。
 今も別れ話は出るもののなんだかんだ15年位一緒にいる。
 知り合ったのはナンパだが実はその数年前に事故って一度出会っていた。
 お互い事故の話してたら偶然その相手だった。

 事故の当時、私は友達の車だったので向こうのかわいい子をメチャクチャナンパしていた。向こうは3人組だった。

 事故ってんのにメチャクチャうざいのいた。なんなのこいつ事故ってんのにって当時思っていたみたい。今も言われる。(笑)それが俺のことです。

 あの事故の時に一目惚れしてナンパして失敗して期間おいてわからず一目惚れしてナンパして付き合って結婚してって始めて運命ってやつをしった。

 やっと家族の為に生きないと。
 そう思って真面目に働きながら正社員を探し始めた。

 そんなとき出勤中にまた事故が。
 
 怪我はあまりたいしたことなかったから良かったが車両が問題だった。

 嫁と結婚したので嫁の家に住ませてもらうこととなったのだが5分で出勤出来るところが1時間かかるようになった。
 渋滞がなければ30分でつくのだが毎朝渋滞にはまり1時間や越えたり。
 遅刻ギリギリの時が多々あった。
 バイクは渋滞気にせずに走れたので30分位で着いた。
 バイクのがスムーズに走れて燃費が良かったのでメリットが多かった。デメリットを言うと天候かな。雨とさむさ。
 雨の予報が無いのにバイクで出勤して退勤するときに雨ふってたりバイクで走ってる途中で雨降ってきたりが最悪だった。 カッパなんて持ち歩いていない。
 寒さは時期によった。日中暑くても秋辺りから夜は冷えが激しい。乗らなくなる原因でもあった。

 出勤届け出を出していたのは車だったのだが渋滞をすり抜ける為に無許可でバイク出勤していた。

 事故の状況
 70歳近いおじいさんの軽トラが急に左ウインカーを出し曲がろうとした。
 曲がった瞬間、俺も止まれなくて突っ込んだ。当時はじいさんのせいにしたが俺もわるかったと今は思う。申し訳なかった。この場を借りて謝罪します。
 俺が左のミラーに写る所走っていたと思ってたけど写っていなかったのかもしれない。
 左後方ウインカーの見える位置を走っていた。 
 ウインカー出た瞬間すぐにさとった。
 止まれないと。
 すぐに曲がるなよって意味でアクセル空ぶかしして存在に気がついてもらおうとした。
 ブンブンブン、ガシャン
 空ぶかししてガシャンってな感じでガシャンと同時に中に体がまった。
 地面に向かう体。下を見たらガードレール。
 運良くガードレールの脇に落ちた。
 あの時ガードレールの上に落ちてたら突き刺さって死んでただろうな。
 地面頭から斜めにぶっ飛んだって所かな。
 ヘルメットがズってすれたから。

 意識はあったが足が物凄く痛かった。
 私は足の骨が折れてる気がするって救急隊がきたときに言った。そのまま救急車で病院へ。
 レントゲンとったらまんまと折れてはなかった。
 折れてはないわりに数ヵ月痛かったかな?病院通院するとお金を貰えるのは知ってたけどめんどくさくてあまり行かなかった。
 何度か派遣先の方から連絡があった。
 大丈夫か?とかいつからこれる?とか。
 真面目に仕事していたので色々な方に気に入られていていつか正社員にしてあげるからもう少し頑張ってなって言われていた。今となっては人動かす為の口実か?本心かわからないけど。

 そんな出来事もあり休んでる期間が最高のチャンスだと思い転職活動開始。

 だんだん仕事行く気にならなくなっていた。

 数日に一回のペースで電話を貰っていた。いつになったらこれる?と。

 ありがたい気持ちの反面このままズルズル仕事行ってもなと思っていた。

 その後の電話でもう今月一杯で辞めます。 
      退職を決意した。

 先立つものも何もなかった。とにかく正社員探すことに専念しようと思った。
 すぐに決まると思っていた。

 以外と決まらない仕事。
 就活3カ月位して無料求人雑誌みたりハローワーク行ったりした。
 昔、スマホはまだなくガラケーでインターネットもここまで進化していなかった時代。
 ゲームセンターに無料求人雑誌あったからそれを持ってきて見ていた。
 今はコンビニにもあるしスマホで検索すぐにかけられる便利な時代だけど。

 そこで営業と現場の作業員を募集している会社の営業の面接にいくこととなる。
 
 平日なら渋滞しない。渋滞しても30分ではずだったけど面接日。
 なぜか渋滞はまり面接先に電話。
 もう面接落ちるとは思っていたが一応ちゃんと行った。 結局20分も遅れていた。

 なぜか受かった。
 今だからわかる。
 ただ作業員が欲しかった。
 営業なるためには知識が必要だから現場を覚えてとかの理由だった。

 全く現場を覚える気はなかった。
 だが生活の為に行った。
 何度か営業で受けてるとか営業にしてくれとかけあったこともあったが結局なることはなかった。

 こんなこと一生やってられるかと思いながら約9年。 

      腰を痛めた。

 毎日腰いたい言いながら仕事をしていた。
 病院いってこいと言われた。
 ただでさえ熱だして休んだだけで怒る人だったから休めなかったんだよこっちわと心の中で思った。

 親方がうるせぇから病院行ったら椎間板ヘルニア。原因は前屈み姿勢の多さが原因だった。
 
 原因はわかったがひどくなると歩けなくなるけどそこまでひどくは無いとレントゲンを見た限りではと言われた。
 
 少し休んでと一週間休みを貰った。

 これがまた向こう(会社)のいいぶんが人を舐めていた。
 あなたが勝手に作業して、勝手に腰を痛めた。会社は関係ない。

 頭きた。
 なめくさりすぎでしょ?
 その作業が仕事なのにもかかわらず勝手に作業して腰を痛めたから会社は責任もてないとか。

 私はこう思った。
 完全に人間をなめてる。
 会社なんていくらでもある。
 この会社は本当に人をなめすぎている。
 どんな奴でもなめると寝首かかれんぞ。心の底から思った。
 従業員が怪我して、責任もてないとかこっちが悪いように仕向けること色々と言われたっけ。

 頭の中を私はフル回転させた。

 どう考えても労働災害だった。

 それなのにも関わらず医療費は面倒は見ない。休んだ分の給料は保証しない。給料は少し引かれた。月給だったのにも関わらず。それなのにも関わらず労働災害のなるとまずいから隠ぺいしてと頼まれた。
 
 火に油を注がれた。

 余計私の頭はヒートアップ。

 通う病院は入って柱の至る所に労働災害の隠ぺいは犯罪です。ってポスターが張ってある整形外科だった。

 頭をフル回転させた。

 何度か会社とも話あった。
 
 良く考えたら営業で会社に入ったのに結局、作業員しかやらせて貰えてなかった。

 そこら辺もよく話あった。腰を痛めて現場ができないなら営業にうつしてくれ。全く話を聞き入れてもらえなかった。

 これは訴えるしかないとふんだ。

 スマホが出たばかりの時代だったのでインターネットもここまで早くはなかった。
 労働基準局に足を運び相談を持ちかける。
 たまたま担当してくれた方が所長さんだった。
 よく話を聞いてくれて書類も書き方教えてくれたり労働災害は全て認められるとは限らないと色々と教えて貰った。

 時間はかかるが必ず訴えるからにはちゃんと調べます。申請が通る通らない別にして。

 これぐらいでって言い方は悪いけど最後に会社訴える前に良くかんがえるようにと言われた。
 
 その頃はわからなかったが色々な労働基準を守らない企業が一杯あるなかでまだ軽い事件だったのだろう。

 調べながら書類を揃えて提出。

 書類を提出してから数週間位たったかな? 
 労働基準局の人が会社にきて会社で会社側の意見と私個人の意見を聞いて帰って行った。

 そこからどれくらいだったのだろう。

 後に認定を受けた。

 確か3カ月位病院無料で通えた。毎日行った。腰の痛みは治らなかった。

 3カ月間出勤禁止へ。
 
 あの時から今10年くらい時がたつが訴えて良かったと思っている。

 3カ月後は一応出勤をした。
 
 腰が治るまで社内作業にする。
 そこまではありがたかった。

      だが

認定後会社はそこでもなめてることをしてくる

 現場行かないので手当てを下げる。 

 業務手当てがついていた。

 最低手取り20万から残業でなんとか25万位行っていた。

 手当て下げられ残業無し。

 手取り15万円へ。

 これはもう転職するしかないと踏んだ。 
 よほど労働基準局にやられたのが面白くなかったらしい。
 手取り15万では他の事をやっても一緒。 こんなところ一生いるれるかって事で転職活動開始。親方達には現場行きたいなら自分から会社に言わないと現場に連れていかないとか言われたっけ。

 別に行きたくないし。

 転職なら金稼げるように。
 車好きだから車関係。
 整備めんどくさいから営業しかないとふんだ。
 
 某中古車業者へ面接へ行き受かった。
 面接時適正検査をした。
 適正検査後に結果を店長がみて悩んでいた。
 顎に手をおきながら「うーん」
 少ししてから店長は「やりたいん」?
 聞かれた。
 私は「やりたいしがんばるんでお願いします」
 店長が引っ掛かる所があるけど採用と採用してくれた。

 実は腰を痛めた時にもうこの仕事は続けられないと泣いた日もあった。
 そんなこんなで辞めることとなる。
 辞める時に社長に辞める主旨を伝えた所すぐに辞められると思ってる?辞めさせないよ。数日間話し合った。
 
 
 もう決めてきたから辞めます。 

 これが会社への最後のとどめだった。

 胸張って車の営業へ。

 初日は写真撮りだった。

 その頃の私は時給計算が得意だった。

 朝8時から働いて午後8時に帰る。

 転勤ありの会社だった。

 これで転勤してくれと言われて自炊までしてたらやってられん。

 そんななか歩き方変だの爪が長いだの訳のわからないパワハラにそくあう。

 爪は切ってんのに長いとか。ふざけんな。頭来てた。隣にいた社員の人は見てくれたが爪が長く見えるだけです。
 ちゃんと切ってありますと言ってくれた。

 全員仕事が出来るとは思わなかった。ついて行けねぇなコイツラ。これから先長年付き合ってられるか。
 
 どれくらい行っただろう2週間たらずで辞めてしまった。

 ちゃんと就活開始。
 3月。 まずい月だった。 新卒の迎え準備中の企業が多くかなり少ない求人広告。 載ってるのは2社しかなかった。
 
 出勤遠いのは嫌だったから近場のエクステリア屋を受けて受かった。とりあえず行ってみた。
 緊張もありすぐにトイレへ。
 何度かトイレへ行った。
 ションベンが人一倍近い自分。
 冷えと緊張もあり頻繁にいくトイレ。
 その理由で1時間しないで帰る。
 直属の上司は不採用をされたのだがどうしても雇ってくださいと頼み込んでようやく採用されたらしいが俺はすんなりと受かった。そこら辺もあり私の事がよほど気に入らなかったらしい。
 あとは今の自分の収入が減るのと後から入ってきたのに先超されたらマズイからって危機感があったんだと思う。
 面接で言われた事はその直属の上司は設計や営業が仕事なのに少しやったら現場に手伝いにいく。
 そこが気に入らない。そこの監視もそこの社長にお願いされていた。

 事実上のクビみたいなもん?
 そんな所入らなくて良かったと本当に心の底から今も思う。間違いなくそんな所ブラック企業に間違いない。

 その後また求人探しへ。

 建設会社の求人が目に入る。
 
 別にやりたくはなかったが背に腹は変えられない。

 また受かった。

 とりあえず面接で汚い所で耐えられるか聞かれた。
 俺も正直やってみないとわからないって答えた。
 とりあえず研修みたいな形で受かったが幸い物凄く汚いわけではなかった。
 たまたま運が良かった。
 現場は車で2時間30分位かかる所だった。
 川が氾濫する所の水門検査だった。
 ほぼ上の人がやる。暇だと思うからほうき車にあるからクモの巣とっといて。

 ただクモの巣とって数日間終えた。
 貯水池に雷魚いたり水門見にどうながきて下へ行ったときは鯉がいたり水門開けて空ききる時間測ったり閉めきる時間測ったりごみ取り機械のベルトやプーリに不具合ないかとかコンベアが正常に動くかなどをした。
 コンベアにたまに鯉が運ばれてきたりしてた。
 あんなの一生のうち何人が見れるかわからない所へ行ってた。

 数日間の検査を終えたら違う現場へ。
 現場15人位いるなかで俺達5人は水門検査へ行っていて他10人はその違う現場へ行っていた。

  下水道処理場の配管ばらしへ。

 最悪だった。配管をばらすと汚泥が飛び出し流れ出す所だった。
 ヤッケきて長靴履いてビニール手袋して。 
 多少なりケッペキな俺は背中に鳥肌がいつもたってた。
 みんなが汚泥浴びて今日は仕事したと胸をはってる奴等と一緒に入れるわけもない。
 仕事へいくたびに早く転職したいと思った。
 そんななか面接してくれた人から帰り呼び出された。
 どう?やっていけそう?
 はっきり答えた「無理です」
 「汚すぎて俺にはやってられません」

 じゃあ明日から来なくていいよと言われた。
「こんな所こっちからねがいさげだ」でていく会社。 
 会社の面接した人が駐車場まで追ってきて誰に喧嘩売ってるかわかってるのか?言ってた。
 すかさず私はテメェ等だよ。
 俺は汚すぎて無理と答えた。
 誰が喧嘩売ってるのか疑問だったが事実答えてるだけの話だ。

 すぐに求人を探したが見つかる訳もない。
 コンビニで求人雑誌貰ってめくった。

 大手自動車メーカーの期間従業員の募集が目に止まる。
 近場で仕事探すのもなんか嫌だった。
 隣の県の寮へ無料で入れるっぽかった。落ちてもクオカードが貰えるみたいだった。

    とりあえず面接へ。 

     第一次審査合格。
 数日後とりあえず書類が送られてきたんだっけかな? 
 数週間後何処の寮の何号室まで決まっていた。
 ある程度の書類を揃えていつまでに入寮してここで待ち合わせしてその時に書類を持ってくるように説明をうけていた。
 健康診断も受けて最初から風邪ひいていたりするともうその時点で働かせられないと最初に言われていた。
 絶対その日まで風邪をひかないように。
 タトゥーや入墨も入っているだけで不採用決定だった。
 幸い貧乏が運をくれていた。
 18、19の頃に入れ墨入れたかったのにお金がなくて入れなかった。
 さすがに20超えてから入れるきはなかった。

 大手自動車メーカーの期間従業員になる。

 係長クラスに物凄く気に入られていた。
 今の社員がダメだからお前が社員になってリーダーになってやれと。
 確かに社員がたるんでいた。

 いつも遅刻して怒られてた社員。

 2年間やれば社員の推薦が取れて初めて社員になれる。年齢制限35歳までだった。 ギリ30歳の時。

 1ヶ月後、私は思っていた。

 その前の下水処理場なんかよりもこっちの期間従業員最初から受けておけば良かった。そうすぐに思っていた。
 
 とりあえず4カ月だけやったら帰る予定だったけど真面目にやれば社員に推薦するからがんばれよと言われ「はい」と答えていた。
 
 色々と教えて貰った。

 人一倍早めに行って作業したりしてた。その点を高く評価されていた。

 社員は絶対遅れてきていた。
 
 その社員は色々な部署を転々と飛ばされていた。そのせいもあり他の部署はこんなに早くこないだとか色々文句をつけていた。

 パソコンで早出を上の人はつけてくれていた。その社員だけはつけないって話だった。
 俺は見てしまった。遅刻社員がパソコンで残業をいじっている所を。

       3ヶ月後。

    会社から質問書がきた。

 1. このまま続けますか?
      期間で辞めますか? 

 2. その理由はなんですか?  

 そんな質問だった。

 独身だったらあの生活で良かったと思っていた。
 だが毎日仕事終わりに息子と電話していたら少し胸が痛かった。

 早く一緒に暮らしたい。これが本心だった。

 毎週末には必ず帰っていたが早く一緒に暮らしたい気持ちが物凄くでかかった。

 期間内で辞める方に○をつけて理由は家族との話し合いの為にした。

 書類を提出後1週間。

 意見を尊重するって文章で戻ってきた。
 
 そこで初めて可愛がってくれていたリーダーの人に今月一杯で帰ります。と伝えた。

 かなり残念そうだった。

 だがもうここへは戻ってきちゃいけないよ。と教えてくれた。

 期間従業員はよく入って出てを繰り返すひとが多いらしくそれで社員になれないのに長く続けて途中できられちゃう人も結構見てきたらしい。

 私も年齢的に社員になるにはギリギリだったのでそこら辺も考慮して言ってくれた。

   旅立の日(寮をでて帰宅の日)
 
 寮の管理のおっちゃん(守衛)と帰る頃にはめちゃくちゃ仲良くなっていた。
 今日で帰ります。お世話になりました。
 おっちゃんは「なんだ帰っちゃうの?いつでも遊びに来な。あんまりこんなこと他の人には言わないけど」

 たまたま私の住んでいる海のある隣の県に海入りにしょっちゅうきていたらしい。
 そんなこともあり遊びに来なと言ってくれたのだった。

 帰る日は夜勤だった。

 夜勤前に挨拶を終えて部屋を掃除しカギを守衛のおっちゃんに渡して最後のひと仕事のへ。

 鍵返したらもう帰ってこれないよ。忘れ物ないか一緒に最後に部屋を確認した。
 
 夜勤あけ。
 期間従業員の一人の人が今日で終わりなら奢るよ。
「どこにいるの?」と電話をくれた。
「どこの何付近です」周りの建物と県道名を言った。
「最後だから奢るよ。そこのすき家でまってて」
 駐車場停めて10分くらいたった位の頃に来てくれた。
 これからの事少し話してすき家でて 神社行って帰ると行ったら神社まで一緒に行ってくれた。

 その人は数年後、市議会議員になった。

 職場の決まっていない先の不安と帰れる喜びに満ち溢れていた。

 その日の太陽は眩しかった。

 帰ってきて仕事探し開始。

 給料が2ヶ月遅れでで入ってきたので少しの余裕はあった。

 次は転職しないように選ばないと。

 自分の条件が週休2日で手取り25万以上。新ジャンルへの挑戦だった。

 見事に何社も落ちる

 時は過ぎていく。

 帰ってきたのが11月1日。
 11月中旬。
 絶対受かる事がわかっている前の建設業の同業者の求人がいつも出ていた。

 ハローワークの窓口でここ受けてる人いますか?
 何ヵ月もいません。

 私はここなら必ず受かる。と言った。

 だが条件が悪かった。

 日当7800円だの25日以上出勤で皆勤手当てだの休日は日曜日と他。
 年間休日89日。

 計算上私のなかでは土曜日2回は休みになっているとふんだ。
 心にはこれ以上プー続けられないしなと思っていた。

 面接へ行った。
 2時間くらいしゃべったかな。
 求人の休日のことだけど日、他と休日がなってるが基本的にうちは日曜日しか休みが無いからな。前同業者にいたからわかるだろうけど天候で急に休みにしたりするから。と説明をうけた。
 

 一応合格だった。
 書面で給料計算したの送るからそれから検討してくれとのことだった。

 送られてくるまで他に良いじょうけんの所を探した。

 送られてきた書類。

 やっぱり日当低かった。

 だが手当てでなんとかカバーできていた。

 書類をみてやっぱり低いなと思っていた。

 書類が届いて2、3日考えていたところ電話がかかってきた。

 どうだ?と社長からの電話だった。
 
 もう少し上がりませんか?と私は答えた。
 
 がんばり次第でなんとでもなると言われた。  

 嫁と話した。

 給料が安い。だが他の所も受かる気配がない。
 とりあえず他の所の同業者の動きも見てみたいから行ってこようと思うと私は言った。

 嫁は自分で決めな。そういった。

 次が見つかるまで。

 心に決めて私は同業者に入社を決めた。

 作業服貰いに来て欲しいと言われ入社前にもう一度会社に出向き作業服を貰った。会社で用意してくれる所だった。

 市では同業者同士、仲が悪かった。前の会社からしたら敵陣への裏切りみたいなものだった。

 挨拶を済ませて工事部長とは少し喋った事があったから喋った。

 工事部長が現場の親方である。

 入り次第掃除教えるからと下っぱが張り切って俺を連れて言った。話の途中だったんだけどなと思いながら。

 入ってから知る社内。

 朝6時50分迄に会社へ集合。
  7時から各自清掃。ほぼ落ち葉はき。
  7時30分から8時位 現場へ行く用意
  8時位から現場へ移動
  9時前後 着いたら作業、終われば違う現場へ移動して作業。

 お昼は何時に取れるのかわからない。
 お昼休み何分間取れるのかもわからない。

 基本的に休憩時間30分。

 その日どこで食べるのかわからない。
 路肩の広い所に止めたり誰も通らなそうな道にトラック止めたりちゃんとトイレのあるような所に停めてくれたり。
 下品な事書けば野糞何回しただろう。
 お昼食べてなんキロも先にあるコンビニへ歩いてトイレ行って帰ってきて仕事の時間ってのも多かった。
 その時は休憩してないのと変わらない。
 ほとんどちゃんとした駐車場ってのはなかった。 

 暗くなったら現場から帰る。
 暗くなるまで帰れない。
 毎日何時に帰れるのかわからない。
 一応定時は17時。
 休日も予定あるのに明日出勤とか事務所から帰る間際に言われほぼ強制出勤。
 用事あると休んだら次の日から嫌みばかり言われた。
 定休日に勝手に仕事入れて出勤言われて出れないと文句を言われる。

 定休日だよ。休むのが当たり前と俺は普通の事言ってたんだけどみんなが理解の出来ない人達だった。

 会社へ入ってからすぐ嫁が熱を出した。
 だから定時で帰りたいと会社へ申し出た。
 現場へ自分の車で行け。
 そう親方が言い始め決めた。
 終わったら現場から直接帰れ。
 前の同業者だったら所有車貸してもらって現場4時位に出て定時で帰りなとまだ常識があった。
 その日の仕事は2つも市をまたぐ仕事先だった。
 自分で移動する分ガソリン代等が赤字である。
 私はそう思った。
 てか普通の人なら思う。 
 これなら休めば良かった。
 勤務中、本当は社用車使わなきゃ行けないんだけどなと思いつつしゃーないから自分の車で現場へ向かった。

 とある日。親方が私用あるから途中で帰る日があった。
 なんと親方は自分の車使わずに社用車使って現場行く。
 それで定時であがるから。
 16時で現場でると。

 頭きた。心の中は「はぁふざけてんの」そう思ってた。  

 自分の時は社用車使うくせに人には使わせない。
 
 自分勝手すぎる人達。

 面接時からおかしいなとは思っていたがこの辺りからふざけた会社だなと客観視するようになる。
 居ればいるほどに内部がわかってくる。
 ブラック企業なのだがそれを極めすぎて漆黒だったのである。
 
 一年と数月が過ぎ年間休日を数えてみた。
 
 「えっ」

 まさかの年間休日65日であった。

 その癖に年収400万円行ってない。

 日当の低さが物語っていた。

 改めてこんな会社抜け出さないとと思った。
 
 社長が世代交代し会長へ。息子が専務から社長へ。

 会長が社長の頃はとりあえず出勤を連勤させて倒れそうないい具合を見計らって休ませる。
 
 それが会長スタイルだった。

 アメとむちってやつ。
 世代交代してからもっとひどくなる。

 数年たったとき社内でインフルエンザクラスターみたいなものがおきていた。
 
 インフルエンザにまんまとかかった。

 原因はインフルエンザになった人が無理やり出勤させられていた。
 
 一緒に現場へ行くのに同じトラックに乗っていたからである。

 その人は辛い辛い言いながらなんとか仕事をした。

 次の日、私は頭が物凄く痛かった。
 少し熱があった。

 自分が親方で入らなければならない現場があったので休めなかった。

 前から頭で行けと言われていたので休んだらアイツビビって休んでるとか難癖つけられるのも目に見えていたので無理やり出勤した。

 出勤して作業をしてると段々と関節痛がひどくなり手足の指がつるようになる。

 穴掘ったりする現場だった。午前中はなんとかやり、午後少し作業したらもう歩くのもやっとになってしまった。

 現場監督には足も引きずり歩いていたので「大丈夫か?本当に」と何度か言われたが気合い入れてやりますの一点張りだった。

 さすがに動くのがキツクなり現場一緒に入っている人に会社へ電話してとお願いした。

 少ししたら会社から電話がきた。

 迎えにいかせるから。
 迎えにきた事務員さん。
 このまま病院乗っけて行くから。

 大丈夫ですと答えたのだが病院の予約されてて緊急搬送された。

 そういう所だけ機転をきかす会長だった。

 漆黒のブラック企業だったが病院そのまま行って良かったと今は思う。そこら辺の対応は良かった。少なからず感謝はしている。
 
 病院ついて熱測ったら39度あった。

 昔から熱があると関節痛がひどく急に寒気襲ってきて寒かったりして毛布かけたり急に暑くなって毛布とったりそんな感じだったので病院もそうだった。

 すぐに点滴を処方された。

 嫁に迎えにきてもらうように連絡を取り合っていた。会社では勝手に誰が送るか話し合っていたらしいんだけど私は嫁に迎えを頼んだ。
 家族に迎え頼むのが普通だと思うんだけど。
 その事でも文句を言われたっけ。

 結局、嫁に迎えにきてもらった。

 次の日も頭はガンガンしてて関節痛がひどいので休んだ。

 社長に電話したら最初の一言目はなんとかこれねぇ?と言われたが無理ですと答えた。
 
 家でトイレ行くのも一苦労なのにまず出勤できるわけもない。

 2日目もまだ関節痛はひどいし38度の熱があった。下がったとはいえまだつらかった。社長へ電話し休む言ったら面白く無さそうな返事が返ってきたし会社これねぇとまた聞かれたが辛かったから休んだ。
 2日目は日曜日定休日なのに出勤であった。

 次の日、医者には3日間は安静言われたが熱が微熱位まで下がったので出勤した。

 最初にインフルエンザなった人は休まずに出勤させられていた。(笑)
 よく会社これるなとへんな関心も覚えた。

 出勤して社長と現場へ。

 移動の際車の中でも文句を言われる。
 俺はインフルエンザでも出勤してるしと社長が言ってたがどうせ事務処理だし寝ようとすれば2階行けば寝れるし状況が全然違うのに良く言えるなと内心思っていた。本人も事務処理だけど俺はと言っていたけど。
 そんな時にまた糞な事を言ってくる。

 2日間も休ましてやったんだからいっぱい働けよ。

 この時も「ハァ?」って思った。

 いやいや 普通最低3日間は休みだからと何度か言ったがわかってもらえないアホだったので言っても無駄だと思った。

 しかも2日言ってるが1日目は夕方まで仕事して病院。
 2日目は休んだ。
 3日目は定休日の日曜日
 
 実質1日じゃねぇ?

 甘えて育ったボンボンの子供は自分の会社が常識で世間知らずでわが道が全て正しいと思っていた。

 現場はそれなりこなして通常生活に戻る。

 ある程度の熱位なら仕事行ってたが今回ばかりは人生初めて意識失いかけた時があった。

 インフルエンザで身体使う仕事はとことんダメだと思った。

 まだストレス溜まることはあった。

 長期連休前。
 
 世間で言うゴールデンウィーク、お盆、お正月。

 普通の会社ならいつからとか決まりがある程度あるのだが会長の訳のわからない気分で決まる会社だった。

 社長に連休数週間前にいつからいつまで休みですか?聞いたら多分いつからいつと返事が帰ってくる。最終的にまだ決めてないとか。

 どんだけメリハリのない会社なんだか。

 ゴールデンウィーク中に一度1日だけ出勤しないとならない事があった。

 この時もイライラすることがあった。

 お客さんも会社のみんなもゴールデンウィーク初日に仕事出て休みを連続で休もうって話だった。

 この時も糞な事が始まった。

 この会社は事務長が現場のスケジュールを組む会社だった。

 親方と事務長が夫婦で会長も社長も手玉にとり好き勝手やっていた。

 連休なんて誰もが思うが途中で一度出勤してまた2連休なんてしないで休んでいたいのが事実だと思う。

 例えば3日休んで1日出勤して2日休むとかなら初日に出勤して5日間連続で休む。
 本当は6連休だったが1日どこかで出勤しなければならない状況。

 出勤が飛び石になった。(連休なのに途中出勤の事をさす)

 最初は会社の決めた事で客が決めた事と事務長は説明していたが社長が一緒に現場へ行った時に暴露してくれる。

 実は親方夫婦がディズニーランドのチケット泊まりでとってるからゴールデンウィーク初日の仕事をずらした事実を知ったのである。

 社長はふざけてるあの夫婦と文句言いながら本人達には何一つ言わない奴だった。ただでさえブラックなのに人がいなくなったら困るのはわかっていたみたいだった。

 また親方もアホな人だった。

 親方一人が抜けた位で現場の回らないようなフヌケ会社では決して無かった。
 俺は違う同業者で色々な事をしたからこの会社この程度しか出来ないのとは思ってはいたが。

 親方が自分の権力を奪われない為に俺がいないと現場が回らないと断言していた。

 俺等みんなはめんどくさい仕事やってくれるからヨイショしていた。

 別に親方だけ休んで他のメンバーだけで出勤してで良かったのだが全員をあの夫婦が巻き込んだ。
 ディズニーランドのホテル予約してキャンセルできない為だけに出勤を飛び石にされたのであった。

 それでまた親方が発した一言がまた頭きた。

 俺がいねぇとまとまんねぇべ?

 私はお前のせいでこっちは飛び石だぞ。
 ハイハイと答えてあげた。

      親方弁当事件。

 親方が朝弁当もってくるかによりその日の休憩が短いか長いか決まる所であった。

 朝現場出る前に親方の嫁が出勤してきたときに弁当渡されたりならまだ良かった。

 だがこんな日が多々あった。

 朝、親方の嫁が出勤遅くなり俺等は現場向かおうとトラック乗ってるのに10分くらい動かない。 
 ただの弁当まちである。
 そのぶん早く現場始めるそれだで現場の仕事が10分早く切り上げられるのだがだいたい現場終わり前になると終わらねぇ騒ぎする親方。

 会社で会長にわからないように弁当をこっそり持ってきて渡していたんだが(会長に怒られると頭上がらない親方夫婦)会長出現しただけで待ってた弁当そっちのけで現場へ向かい絶対どこかのタイミングで弁当とりに会社へ行く。

 弁当を朝時間通り作れないならわざわざ嫁がもってこないで親方が買ってきたりお昼に買いに行ったり現場へ向かう途中コンビニ寄って買ったりいくらでも手はあるのにやらなかった親方夫婦。
 
 ちなみに7時~8時が掃除だったけど7時40分位には用意終わらせて車へ乗り込んでいた。親方の嫁が8時出勤だった。
 とにかく弁当くるまでまつ親方。

 俺は現場早く行って仕事終わらせて帰るスタイルのがあってた。

 親方の嫁待ちで7時50分頃に弁当届く。

 それでもまだそんな日は良かった。

 親方の嫁が出勤遅くなり現場でてお昼になってもお昼を食わない。
 いつも12時になっても飯も食わないのはいつもの事だったが親方の弁当が会社にあるから午後1時2時位まで飯も食わず仕事してどんなに遠い現場(車で1時間位の所)でも会社戻ってから飯食うからとか言い始め全員親方の弁当一つに振り回される。

 しかも会社で食うと休憩時間がとにかく短い。30分位しかない。

 現場が押してる時とか次の現場が待ち合わせ時間がヤバイから飯食ったらすぐに移動するからとかがしょっちゅうだったし現場の時に休憩30分になるのはしょうがない。

 だが会社で食ってるのにも関わらず仕事の休憩時間がないとかが当たり前。
 なぜなら会長が飯食って雑談始まりやっちゃうかとか言い始め動く。
 とにかく休憩はさせない。会長は手元の時計見ながら飯食い終わったのを見計らい言い始める。

 現場で1時間休みの時はゆっくり出来るんだけどね。だいたい30分は寝てる。

 寝たことですっきりして午後もまたやる気になる。どの会社行ってもそのスタイルだった。 

 毎日、毎日奴隷のように扱われ休憩時間もろくに与えず、休日もいいように移動されて手の内で転がしてるのを楽しんでる奴等の元に誰が長年いられるのだろうか? 給料べらぼうに貰えてもこれを長年続けるのかはまた別な話である。普通の人なら抜け出していると思う。 

   日本に存在した奴隷制度。

 辞めるのは簡単であった。

 だがすぐに抜け出せない状況がそこにはあった。
 
 住宅ローンと家族。

 子供の頃から欲しかったマイホーム。

 住宅ローンだけは必ずなんとしても払おうと思っていた。

 家族の為に安月給でも耐えなくてはならなかった。

 数ヵ月たった辺りから一生これを続けるのか?と自問自答しながら仕事をするようになる。家に帰っても同じこと悩む。
    答えはすぐにでる。

  こんなこと一生やってられるか。

  仕事は決して嫌いではなかった。

 だが就労体制、社風が少しでも変わるようになる見込みがあるのであればそのままいたと思うが、会長よりも社長のがたちが悪かった。
 会長が従業員休ませようとすると出勤させるとかだだこねるし、年末の日曜日絶対出勤とか訳のわからないルールだったのだが社長はうちは出勤とか胸はっててその日に限ってこないし会社に電話してきてなんでみんな出勤してるの?と聞いてくる。あんたらが出勤とか言ってるから出勤してるのに。

  不正ばかりで給料調整される

 土曜日出たときに休日出勤つけたりつけなかったり祝日は出てもうちにはないと言われて割り増しつかず日曜日出ても土曜日同様休日出勤つけたりつけなかったり。

 時給1000円で仮に計算して1.25とか1.3倍とかかけると思ったがよく金額弾いていたが累計すると50万くらい払われていないと思う。

 少なくとも毎月2回の休日出勤一回1万だと考えて一年で24万で4年96万なんだけどなぜか休日出勤つけたりつけなかったりする月がでてくるから多分50万位払われていなかったんだと思う。

 何度か電話して聞いたが難癖つけて絶対払わない。しかもあんまり言い過ぎると次の職場決まっていない俺からしたらあまり強くは言えなかった。

 毎日毎月積もりに積もっていたストレス

 数ヵ月に一回抜け出すために風邪引いたとかで休んで面接へ。

 何ヵ所行ったっけ。

 忘れたが覚えていないが頭悪いのに市役所2回受けにいった。

 一度目は土木で受けに行こうと願書出したらなにかが足りず事務なら受けれますがどうしますか?と問われ事務で受けにいった。

 2度目は土木で受けれることになった。
 1日一般常識試験が全然とけず2日目面談だった。

 事務も土木もどちらも試験は変わらなかった。
 
 試験で手応えのない人はだいたい2日目来ないのだが私は挑戦しないと、今の環境絶対抜け出さないと。その想いが人一倍強くダメ元で私は2日目も行った。
 面接官の質問に答えられないが知恵を振り絞り適当に答えた。
 
 一度受けたときの面接官と一緒の3人組が面接官だった。

 3人中1人の面接官だけがずっと笑っていた。

 私も落ちるのわかっていたので笑いながら答えた。

 まんまと落ちた。2次試験までの切符は渡されなかった。

 あとは元請けの監督さんの会社へ。
 監督が今の給料いいのとか色々話しててて安くて嫌なんですとか話してたらうちきなよと言ってくれた。
 少し考えてからにしますと言いながら調べて時をおいてハローワークから紹介状もらって書類を発送した。

 まんまと落ちた。繋がりのある会社だと引き抜きになったり暗黙のルールがあったのもあると思う。
 毎月安全大会という会議がそこの会社で主催されていた。
 そこに会社代表で出席していたのだが落ちてから行きずらかった。
 別に気にしてないけど(笑)

 とにかくもうブラック企業抜け出すことが目標だった。 
 年月はたち35歳ルールに乗っ取りただ焦っていた。
 私は35歳を迎えた。
 新しい事への挑戦は社会的にみて35歳までである。

 求人をスマホで検索しまくる日々。
 本来ならそこの現場監督会社入れれば低くて年収600マンコースだったんだけど落ちたしな。

 もう今と同じくらい貰えて休日増える所にしよう。年収あげたいけど変わらないならまだいいや。
 給料上げるための頑張ることを諦めた。
 
      必死に探した。

 毎日、毎日。 
 あまり変わりのない求人広告。
 
 スマホで毎日開くインディード。
 さすがに転職経験や周りの話聞いてるとどこの会社がどうだの少しは知恵が付いてくる。
   
 だいたい8割の求人広告は嘘まみれ。
 ハローワークの求人でさえ嘘だらけ。
 ハローワークの社員もその会社の黒い噂も事実知っているのに善人ずらして知らんふりしてしゃべる。
 本当にこっちが困ってるの知ってるんだか。
 ハローワークは役所で使えない人が回されてるって噂も聞いた事があるが事実は知らない。
 1日あんなに人見てたらめんどくさいのはわかるけど。

 インディード見てたら友達の働いている会社が募集していた。

 空いてるみたいだけどどう?

 何度か聞いた事があったが今は募集してないってのが多かった。

 その時は募集しているみたいだが知らんぷりして受けにこい。もしも友達とかだと嫌う傾向があると言われて知らんぷりして受けた。

 内定を勝ち取った。

 11月に受かり12月一杯で辞める覚悟をした。

 11月に12月一杯で辞める事を伝えると1カ月プータローになる可能性があった。

 日当だった為12月来なくていいと言われたら1月に給料入らずに貯金切り崩して生活するようだった。

 そのリスクを回避するために12月になるのを待った。

 その時は最悪なことに現場代理人の仕事を一件持っていた。

 代理人で仕事をするのに土木事務所の担当と打ち合わせ終わらせて現場入るだけだったが辞めるのに代理人変更とか色々と調べた。

 これから年度末。一人かけると大変なのもわかっていた。

 だが時は進む。

 もう歳も歳なので新しい事への挑戦は社会的にみて限界の歳でもあった。

 12月3日位。 運命の時。

 今月一杯で辞める事を伝えた。

 正月休みはだいたい早くても4日からで3日までは休むのがどこも当たり前なので1カ月前。社会的にみてちゃんと期間をもうけた。

 会長に直接言った。

 少し考えてくれと言われた。

 辞めますと私は一点張り。

 その日は考えて直してくれと言われ現場へ向かった。

 (朝、事務所に集合して会社のトラックで移動して現場仕事をする職場であり出勤してすぐにその旨を伝えた。)

 その日は普通に帰った。
 週末また会長、社長共にいる時に2人に話に言った。

 考えたけど今月で辞めます。

 そこからがめんどくさかった。

 社長はやることあったから他の所行ったが会長と30分位揉めてたっけな。

 給料あげてやろうとこっちは考えてやってたのに辞めるってなんだだの自分の事しか考えていないだの難癖つけられたっけ。

 ここで今だから言える。
 あなた方がどれだけ自由にやりたい放題していたか。
 人の予定をガン無視して休日を平気で仕事にし奴隷のような扱いをされてどれだけ給料を出さないでいかに儲けるかしか考えてないあなた方のがよっぽど自分勝手だったか。
 人が歯医者行きたいのに仕事時間に行けるから行く社長。人が歯医者行きたいのに行こうとすると仕事入れて行かせないどこまでも自分勝手。
 現場仕事は正直俺のが早かった。
 会長は見てると早くやれ早くやれの茶々だらけ。
 いざやらせるととにかく遅い。社長も同様に遅すぎる。
 いつもこれで人によく文句ばかり言えるよなって思っていた。
 ここで俺が早くやれ言ったら給料下げられたらたまったもんじゃない。
 言いたかったが言えなかった。
 たまには俺も騒いでいたけど「早くやれよ」って(笑)
 
 まだまだ不思議な所があった。
 会長の友達が亡くなった。
 全く俺は面識がない。
 社員一同で香典包むから全員いくらと払った。
 最初はしょうがないと思っていたがそんなのが立て続けにおこり途中から新手のかねつけだと思っていた。
 社員一同で出してるからお返しもらって帰るからなんとも言えないけど!!
 あそこの誰々さんがなくなったと会長が説明する。
 俺以外身内か長年いる人だった。

 「なあ?わかっぺ?」と会長に話をふられて毎回誰ですかと質問する私。
 
 「なんだ?知らねぇのか?」と毎回答える会長。

 面識もなければ聞いた事がないひとの話を1時間は何かあればきかされた。

 回避の為の沈黙。
 皆それであいづちだけするだった。

 途中で流れになれてきた。
 戦争の話を切り出せば語り始めて話が長くなるのがわかった。
 わざと話ふって何分かかるのか試してみた。
 話をふると語って30分はかかる。

 話が終わり帰れる間近。
 何度か戦争の話をふってみた。
 また話が長引き30分帰れるのが遅れる。
 話が終わって帰りに「いやーながかったなー」とみんなに話をふると戦争の話をふるなと言われっけ。

   あとはタイムカード問題

 今まで入った会社では必ずタイムカードを帰る間際に押してから帰るのが普通だった。
 だが事務所帰ってきたらすぐにタイムカードをきるルールだった。
 そのあと日報を書く。そのあといくら話が長くなろうが拘束した時間は残業とはしない。
 拘束=労働だと思うんだけどそこら辺のグレーゾーンが1時間とかざらにあった。
 
 そんな事が積み重なり抜け出した。

 入ったリース会社。
 とりあえずあてにされていないしバカにされている。
 だがなれてはきた。
 いつか越えると信じていまも行っている。

  本心は別の所に置いておいてる。
  密かにそのチャンスを待ってる。
 来ないと知りながらくるときを信じてずっとまってる。

 今だからこそふと思う。
 まず卒業して東京行ってればどう変わったのか?
 何をしても切り開らいていかなければならない自分の人生。
 やりたいように生きれたら。
 苦労のない人生だったら。
 苦労しか知らない人生。
 今までの経験が全て活きる今の職場。
 早く掴みたいもん掴めるように。
 死にたいけどこわくて死ねないから今日も当たるの信じて買う宝くじ。
 金と自由を手にしたい。
 それが心の底からの願いである。

よろしければサポートよろしくお願いいたします。  後々ですが縁があれば色々な考えをまとめた本を出版できたらよいなと思います。