見出し画像

自分+お酒=?

見る
理解する
止める

客観的に自分を見ることが、あなたは出来ていますか?
多くの人にとって、その作業は多くの苦痛を伴うはずです。

朝起きるだけなのに、もはやなんとなく憂鬱で。
せっかく準備してくれた朝食のメニューがなんとなく気に入らず。
さりとて妻に注文をつけるのは憚られるため完食。
他人には見せられない表情でヒゲを剃り。
髪形が思うように決まらないけど、誰もそんなに気にしないだろうことを思い出して寝ぐせだけ直す。
目にしたニュースに悪態をつく。

ダメだ!
もう自分を客観的に見るのは限界だ!!

すみません、取り乱しました。
さて本題です。
お酒を飲んでいる時の自分を、客観的に見たことはありますか?
アルコールの作用は理性のタガを外すというものです。
それでいつもより愚かになるのです。
そんな自分を客観的に見返す作業。
想像するだけで恐ろしくなりませんか?

以前わたしは、一般的な人と同じ程度の酒飲みでした。
あるとき何となく禁酒についての本を読みました。
それで客観的に飲んだ時の自分を見返しました。
そしてお酒を、嫌というほど理解しました。
そうするとお酒が飲みたくなくなりました。
飲めない、というのが近いかもしれません。
嫌なのです、飲むのが。

他人が飲むのまで嫌なわけではありません。
しかし、見る・理解する、というプロセスをちゃんと踏んだ上で選んでいるのではないのだろうな、と思っています。
ちゃんと理解して考えられるのなら、飲まないの一択になるはずなのです。
知っていてそれでも止めない、というよりは止められないのは、依存症と呼べます。
なので少し可哀そうな気がします。

止められる人は早めに止めた方が良いのですけどね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?