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動物病院のカルテ⑥自分の耳にびっくり

新人獣医の羽尾先生には、いくつかの洗礼があった。
本人は動物や獣医の仕事が好きだから続けられてきたが、はたから見ると、良く続けられたな、と半ば呆れられる様な出来事の数々である。
今回ご紹介する出来事は、著者の知る限りでは獣医でも動物看護師でも、同様の経験を持つ人に出会った事は未だかつて無い。
また、過去の文献を漁っても、同様の事例には遭遇し得なかった。
すなわち、羽尾先生が特別何かを持っているのか、それともかの今回のある意味主役である極小の吸血鬼が、他の個体と特別変わっているのか、それは筆者のあずかり知らぬところである。

新社会人として動物病院に就職した羽尾先生は、獣医師として研鑽を積むべく、忙しく毎日を過ごしていました。
動物病院の獣医師は、病気であったり健康である動物が予防のために来院した際に、適切な対応を示して実践していくという仕事をします。
但し、羽尾先生のように新卒の獣医は、資格はあれども即時に適切な対応を取れるわけではないため、見習いというような立場で先輩獣医師に色々と教わりながら一人前になっていきます。
噛んだり引っ掻いたりする気性の荒い動物を抑え、排泄物で汚れてしまった入院動物をお風呂に入れて綺麗にして、床から天井および病院周りの清掃をして、先輩獣医の症例報告会を拝聴し、出された宿題や自身で見つけた課題を調べ、足りない場合は帰宅後に持越し・・・。
一日が終わる頃には、いつも疲れ切ってベッドに潜り込み、数秒で眠りに落ちるという毎日でした。

そんなある日、羽尾先生が家で耳掃除をしていると、妙にモゾモゾした感覚を覚えました。
そしてふと耳かきを耳から出して見ると、動物病院では度々見られる、しかし耳垢とは全く違い「耳の中からは見られない物」が見られました。
それは羽尾先生が我が目を疑った次の瞬間に、ピョーン、とジャンプしていきました。
「ノミ!?」
その茶色いゴマ粒くらいの物は、数回同様のジャンプをしつつ、反射的に追いかけた羽尾先生の手をすり抜けて、絨毯のどこかへ消えて行きました。

その後、羽尾先生は獣医らしく、ノミについてほぼ完璧に調べました。
しかし、どう考えても自分の耳の中にいた理由が分かりませんでした。
「この仕事って、こんな事が度々あるんだろうか?」
そう考えると恐ろしくなり、同職の友人や先輩獣医に相談してみました。
すると、みな一様に「どうしてそんな事になったの?」と、逆に質問してきました。
「そんな事になるからには、あなた自身に、何か問題があるんじゃないの?」という言外の声が、羽尾先生には、はっきりと聞こえました。

あの一件以来、羽尾先生の耳からノミが出て来た事はありません。
そして、あの出来事は誰にも言わないようにしています。


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