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№5777:「経済的自立」を果たしていない社会人は親離れできない子どもと同じ

こんにちは。遠藤です。
※過去分(4740回分)はこちらにあります。

さて、本日はFBL大学の第1週目の週目のオンラインセミナー配信日です。

その中から一部をご紹介。
※講座内容はスタート期によって異なります。

「論語」には以下の超有名な章句があります。

「子曰わく、吾、十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳、順い、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず」

「論語」を知らない人でも聞いたことはあると思います。

孔子が晩年に自分の人生を回想したといわれているもので、簡易にまとめると以下のようになります。

・十五→志学
・三十→而立(じりつ)
・四十→不惑
・五十→知命
・六十→耳順(じじゅん)
・七十→従心

二十がなくて三十なのかは、この時期に猛烈に学び、働いたからといわれている。

この中でもっとも重要なのは「三十而立」だと思います。

「而立」とは「自立」です。

当たり前ですが「自立」とは依存しないことです。

その対象がなくてもやっていけることです。

わかりやすいのが「子ども」です。

「子ども」は親がいなければ(大人のサポートがなければ)生きていけません。

そこからたいていの人が「親離れ」をします。

中には例外もいますが、基本的に親から離れて生活するようになるし、逆に親の面倒を見るようになります。

その一方で多くの社会人は「親離れ」はしても「会社離れ」ができません。

会社という親の存在がなければ生存していくことができません。

会社を辞めても「雇用先」がなければ生きていけません。

これは「経済的自立を果たしていない」ということです。

私は「経済的自立」を果たしていない人は社会人としては子どもだと思っています。

そのために必要なのは「猛烈に学び、働く時期」をつくることだと思います。

孔子の場合、それが十五~三十にあたります。

この考え方は現代社会でも通用します。

三十で「経済的自立」を実現するために、それまでの期間を猛烈に過ごせばいいのです。

多くの人まったく違います。

過去の経験に依存しながら未来を乗り切っていこうとします。

結果、過去の延長のような活気のなダラダラした社会人生活が四十になっても五十になっても続きます。

そんな時代を生きた昭和世代の価値観に振り回されずに、二十代、三十代の人は積極的に「経済的自立」を果たして欲しいと思います。

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