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№5843:指導者の評価は関与した人材がその後、どれだけ社会で活躍したかで成されるべき

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こんにちは。スモールジムで会長をやっている遠藤です。

2013年から「少人数型会員制オンラインビジネススクール(FBL大学)」を運営し、2020年から約20坪タイプの「スモールジム」を全国に展開中です(2023年内に全国30店舗体制見込み)。

さて、既に先月のことですが、夏の甲子園大会で神奈川県代表の慶応高校が107年ぶり2度目の優勝を果たしました。

慶応高校野球部については森林監督の古い価値観を打破する指導法に注目が集まっていますが、そのうちのごく一部に「脱坊主」があります。

同じく甲子園優勝経験を持つ高校野球部出身の私は当然、坊主頭でした。

一年生時に本入部をする際は五厘刈りを強制されていました。
※今から43年前のことです。

個人的な印象ですが、私世代の多くは「高校野球は坊主であるべき」と考えているように感じます。

が、私は「坊主にする必要などまったくない」と思います。

そう考える理由は2つあって、1つは「競技人口が減るから」です。

野球関係者がもっとも考えるべきセンターピンはこの一点だと思います。

一体どこの誰が丸坊主にして、監督の指示命令にハイハイ従うような生活を望むのでしょうか。

野球少年たちは大谷翔平選手のような「野球を楽しんでいる選手」に憧れるはずです。

私が高校球児だった頃は、坊主が強いチームの証でした。

なので、坊主と髪型自由の高校があったら、自ら前者を選んでいたと思います。

当時は私みたいな学生が大半でしたから、それでも野球人口は増えていたのです。

そこからサッカーがプロ化し、バスケットボールがプロ化し、その他も様々な競技が台頭してきています。

そんな時に坊主頭で監督の指示に戦々恐々としているような学生は「ダサい」と思われるのが当然です。

2つは「自分の頭で考えることを奪っているから」です。

高校生にもなって坊主を強制するなど海外だったら裁判になるのではないでしょうか。

坊主強制だけでなく、野球における多くの高校の特徴は「監督が怖い」ということです(これは高校野球だけではないですが)。

さらに野球は一球一球監督のサインで動きます。

もちろん自分で考える局面はたくさんありますが、基本的に「怖い監督が出すサインという命令に従う」という習性がつきます。

ここ数年は「ノーサイン」で甲子園出場を果たした高校が出てきましたが、そんなことができる監督はまずいないでしょう。

その理由は「生徒個々の成長」より「勝つこと」を優先しているからです。

社会に出てもっとも必要な能力は「自分の頭で考えること」です。

考えることをしないから、ひたすら他人が敷いたレールの上を歩む人生になるのです。

指導者の評価は関与した人材がその後どれだけ社会で活躍したかで成されるべきだと思います。

競技における瞬間最大風速は関係ないし、ましてや坊主云々なんてもっと関係ないと思います。

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