№5790:我慢とは「許容量」である
こんにちは。遠藤です。
※過去分(4740回分)はこちらにあります。
さて、少し前のFBL大学の講座でシェアした考え方を記します。
ありがたいことに「なるほどと思った」という声を多くいただいたので。
それは「我慢」について。
多くの人が「我慢は美徳」と思っています。
偏った思考のトレーナーやインストラクターも「我慢」とか「制限」とかをよくさせます。
が、「我慢」というのは「制限」でもなければ「節制」でもありません。
我慢とは「許容量を示すこと」です。
「ここまではよい」という範囲を知ることが「我慢」です。
逆から言えば「問題ない範囲を知る」ということになります。
が、多くの人は逆になっています。
例えば、ダイエット中のお菓子。
「お菓子を食べてはいけない」「お菓子は我慢しなければいけない」と考えるし、そのように教わります。
「全か無か」
「白か黒か」
「食べるか食べないか」
これだから我慢ができないのです。
私だったら絶対に食べます。
我慢できるのはよほど意志が強い人だけでしょう。
そうではなく「ここまでは食べても大丈夫ですよ」という範囲を知らせることが「我慢を教える」ということです。
「我慢」や「制限」をしたところで目的や目標を達成できなけらば何の意味もありません。
こうなるのは視野が狭いからです。
常日頃からいっているように「視野」とは「幅」のことです。
物事は「幅」から見ていかないと何が正しいのかがわかりません。
このことは「入口が広い穴」と「入口が狭い穴」で説明するのがわかりやすいと思います。
「入口が広い穴」から下を見たら「全体」を見ることができます。
仮に穴の中に同じようなものがあれば「あれとこれとは同じだな(似ているな)」ということがわかります。
一方、「入口が狭い穴」は1つのもの(こと)しか見えません。
すぐ隣に同じようなものがあっても、それに気づくことができません。
それしか見えていないのだから、それを正しいと信じ込むのは自然な流れです。
「小さな穴の中」にあるのが「1」で、その他に似たようなものが「99」あっても、それが見えないということです。
これが「これしかやってはいけない」とか「これだけが正しい」といった「我慢」や「制限」を生んでいきます。
私は「我慢」なんて息苦しいだけだと思います。
「我慢」は「行動する方向」「積極的な方向」で行なえばいいと思います。
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