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死ぬ瞬間の5つの後悔~著者ブロニー・ウェア

お疲れ様です。久々の投稿になってしまいました。。。
暇つぶしに読書したり、趣味の競馬やプロレスを観戦したりと変わらない日々を送っていますが、NOTEへの投稿はサボっていました。

さて、本日はタイトルに惹かれたので紹介させていただきます。

生きている限り、全ての人に死が訪れる。にもかかわらず、命の期限を知ったときに、なぜ人は後悔するのか??
本書を読むと、自身の人生が愛おしくなってくるのではないだろうか。

【要点】
①「死ぬ瞬間の5つの後悔」は、「自分に正直な人生を生きればよかった」「働きすぎなければよかった」「思い切って自分の気持ちを伝えればよかった」「友人と連絡を取り続ければよかった」「幸せをあきらめなければよかった」である。

②もしも死の間際になって、自分の人生を後悔したとしても、ありのままの自分を受け入れ、許すことで、心の平安を手に入れられる。

③後悔しない人生を歩くためには、自分の心に正直に生き、すべての幸福に感謝することが大事である。


【必読ポイント】 自分が望む人生

人が最も多く後悔すること

著者が在宅介護を担当した緩和ケアの患者グレースは、小柄な体に大きな愛情を秘めた女性だ。グレースの結婚生活は50年以上にもおよんだ。自分の役割を果たし、子どもや孫の成長に喜びを感じる一方で、暴君の夫のためにつらい思いをしてきた。そのため、夫から離れて旅することや、あれこれ指図されず、シンプルで幸せな生活を送ることをずっと夢見てきたのだ。
彼女の夫が終身の老人ホームに入ることを了承したときは、解放された思いだった。しかし、待ち焦がれてきた自由を手に入れてまもなく、グレースは不治の病によって寝たきりになってしまったのである。
グレースは死に直面してはじめて、やりたいことをやる強さを持てなかったことを後悔し、自分に腹を立てていた。世間体を気にして他人に期待されるとおりに生きてきたことは、自分で選んできた道である。先を恐れて何もできなかったことに気づいたのだ。
グレースは最期の日に「自分に正直に生きてちょうだい。他人にどう思われるかなんて気にしないで」という言葉を著者に遺した。
著者が在宅介護の仕事をする中で聞いた最も多い後悔は、「自分に正直な人生を生きればよかった」というものである。そして、自分に正直でいるためには勇気が必要である。

人は環境に染まりやすい


30代後半のアンソニーは、危険なほどに向こう見ずで挑戦的な生き方をしてきた。それにより、内臓と手足を痛め、介護が必要となった男性だ。有名な実業家一族に生まれた彼は、ユーモア、茶目っ気があり、知性やチャンスにも恵まれていた。しかし、同時に、自己評価の低さを秘めていた。
回復が見込めないことがわかったアンソニーは、療養施設へ。死が近い老人たちに囲まれて生活することになった。他の年老いた入居者たちは彼をかわいがり、彼は家庭のプレッシャーから解放された。そのせいか、施設に入ることに不満はなかったようだ。
しかし、明るさを失っていった。外出をしたがらず、何か学んでみたらという提案にも聞く耳を持たない。
他の入居者よりも30歳は若いはずなのに、輝きを失い、老け込み、環境に染まってしまった。数年後に亡くなったが、施設から外に出ることも、家族の集まりに参加することも拒み、「放っておいてほしい」と言っていたという。もう人生を向上させる努力をする気力がないことを認めたアンソニーは、大きな恐怖心に支配されていた。決まりきった日課だけで毎日が過ぎていくのは、安全であるが、満足感は得られない。長い間、自分に合わない環境に身を置くと、そこに染まってしまい、本当の幸せと満足感を知る機会を失ってしまう。自分が向かっていきたい方向に合った環境に身を置くことが大切だ。

働きすぎなければよかった~大切なのはバランス

もうすぐ90歳になるジョンは、不治の病に侵されている。あるときジョンは、自分が抱えている後悔を著者に吐露し始めた。「働き過ぎたから、今、こうして孤独に死んでいこうとしている。引退してからずっと一人だった。そんな思いをする必要はなかったのに」。
ジョンと妻のマーガレットは、5人の子どもを育て上げた。全員が成人し、巣立ったところで、マーガレットは、ジョンに仕事を引退してほしいと話した。豊かな引退生活を送るための十分なお金もあったし、何よりも寂しかった。しかし、それから15年間もの間、引退を望むマーガレットを待たせた。ジョンは仕事も仕事上の地位も満喫していたのだ。妻の寂しさをやっと理解し、引退する決意を伝えたとき、マーガレットは喜びの涙を流した。ところが、それは「1年後に」という条件つきだった。期限まで残り3か月というところで、マーガレットは病気で亡くなってしまう。それ以来、ジョンは罪悪感にさいなまれてきた。
地位が自分の価値を決めると考えていたため、引退を恐れていた。死を目の前にして、地位や物質的な成功で自分の価値をはかることに意味がないと気づいたのである。より良い暮らしを求めることは悪いことではない。だが、求めすぎると、愛情や好きなことをする時間といった、本当に大事なものから離れてしまう。
ジョンが遺した言葉は「働きすぎるな。バランスを失わないようにすること。仕事だけが人生じゃない」。


シンプルに生きること


患者の命があと一週間になると、患者本人は心の平安を取り戻すことが多い。一方で、その子どもたちは親を亡くす恐怖や、その際にどんなにつらい思いをするかという恐れから、気持ちが張り詰めてしまう。そのせいで子どもたちが感情をコントロールできず、恐怖とパニックに振り回されることはめずらしくない。
チャーリーの家族も同様だ。残された時間が少ないチャーリーのベッドをはさんで、成人した2人の子どものグレッグとマリアンが、怒鳴り合いを始めた。きっかけは、遺言状の内容だ。グレッグは父親に尽くしているのに、家を出て自分の望む人生を歩んでいるマリアンが財産を同じだけもらうことに怒っているのだ。2人の諍いは、遺言状に限らず、20年以上も積もり積もってきたという。また、チャーリーはグレッグを心配していた。自分に尽くしすぎるうえに、子どもの顔を見る時間もないほど、長時間働き続けていたためだ。「ただ、幸せになってほしい、どんな親も自分の子どもにはそう願うだろう。あんなに働くのをやめて、シンプルな暮らしをしてほしい」。
そこで、著者はチャーリーに「グレッグに愛していると伝えてはどうか」と提案した。グレッグが愛されていることを理解していないのではないかと感じたのだ。
チャーリーはグレッグに自分の気持ちを伝え、それを聞いたグレッグとマリアンは距離が近くなった。3人の心が通じ、癒される瞬間だった。
チャーリーが逝去した後も、グレッグとマリアンはよい関係を続けている。そして、グレッグは、チャーリーの望んだとおり、転職し、以前よりもシンプルな生活を送っている。収入は下がったものの、子どもと過ごす時間が長くなり、生活の質はあがったという。

幸せをあきらめなければよかった~幸せになる権利

国際的な企業のエグゼクティブであるローズマリーは、その州で女性初の経営者として高い地位に就いた。しかし、そんな彼女には不幸な結婚の経験があった。精神的にも肉体的にも虐待を受け、離婚をしていたのである。当時、離婚はスキャンダルだった。
名家だった家族の評判を損なわないためにも、町を離れなければいけない。そう考えた彼女は心を閉ざし、頑なになっていった。ひたすら努力し、男性優位の世界での成功に全てをささげていた。
そんなローズマリーは80歳になり、余命宣告を受けた。ヘルパーに対して威圧的で、気に入らないと次々にクビにしていく。そんな彼女は、著者のことだけは少しずつ受け入れていった。あるとき、ローズマリーはこんな言葉を漏らした。「幸せになりたいけど、どうしたらいいのかわからない」。離婚で一族の名前と評判に傷をつけたため、幸せになる資格がないと思いこんできたのだ。
そこで著者は自分自身を許し、幸せになってもいいと伝えた。提案したのは、「幸せなふりをすること」である。30分間だけ否定的なことを言うのをやめ、微笑みを絶やさずに素敵なことを言う。幸せになるには、意識して努力することも必要だ。やがて、ローズマリーは幸せになってもいいと思えるようになり、笑う回数も増えていった。
ローズマリーの後悔は「もっと幸せに過ごせばよかった」というものである。「自分には幸せになる権利がないと思い込み、他人の意見に引きずられて幸せにならずにいるなら、それをやめればいい。そんなの本当の自分ではない。どうしてもっと早くに気付かなかったのかしら。最近は本当の自分が好きになってきたわ」。そう話すローズマリーは、最期を迎えるまでの数か月間を幸せに過ごすことができた。

後悔しない人生とは自分を愛すること
著者は多くの終末期の患者を介護し、いろいろな面で成長した。同時に疲れきってしまい、あるとき介護を離れることにした。自然豊かなコテージで創作活動をしながら、平穏で感謝に満ちた生活をしていた。精神面ではすべてうまくいっているはずだった。
ところが突然、心が折れ、そのままどん底の状態になった。気力は一晩で消え去り、鬱状態に陥ってしまった。若い頃に批判され続けてきた苦しさ、そのままの自分を受け入れてもらえなかった苦しさ。こうした自覚がないままに心の奥に積もっていた苦しみが、一気に浮かびあがってきたのだ。
これ以上、生きていけない。そう思い詰めて、遺書を書き終えた著者を引きとめたのは、保険の勧誘の電話だった。明るく陽気に保険を勧める声で我に返ったのである。そして、自分がいかに無神経であり、自分のつらさで頭がいっぱいになっていたかに気づいたのだ。
鬱状態を乗り越えた著者は、新しい自分が生まれたことを実感した。誰にも邪魔されず、罪悪感もなく、自由に幸せを感じていい。自分を憎んだり、苦しんだりすることをやめて、ようやく本当に自分を愛せるようになったのだ。

ありのままの自分を受け入れる
どん底から立ち直った著者は、看取った患者たちの後悔を聞いた経験から、いつ人生が終わっても後悔しないように生きる決意をしていた。
終末期の患者は、人生を振り返る時間を与えられた人たちだ。たしかに、死が迫るにつれ、否定、恐怖、怒り、後悔、自己否定などの感情を経験する人は多かった。だが、最期の数日間は、心に浮かんだ思い出に愛情や喜びをかみしめていた。そして、後悔の原因を作った自分を許し、穏やかな気持ちになっていったのだ。
もし、不慮の事故などで突然亡くなった場合、心の平安を見つける時間はないかもしれない。そうなると後悔しながら人生を終えることも考えられる。
だからこそ、今のうちに自分の人生について改めて考えてみることが大事になってくる。間違ったやり方で幸せを追い求め、手遅れにならないためにも、自分の心のままに生きる強さを持つべきだ。そうすれば、他人にも自分にも優しくなれるし、人生を変えるための力を見出せる。人生はあっという間に過ぎていく。正しい人生を歩み、人生を目一杯生きるには勇気が必要だ。自分に与えられたすべての幸運に感謝することが、残された時間を大切に生きることにつながる。

一読のすすめ


本書を読むと、人が本当に望んでいることは、とてもシンプルなことだと感じる。余計なものを持ちすぎているから、本当に大切なものが見えにくいのかもしれない。
人生の終わりは必ずやってくる。元気なときには気づけないことはたくさんあるはず。だからこそ、いつの日か「やり切った!」と思える人生を歩むためにも、自分自身の正直な気持ちと向き合っていただきたい。

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