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サミットの思い出は…

広島でサミットが開かれていて、ニュースはその話題ばかりではありますが、テレビで観るのと、現場にいるのでは随分と印象が違うものです。

初期の頃に日本で行われたサミットは場所は東京で迎賓館が会場でした。1979年のサミットは記憶が無いのですが、1986年の時は本当に大変でした。たまたま当時、一人住まいをしていた家が迎賓館からあまり遠くないので、開催期間中はエリア一帯が封鎖され、そのエリアに出入りするにはお巡りさんがいる柵を開けてもらって出入りするという状態です。そういえば2021年のオリンピックの時もそうなりましたし、今では珍しい光景でも無いかもしれませんが、当時としては「戒厳令かよ」と思ってしまう警備風景でした。

その頃に乗っていた車はボロいワゴン車でしたし、住所も実家のママだったので、地域に住んでいることを示す証明書が無くて、いろいろ面倒でした。町内会で配られた紙をもらったので、何とかなりましたが、お巡りさんの方にノウハウが足りなくて、自分だけではなくあちらこちらで大混乱が起こっていた覚えがあります。

だいたい全国から集められたお巡りさんなので、東京のことを知らなすぎます。住所を言っても通りの名前を言ってもほぼ判らず、いちいち地図を見て確認しないと意味が通りません。それに一方通行もどう繋がっているのかわかっていないので、自分がどういうルートで移動したいかも伝わらず、何度もゲートを出入りする羽目にもなりました。車の中を覗かれて下には鏡を突っ込まれるので、出入りするたびに車列に並んだのですよ。

もっともこの時に2キロ以上離れた場所からロケット弾が発射されるという事件があって、いくら近場を警戒しても仕方がないということにもなり、それ以降は東京でのサミットは開かれなくなったので、もう大丈夫だとは思うのですが、何らかの大きなイベントが近くで行われると厳しい警備の真っ只中になってしまうというのは相変わらずです。でも、お巡りさんの警備のノウハウはかなり貯まったようで、随分といろいろなことがスムーズになったとは思いますよ。こういうのは経験が大事です。

第5回先進国首脳会議

第12回先進国首脳会議

迎賓館ロケット弾事件

1986年東京サミット同時時限発火事件


しかしながらサミットとの縁は切れなかったようで、2000年に沖縄でサミットが開催される直前に、どういう訳だか沖縄に社員旅行に行くというイベントがありまして、期間中ほどではないにしても警備の真っ只中に飛び込んでしまいました。まあIT業界は無事にY2Kを乗り切って少しばかり余裕があったので、どこかに出掛けよう、でもパスポートの準備や治安の問題もあるので国内ということで沖縄になったのですが、予定を立てた時にはサミットのことなんて気が付かなかったんです。

今はなき首里城に行けば、大阪弁バリバリのお巡りさんが警備していて、何だかオキナワ感が削がれていましたし、写真を撮るにもお巡りさんの待機場所になっているテントが立ち並び絵になりません。国際通りでは参加国首脳の似顔絵を描いたお面が配られていて、まだヨチヨチ歩きだった長男くんは、シラク大統領のお面を被ってよくわからない行進を練り歩きました。

そういった多少の不便を除けば観光客なので、あまり困るようなことも無かったのですが、空港の警備は厳しくなっていて、かなり丁寧?に荷物を引っくり返されたような気はします。まだ開催前なのにホテルも関係者が泊まる予定があるらしく、ちょっとだけ緊張感もあって、あちこちキレイにしていましたね。

第26回主要国首脳会議


という訳で、広島の方もいろいろな小さな不便を被っているとは思いますが、お巡りさんやマスコミの方も、こんな時でないと訪れることもない方もいらっしゃいますので、是非ともご当地をたっぷりアピールしてください。まあ地域の知名度は上がるのでしょうが、やはり都市で開催するのはやめておいたほうが良さそうには思います。このまま何事もなく無事に終わることを願っています。

ヘッダ写真は、沖縄で買って、そのまま着ていたサミット記念Tシャツ。

#先進国首脳会議 #サミット #東京 #沖縄 #広島 #ロケット弾 #警備

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