金色のガッシュという作品の偉大さと魅力を語る

ガッシュ2が始まって早くも3ヶ月。2が始まったことで、原作を改めて読み返した人も多いと思う。もちろん僕もその一人。
単にものすごく面白いと思いながら読んでいた学生時代。単行本の発売が楽しみだった。
あれから就職し、結婚し、子供もできた。もはや少年どころか青年でもなくなったが、今だからこそ、いかにこの漫画が傑作かよく分かる。
金色のガッシュがなぜ名作なのか、5つの理由から語りたい。

名作な理由①一貫性のあるストーリー


少年漫画において、最後まで矛盾なくストーリーを描くのは難しい。

週刊という驚異的なペースで描き続けている以上、多少の矛盾はやむを得ない。無理に帳尻を合わせようとして、作品の熱量が下がる方がデメリットが大きい。
例えば、HUNTER×HUNTERの念の設定など、連載開始当初は間違いなく存在しなかった。が、だからといってこの作品の評価が下がったりはしない。念能力は偉大な発想だし、念能力があるからこそ、それ以降の展開は、話の筋に加えて、どんな念能力が現れるかということも楽しみにできた。
論文を読んでいるわけではないのだから、矛盾の有無より、作品の面白さのほうが大事なのは当然のことだ。

そんな中、金色のガッシュという作品には、「100人の魔物の子供が、人間の力を借りて、最後の一人まで戦う。」という、人数制限という意味でも、どんなに親しいキャラでもいずれはいなくなるという意味でも、いつ崩壊してもおかしくない設定がある。
この設定を、一貫したストーリーとして最後まで矛盾なく描ききり、むしろその設定を長所とした稀有な作品が、金色のガッシュである。
長所としての活かし方と、矛盾のない展開の凄さについて分析する。

長所としての活かし方


完結まで間延びせず、キャラが魅力的で、感動的なシーンが多い。
ガッシュでよく聞く評価である。
これらは、作者の雷句先生の力量によるものであることは当然だが、設定により生み出された面もある。

100人という人数制限があることで、作品が最後まで間延びしなかった。
人間とペアを組むことで、各キャラの魅力は最大限引き出された。
作者の圧倒的な表現力も相まって、魔物1体が消えるごとに、語り継がれる名シーンが生まれた。

見事なほどに、設定のおかげで長所が生まれている。
ペアであることによりキャラを掘り下げ、別れのシーンでピークを迎える。一つ一つの別れのシーンが、一つの作品として完成しているレベルで感動的。
キャラ紹介記事を書いたブラゴフォルゴレゼオンはもちろんだが、ダニー、バリーなど何回読んでも泣いてしまうし、敵キャラのロデュウあたりもいい味を出している。

矛盾のない展開

前述したとおり、展開に矛盾がないことは、作品の面白さには関係がない。しかし、先ほどの長所のとおり、前提として、金色のガッシュは最高に面白い作品である
この作品が、最初から最後まで矛盾のないストーリーで完成されていることに気付いたとき、「面白かった」という感想だけではなく、至高の芸術作品を見たかのような感動が味わえる。
作品全体の半分以上の尺を使った千年前の魔物編とファウード編を題材に振り返る。

千年前の魔物編

ブラゴ、シェリーペアの宿敵であるゾフィスをラスボスとするこのシリーズ。
他者を操ることに真価を発揮するゾフィスというキャラにとって、本作の設定は足枷である。
100人という制限がある以上、自分の傀儡にできる魔物の数には限界がある。
更に、生き残るのが一体という設定上、そもそも現代の魔物を味方につけて団体戦を行うのは無理がある。ノーリスクで洗脳できるような能力があっては作品のバランスが崩壊してしまうし、同条件で始まった戦いなのに、脅迫に使える材料をゾフィスが持つというのも考えにくい。

そこで、「千年前の戦いで」「石にされたというトラウマを持つ」キャラを登場させることで、人数制限を取り払い、トラウマを利用しての洗脳ということで、強さのバランス調整にも成功している。
人の弱味につけこむゾフィスの悪質さを際立たせつつ、本来シェリー達の宿敵であるはずのゾフィスを、清麿達にとっても倒すべき敵に格上げ。設定を崩さない見事な展開である。最後まで卑怯だったゾフィスをブラゴが倒す瞬間のカタルシスは凄まじい。

ファウード編


先述したとおり、「勝つのが一人」という設定により、王を決める戦いは、そもそも団体戦になりにくい。
清麿達のように、残った誰かが王になればいいと考えてチームを組めるほうが例外的なのだ。

そこに、魔物単体が所持すれば他は太刀打ちできないファウードという超巨大兵器を投入することで、悪役に徒党を組ませる。
地球の存亡に関わる兵器を介在させることで、戦いのスケールを広げ、ガッシュの王としての器を試しつつ、ガッシュ単体との因縁しかなかったゼオンを、シリーズの親玉に設定。
更に、成長のために必須の清麿の死というイベントはリオウに行わせることで、兄であるゼオンを救いようのない悪にまでは落とさない。
兄との共闘という誰もが見たいシーンを、発動を一度きりに絞る代わりに、本来誰も太刀打ちできないはずのファウードに撃つ。会話シーンに加え、あの巨大なバオウ・ザケルガの迫力により、ゼオンとの本当の和解が成立したように感じられる。

全体のバトル展開自体が最高峰の熱さを持つファウード編の中に、これだけの要素が散りばめられているのだから恐ろしい。一つのズレで粉々に砕けてしまうようなパズルが見事に完成させられている。

名作な理由② 魔物の子とのペア


魔物の子は、所持する本を読める人間が術を唱えなければ術を発動できない。必然的に、「魔物の子」と「本を使う人間」が、ペアとなる。
シャーマンキングしかり、人間と異世界キャラがバディになる作品自体は珍しいものではない。
しかし、敗北が、ペアそろってのストーリーからの脱落になるのではなく、人と魔物の子の別れになるという点が革新的。
ペアの数だけ関係性が生まれ、ドラマが生まれる。友人、師弟、恋人、兄弟、主従、親子etc、2名の関係性ごとの、出会いから別れまでの物語が本作の魅力の一つである。

そして、強さが魔物単体ではなく、人間との掛け算で決まるという点も展開に広がりを生み出している。
・単体の強さとしては最強格に見えるレインは、コンビであるミームの気の弱さから、自ら戦いから離脱することを選ぶ。
・終盤まで協力な術をほとんど覚えないガッシュは、清麿の知略により苦境を切り抜ける。
・始めから強いゼオンは、アンサートーカーというチート能力を持つデュフォーと組むことにより、更なる絶望を与えてくる。
一つのバトルの中に最低4者(魔物と人間×2)が関わることにより、毎回予想できない展開が生み出される。
言葉でのコミュニケーションができないウマゴンとサンビームのペアが作中上位のコンビネーションを発揮したり、お嬢様のシェリーが物騒な武器を振り回してブラゴをサポートするなど、バトルそのものの面白さも金色のガッシュの魅力の一つである。

名作な理由③ キャラの魅力

キャラの魅力を引き出す設定がうまくできていることは既に述べたが、当然ながら、実際のキャラが魅力的でなければ意味がない。本作は、キャラクターが本当に、本当に魅力的である。個別キャラの魅力は別記事でも書いており、例を挙げるとキリがないため、主人公コンビについて語る。
清麿については別記事で触れたし、ガッシュ単体で語るとそれだけで1記事になってしまうので、コンビという観点から。

ガッシュと清麿

バトル漫画によくある、主人公のバトルより他キャラのバトルのほうが盛り上がるということが、この作品には全くない
これだけたくさんいる魅力的なキャラの中でも、ガッシュと清麿という主人公コンビは、最初から最後まで最も強い光を放ち続けた。

突然だが、僕は、金色のガッシュという作品の中で、第1話が最も好きだ。

「清麿は好きで天才になったわけじゃないんだぞ!」
から始まる一連の台詞に、人の本質を見抜き、何があっても正しい者の味方になり続けるガッシュの魅力が凝縮されている。
これにより、天才であるが故に周囲から疎まれ、他者のために動きたい気持ちを封じてきた清麿の殻は破られる。
今後何度もある、清麿がガッシュへの感謝を話すシーンは、この瞬間のことを指している。
王を決める戦いという設定こそ出ていないものの、清磨のガッシュを支えるという思いは、この時点で生まれたことは間違いない。第1話にして二者の関係性が完成しているのが素晴らしい。

ここから始まる二人の関係は、優しい王様を目指してぶれずに進み続けるガッシュを、清磨が、単に支えるだけでなく、王になるために必要なことを考え、時に導くという形で続いていく。
互いに全幅の信頼を置き、術の威力で劣る相手にも機転と勇気で立ち向かい、窮地を切り抜ける二人の姿は主人公の魅力に溢れている。ガッシュを王にさせたいという清磨の思いが常に読者と一致するから、いつだって二人のバトルシーンが一番盛り上がるのだ。

少しそれるが、ガッシュがティオに対し、清磨への信頼を語るシーンがある。
この信頼は、賢さだけでなく、道を切り開く姿全般に対するものだろう。ガッシュ2でジギーが語った「絶望から希望を生む」という言葉は、ガッシュがジギーに話した言葉なんじゃないだろうか。

名作な理由④頭のネジの外れたギャグ


※褒めてます。
そもそも雷句先生は、シンプルにキャラの会話で笑わせる場面作りも超一流。
例えば、クラスメイトの山本の野球練習に付き合う際の、
山「俺の新兵器・・・「炎の消える魔球」が完成するまでつきあってくれよ!」
清「・・・・・・・・・」パァン!(ボールをキャッチする音)
清「(困ったなあ・・・)」
清「「炎」か「消える」か、どっちかにしねーか?
山「ダメだー!!」
などは、困ったなあ・・・のコマのなんとも言えない清磨の表情の効果もあり、ギャグマンガ顔負けの面白さである。

しかし、真価はそこではない。
あれ、作者の精神状態大丈夫かな…?というレベルでゲージの振り切れたギャグが飛び出すのもガッシュの特徴である。
何個か例示してみる。

ビクトリーム


人気が出すぎて、読者の要望により再登場することになった有名なギャグキャラ。
しかし、読み返すと分かるのだが、ビクトリームが登場するシーンについては、展開上、登場の必然性がない。千年前の魔物編は、ビクトリーム戦前後にもバトルが繰り広げられており、相手の戦力紹介、自軍の成長、疲弊、どの観点からも、ビクトリーム戦は必要がないのだ。
そんな中、圧倒的な強さを見せながら「ブルアァァァ!!」などという謎の悲鳴とともに自滅し、「股間の紳士に!」などと言いながら局部にエネルギーを貯めて読者を笑わせにくる。初めて読んだとき、腹がよじれるほど笑ったことを今でも覚えている。
シリアスなシリーズの最中に、作中トップクラスの面白キャラがぶちこまれるバランス感覚。ガッシュならではである。

ウンコティンティン


ウンコティンティン。
漫画家の気持ちなどもちろん分からないが、ギャグマンガ家ですら、キャラ名にストレートにうんこちんちんと名づけることには抵抗があるのではないだろうか。クレヨンしんちゃんだって雲黒斎なのだ。
ティンティンはまだ分かる。なんか、一応葉っぱで局部を隠そうくらいの心意気は見える。だが、ウンコはそのままである。排泄物の名前がストレートに名前の冒頭に入っている。
それを、ウォンレイという、主人公側メインキャラを倒すようなキャラに名付ける。
控え目に言って頭のネジが複数本外れている。
※褒めてます。
そして、ウォンレイが魔界に帰るシーンはしっかり感動的になっている。どういう技術なんだ。なんで僕はうんこちんちんの自爆シーンで涙を流しているんだ。

その他


アンサートーカー喪失の際の、清麿が夢の中で色んなキャラにアホのお手玉をぶつけられるシーン、ナゾナゾ博士が連れてくるビックボイン、教職どころか真っ当に社会生活を歩めるのか怪しい学校の先生など、雷句先生の発想は常人とは根本的に異なる。

名作な理由⑤見せ場の作り方

感動的なシーンが多いことは既に述べたが、そのシーンの作り方も絶妙である。

関係性による盛り上げ


人知れぬ努力、苦しみ、葛藤、成長を、誰かが見ていてくれて、それを認めてくれるシーンというのは、ジャンルを問わず心に響く。
ガッシュには、そういったシーンがとにかく多い。

身を呈して美術品を守ったダニーを、「今のおまえを誰が若造などと呼ぶか」と認めたゴルドー。
激戦の末に強さを得た後、王への道を放棄し、ガッシュを殴ってでも先に行かせたバリーを、「王をも殴れる男になった」と称賛したグスタフ。
いたずらばかりしていたモモンが、仲間を守るために見せた勇気に対し、「あなたは私の誇りです」と伝えたシスター。
挙げればキリがない。ほとんどのキャラクターにそういった見せ場がある。

誰よりもその魔物を近くで見てきた人間キャラが、別れ際にかける言葉の一つ一つが珠玉の名台詞なのである。
別れ際とは違うが、清麿の天才故の苦悩を見抜き、友であるとガッシュが宣言した第1話もまたそういったシーンの一つといえる。ガッシュは盲目的に清磨を信じたのではなく、先生やクラスメイト、スズメ、清磨自身の姿を見て、清磨の本質を見抜いた上で発言している。

王道+オリジナリティ+表現力


展開自体を言葉でまとめると、実はベタなシーンも多い。フォルゴレとキャンチョメの別れのシーンも、「優しいキャラが圧倒的な力を持った結果、本来の優しさを失い、仲間による声掛けで正気に戻る」という、言語化すると、よくあるシーンに見える。
しかし、あの名シーンを「ありがち」などと評する人はいない。
シン・ポルクという幻術の中で行われるというオリジナリティ、フォルゴレというキャラの独自性、ここぞというタイミングでの「私はいつだってカバさんだった。私の姿は、キャンチョメの目にはカッコ悪く映っていたかい?」という台詞、そこに至るまでの展開、超大ゴマでこの台詞を言わせるコマ割。表現力がずば抜けている。
ベタということは、王道ということである。そこにオリジナリティ要素が加わり、更に雷句節ともいえる台詞回しや表情を含む表現力が合わさることで、数多の名シーンが生まれた。
王道なのに新しい。そして心に響く。名シーンが多い所以である。

まとめ


ペアという要素は、近しい者が努力を認めるというシーンとの相性抜群。
・本を燃やすことで魔物が魔界に帰るというシリアスさを、魔物の「子供」が争うという設定と、独特のギャグセンスで緩和し、重くなりすぎないように調節している。
一貫したストーリーは、最後までキャラをぶれさせないことで、ただでさえ魅力的なキャラ魅力を更に引き上げている。最後まで誇り高く、強さを保ったブラゴがその好例である。

以上のように、それぞれの要素が相乗効果を発揮することで、唯一無二の傑作になっているのが金色のガッシュという作品である。この記事では触れていないが、最終章の締め方まで含めて、一切の欠点が見当たらない。

これほどの傑作には二度と出会えないだろうと思っていたら続編が始まっているというのだからすごい。
更新を楽しみにしているだけで、日々を前向きに過ごせる。そんな作品をまた追いかけられる幸せを、存分に嚙み締めたいと思う。

ガッシュ2の各話感想も書いてます。
page1
page2①清麿編
page2②ワイグさん編
page3

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