「老いと死」と向き合う
ああ、これは言葉にしないと、
と久しぶりに思い、筆を取っている。
先日、こんなイベントに参加してきた。
「老いと死」は、ここ3年くらい関心があり、
本を沢山読んでいた時期があった。
きっかけは愛犬の老いを感じ始めたことだった。
普通に立っているだけで、足が震えて
筋肉の衰えを感じ始めた時、
あと何回、その顔を見ることができるのだろうかと
逆らうことのできない時の流れを恨んだ。
できるだけ、長生きしてほしいと思った。
ぼくの想いも空しく、
あっという間に、自分の力では歩けないほどに
弱ってしまい、もう先が長くないという
家族の知らせを受けて、急いで帰省した。
滞在の最後まで寄り添ったが、
東京に帰る新幹線の中で、
愛犬の訃報を聞いたことを思い出す。
筋肉が衰え、1人では立てない、
食事、排せつができなくなる「老い」
心臓の鼓動が止まり
もう二度と動くことのない「死」
悲しい、受け入れたくないという気持ちを
1人で消化しきれず、様々な本を手に取った。
もう少し前に遡ると、
僕を育ててくれた祖母が認知症を患い、
施設に入り、亡くなった時、
ぼくは京都の大学にいたこともあり
葬式には参加せず、祖母の死に目に会えなかった。
その時に、家族思いで、真面目な父が
人知れず涙を流していたという話を聞いて
その場にいられなかったことに、悔いが残っている。
父は一人っ子で、父を1999年に無くし、
若くして、家を守る決断をして、
大学院を諦め、身を粉にして働いてきた人だった。
唯一の肉親である母が亡くなった時の
悲しみは、想像に難くない。
次の帰省まで期間が空いたこともあり、
祖母の死について、改まって
家族で話すことはなかった。
そのことが、ずっと自分の心にひっかかっていることに気付いた。
今年の年明け、母方の祖父母も含めて、家族写真を撮ったこと。
帰省するたびに、愛犬、祖父母の写真を残していくことは、
自分にできる、唯一の親孝行かもしれないと思っている。
しごとバーでは「老いと死」について
家族で話すきっかけを沢山貰った。
中でも印象的だったのが、
今回のゲスト 尾山さんが開いた
写真展「ぐるり」での一コマ
看護師も在廊した展示会では
展示会に訪れた人たちが「老いと死」に触れ
自分のことを話し出すらしい。
自分はこうやって死にたい
実は自分は過去にこんなことがあって、、
展示会が、「老いと死」を話す
きっかけになっている。
モヤモヤを1人で受け止めなくていい
正面から相手の顔を見て、話さなくていい
写真を眺めながら、
実は、私はこんなことを思っていた
その言葉を互いに交わすだけで
家族で、誰かとの間で
「老いと死」を一緒に
受け止められるようになるのではないか。
1人で消化しきれないものは
1人で消化しなくていい
次に帰省したら、
今回貰った本を一緒に読みながら、
家族と話をしてみようと思う。
同じ内容のPDFが
無料ダウンロードできるので
気になった方は是非!
特に、ぼくに影響を与えたものたち
「弁当 is Ready」2020 Kyoto graphie
「ぼくは独り暮らしの老人の家に弁当を運ぶ」福島あつし
最後の力を振り絞って
一生懸命に生きようとする姿
そこに「生」に執着する
人の力強さを見出した。
「動物たちの家」奥山淳志
「自分」の悲しみから離れ、
「亡くなったものたち」を想う
彼らは、どんな気持ちだっただろうか。
うちに来て、過ごした日々は、
間違いなく幸せだったと思う。
全力で尻尾を振って、
喜びを全身で表現する
その裏表のない純粋な気持ちに
僕ら人間はいつも救われている。
「庭とエスキース」奥山淳志
弁造さんの”生きること”を思い
紡がれた24編の記憶の物語と、40点の写真。
「ぼけと利他」伊藤亜紗
ぼけは、病気ではない。
自分と社会を開くトリガーだ。
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