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情報との上手な付き合い方について

情報の受け身にならない。
昔は、情報は自分から撮りにいくモノだった(と思う)。

就職活動は分厚い冊子を一枚ずつめくって、気になった会社に直接電話をかけるスタイルだったのかな。今の就職活動が昔には無かったと想像すると、一体どうやって就活してたんだ(驚愕)と思った。

新聞やテレビは受動的なメディアと呼べるかもしれない。受動的なメディア媒体はそのくらいで十分だったが、今は違う。スマホが登場して、Inatagram,Twitter,FacebookなどのSNS、ニュース媒体やメールからは、毎日自分に合ったコンテンツが紹介されている。それらコンテンツは、私たちの好みに合ったものが私たちのために、自然とレコメンドされ、それを受け取って消費する毎日を繰り返している。 

スマートニュースは、あえて関連性のないニュースを、特殊なアルゴリズムによって個人に配信する、という話を、キヨさんに連れて行って頂いたkokokara tokyo tourの、とんふぃさんが話していた記憶がふと蘇ってきた。けど、そうやって意識的に心地よくないもの、自分の感性を揺さぶるもの、自分が好まないもの、に触れる事が「情報の受け身にならない」上で今後重要になってくる気がする。 

情報の受け身になる事、情報収集自体が目的化する事は絶対良くない!!とは言い切れないけど、それが絶対良い!!とも言えない。一長一短ある気がしている。 

逆に、どんな良いことがあるのか考えてみる。一つは、自分の”好み”に沿った新しい好みが見つかる事。いわゆる、好みの拡張。これはなんだか良さそう。自分がまだ知らない、自分の興味関心の隣接分野について知る事で、自分の中にある”好み”という枠が広がっていくイメージ。 

ただやはり、”好み”に近しいものばかりに触れる事は危険な気もする。そう思う理由の一つは、”好み”に入るかもしれないモノを排除してしまう可能性があるという事。一見、全く興味がなく、ともすれば嫌いの分類に入るかもしれないそれが、実は自分が気にいるモノだったりするかもしれない。友達から誘ってもらった映画がそれに近い。誘われた時は二つ返事で承諾するものの、それが差し迫ると、こんな映画を、なんで2時間も観なければならないのだろう、、と憂鬱な気持ちになる(あんまり大きく表には出さないけどね)時もある。だけど、映画を観終わった後は、大体観て良かったという気持ちになる。これは、自分が予想できない未知のもの(もしかしたら全く良くないと思うかもしれないモノを見ること)への一種の抵抗反応が自分の中に起こっているのかもしれない。 

それが毎日あるのは流石にしんどいけど、週に1回くらい、そんな時間があっても悪くはないとおもう。

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