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神の器――バッハとヘンデル

読書録ではありませんが、
感じたことを記していきます。

教会べったりのバッハ


音楽の父と呼ばれる大作曲家のバッハは、毎日曜日の礼拝のために、毎週、礼拝音楽(カンタータなど)を作曲し続けなければなりませんでした。

バッハが作曲を始める時には、
楽譜の一番上に "JJ" (=Jesu Juva の略。「イエスよ、助けたまえ」)と記し、
作曲が完成した時には、
楽譜の一番最後に "SDG" (=Soli Deo Gloria の略。「ただ神にのみ栄光を!」)と記したそうです。

日曜日には教会に通っているクリスチャンも、平日はそれぞれの業があります。
仕事、家事、育児、老後の自由な生活、人それぞれ過ごし方は違いますが、今日も1日主の助けとお守りがあるように、必要な知恵と力が与えられるように、そして神の栄光を汚さないように過ごすことができるように祈って🙏1日を始め、そして1日の終わりにはただ神にのみ栄光を帰して、終えるように心がけたいものです。

***

ヘンデルの逸話 

バッハと同じ年に、同じドイツで生まれた大作曲家のヘンデルは、
一時は歌劇(オペラ)作曲者として成功し、名声を得、裕福になりましたが、
50代になってから、度重なる不幸が彼を襲います。

オペラの歌詞はイタリア語で書かれていましたが、
新たに台頭してきた富裕層(中産階級)はイタリア語は理解できなかったため、
オペラは斜陽化し、興行ができなくなり、借金まみれのジリ貧生活になります。

その上に脳卒中が彼を襲い、ほぼ右半身不随となってしまいます。

ヘンデルの転機

そんなある日、彼の友人が1冊の台本を持って来て「曲を作ってほしい」と依頼します。
それがあのあまりにも有名なオラトリオ「メサイヤ」の台本だったのです。

それはヘンデルにとって、大きな転機となりました。
彼は神様の恵みによって立ち直っただけでなく、
オペラから聖書を題材にしたオラトリオに軸足を変えたのです。

教会の中か外か

しかも、バッハの音楽が教会の中(主に礼拝)で演奏されたのに対して、
ヘンデルの音楽は教会の外(劇場など)で演奏されました。

それは、教会に来ない人たちにも聖書の素晴らしさを伝えるためであったのです。

バッハが神の器であったのと同様に、
ヘンデルも神の器であったのです。

神様がなさることの多様性と素晴らしさに、
ハレルヤ!!


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