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健康と文明病 ③(人類誕生)

人類誕生

 現代的な全身骨格の完成から、ホモ・エレクトスこそが最初に出現した真の人類であり、約200万年前のその登場によって人類は誕生したと言う事が出来ます。しかし、最初のヒト属(ホモ属)は、それよりも約30万年も早い時期に出現しています。それが、約231~165万年前に生息していたホモ・ハビリスです。ホモ・エレクトスの出現が約200万年前ですから、両者の生息時期は35万年も重なっていた事になります。

 ホモ・ハビリスとは「手先の器用な人」の意味で、タンザニアのオルドヴァイ渓谷で発見された最初期のヒト属です。しかし、ホモ・ハビリスの骨格は先に紹介したホモ・エレクトスとは異なり、現生人類から大きくかけ離れた、類人猿的性格を色濃く持っていたのです。アウストラロピテクス類に似た身長110〜140 cmの小柄な体に、不釣り合いに長い腕と短い脚を持ち、身体の作りはルーシーと変わらず猿人そのものだったのです。大きな違いは、丈が高く丸みを帯びた頭骨で、顔も平らで類人猿の様に顎が突出せず、何より大きな脳を持っていた事です。その脳容量は500〜900ccと、アウストラロピテクス類の平均466ccよりかなり大きく、それによってヒト属に分類されたのです。オルドヴァイ渓谷では同時代の石器が発見されており、大きな脳を持つホモ・ハビリスこそがその製作者に相応しいとして、「手先の器用な人」と命名された訳です。実際、オルドヴァイ渓谷から最初に出土したホモ・ハビリスには手の骨が含まれており、その作りは道具の使用や制作が可能なものであったと言います。 

図20)190万年前のホモハビリス(KNM-ER 1813)頭骨

(出典:ウィキメディア・コモンズ)

図21)オルドヴァイ渓谷

(出典:ウィキメディア・コモンズ)

 このホモ・ハビリスの仲間が最初のヒト属とすると、ホモ・エレクトスが登場するまでの約30万年程の間に、ヒトは急激な進化を遂げた事になります。実際、ホモ・ハビリスとされる化石の間には大きな変異が存在し、それがアウストラロピテクスとホモ・エレクトスの中間に相当すると言います。実は、人類誕生の時代と言うべき約250~200万年前までの期間には、幾つもの重要な出来事が立て続けに起こっているのです。 1つは、ホモ属の出現とほぼ同時期に、頑丈型猿人として知られるゴリラの様ないかつい頭骨を持つ猿人が出現している事です。そして、以後約130万年にもわたって共存しているのです。2つ目は、石器の出現と肉食の開始です。3つ目が、地質時代が258万年前を境に更新世に変わった事です。 

図22)ヒトの進化:猿人からヒトへ(空色:ヒト属)


頑丈型猿人の出現

 頑丈型猿人とも呼ばれるパラントロプス類は、東アフリカで発見されたP.エチオピクス、P.ボイセイと、南アフリカのP.ロブストスの3種が知られています。リーキー夫妻がオルドヴァイ渓谷で1959年に発見し、その後の東アフリカでの古人類調査が活発化する切っ掛けにもなったジンジャントロプス・ボイセイは、現在ではパラントロプスに分類されP.ボイセイとなっています。頑丈型猿人の頭骨を見ると、ゴリラのような頑丈な作りで脳容積も平均500ccと少し大きくなっていますが、その厳つい顔の印象とは反対に、身長110~137cm、体重32~50kgと、アウストラロピテクス類とほとんど変わらない小柄な体格でした。つまりパラントロプス類は、華奢型猿人とも呼ばれるアウストラロピテクスの体格はそのままに、頭骨だけを厳ついものに挿げ替えたといった猿人だったのです。

図23)250万年前のパラントロプス・エチオピクス(KNM WT 17000)

(出典:ウィキメディア・コモンズ)

図24)175万年前のパラントロプス・ボイセイ(OH5)の頭骨

(出典:ウィキメディア・コモンズ)

図25)クリーブランド自然史博物館のP.ロブストス

(出典:ウィキメディア・コモンズ)

 パラントロプスの頭骨でまず目に付くのが、頭頂部を前後に走る矢状稜です。これは下顎骨を上に引き上げる巨大化した側頭筋の付着部として発達した骨稜です。また頬骨弓は、内側を通る巨大な側頭筋と咬筋の付着によって横に強く張り出しています。さらに、頑丈な下顎骨には巨大な臼歯が嵌め込まれています。つまりパラントロプス類とは、堅い食物を強力な咀嚼筋と挽き臼のような巨大な臼歯で、ゴリゴリと磨り潰して食べる様に進化した生物だったのです。 

 実は、約700万年前に類人猿から分れて以後、ヒトの系統では食物の磨り潰しに適応する方向に一貫して進化して来たのです。類人猿は尖った咬頭のある臼歯で、果実などの柔らかい食物を上下に押し潰す様にして食べています。それに対して、ヒトの系統では平らな臼歯で、硬い食物を磨り潰す様に適応しているのです。類人猿、特にオスが巨大な犬歯を持つのに対し、小さな犬歯はヒトの系統の目立った特徴です。磨り潰しに適した臼歯の進化と同様に、犬歯の縮小もヒトの進化の一貫した傾向なのです。大きな犬歯を持つ類人猿では、上下の犬歯が噛み合って顎は上下方向にしか動かせません。ところが、臼歯で食物を磨り潰すには顎を横方向にスライドさせる事が必要で、その為には大きな犬歯は邪魔なのです。つまり、ヒトの系統における小さな犬歯の進化は、繊維質の堅い植物を磨り潰して食べる事への適応だったのです。つまり、類人猿とヒトの系統との分岐は、一部の集団が今まで食べた事の無かった繊維質の多い植物を、臼歯で磨り潰して食べ始めた事から始まったと言えるのです。そして、頑丈型猿人のパラントロプス類は、この進化の傾向を極端にまで推し進めた仲間だったのです。彼らは、サバンナの地下の塊茎などを掘り出して、強力な咀嚼筋と大きな臼歯で磨り潰して食べていたと考えられています。 

 生物の進化とは、生態系の中で新たな地位、つまりニッチを開拓し、そこに適応して行く過程と言えます。猿人の祖先達は、新たな食物資源とその消化方法を発達させ、それによって類人猿とは異なる新たなニッチを開拓する事で、ヒトへの進化の道をたどり始めたのです。


氷河時代とヒトの進化

 頑丈型猿人の登場した260万年前は、地質時代が鮮新世から更新世に移り変わる丁度境目に当たっています。かつて洪積世と呼ばれていた更新世は、いわゆる氷河時代で氷期と間氷期を繰り返し、総計で15回の氷期があったとされます。図26)を見ると、約260万年前頃から急に気温が下がり始めると同時に、大きく上下に変動している事が分かります。しかも約150万年前以降は、その変動が極端にまで拡大しています。つまり、氷河時代は気温が低下するだけでは無く、気候変動が極端に激しい時代だったのです。

図26)過去550万年の気候変動(深海堆積物コアの底生有孔虫の酸素同位体比より)

(出典:ウィキメディア・コモンズ)

 更新世に入り、急激な気候変動に見舞われる中で、頑丈型猿人のパラントロプス類と最初のヒト属が相次いで進化して来る事になったのです。それまで、約160万年にもわたって繁栄してきた華奢型猿人のアウストラロピテクス類の中には、激しい気候変動の中で生存の危機に直面したものも多くいたはずです。そうした中から、今まで手付かずだったサバンナの塊茎を地下から掘り出し、強力な顎で磨り潰して新たな食料源とする事に成功するものが出て来た訳です。それが、パラントロプス類だったのです。彼等は生態系の中に新たな居場所を見付け、そのニッチに適応する事で、進化し生き延びる事に成功したのです。

 そのパラントロプス類の後を追う様に、異なるニッチを開拓して進化に成功するものが現れます。それが、最初のヒト属のホモ・ハビリスとそれに続くホモ・エレクトスです。彼等は、繊維質の堅い植物ではなく肉食に適応する事で、新たな生態系の地位を開拓し、進化の道を切り開いて行く事になるのです。 


猿人とヒト属の共存

 ここで注意して欲しいのは、パラントロプス属とホモ属が、約130万年にも亘って共存していたと言う事実です。図27)を見ると、赤色のパラントロプスと空色のホモ属が共存していたのが分かります。人類学者は、絶滅した種は生き残った種に比べて劣っていたから絶滅したのだと言うお話が大好きですが、ここでは劣っているはずの頑丈型猿人が、優れているはずの我々ヒトの祖先に絶滅される事も無く、長期間に亘ってアフリカで共存していたのです。

図27)200万年のヒトの進化(赤色:パラントロプス)

(出典:ウィキメディア・コモンズ)

図28)頑丈型猿人パラントロプス類の発掘場所

(出典:ウィキメディア・コモンズ)

 全ての生物は、生態系の中で特定の地位(ニッチ)を占めています。つまり、生物は生態系のニッチを分け合う事で、自らの居場所を確保しているのです。言葉を変えて言えば、全ての生物は地球生態系の中で何らかの独自の役割を果たして、生物社会の中での存在を保障されている訳です。従って、地球生命圏の一員となった生物にとって、存在する意味の無い不必要な生物など初めから無いのです。

 地球の生物は、約40億年前に誕生した直後は地球内部から湧き上がる化学エネルギーに、そして37億年前に二酸化炭素と水を使った光合成に成功したシアノバクテリアが登場すると、地上に燦燦と降り注ぐ太陽エネルギーに依存して生活しています。現在、地上で合成される有機物のほとんどが光合成により作られている事を考えれば、 地球生態系とは、有機物に固定された太陽エネルギーを順番に受け渡して行くシステムと見る事もできます。そして、この巨大な生態系のシステムの中で、それぞれの生物は一定の役割を受け持つ事で地球生命圏の一員として存在している訳です。

図29)顕生代・海洋生物の多様性の変化と大量絶滅

(出典:ウィキメディア・コモンズ)

 このことを考えれば、劣った生物は優れた生物との生存競争に敗れて絶滅するとか、 優れた生物が生存競争に勝ち残って進化するなどと言う発想が、如何に視野の狭い近視眼的なものであるか、理解出来ると思います。『遺伝子決定論は正しいか?⑤』の記事でも触れましたが、地球は誕生以来、46億年に亘って激変を繰り返して来ました。図30)上のグラフは、地球が過去5.4億年間に10~25℃にもなる気温の大変動を繰り返して来た事を示しています。2.5億年前の古生代ペルム紀末には現在より23℃も高温になり、史上最大の大量絶滅が起こっているのです。この時には、海洋生物の科の57%、属の83%、種の81%、陸生脊椎動物種の 70%が絶滅したと言われます。図29)のP-T境界と示されている所がそれに当たります。こうした気候変動に合わせて、生物も大量絶滅を繰り返して来たのです。生物の立場から見れば、地球の歴史は繰り返す大量絶滅に伴う生態系の崩壊と、その後の再建の歴史だったと言えます。図29)を見れば、大量絶滅後に急減した生物多様性が、その後の環境改善に合わせて再び増加して行った様子が見て取れます。 

図30)顕生代5.4億年の地表温度の推移

(出典:ウィキメディア・コモンズ)

 生物の進化とは、 崩壊した生態系が再建されて行く中で、大量絶滅により主が居なった空地だらけの生態系の中に、生き残った少数の生物が適応放散して新たなニッチを確立して行く過程、そのニッチに適応して身体を作り変えて行く過程と言えます。生物は競争相手が居なくなった所で、自由に自らの能力を発揮して、空き地だらけの生態系に一気に適応放散して行くのです。大量絶滅後に見られる急激な進化は、競争相手が死に絶えた事で生物間の生存競争が極端に弱まった結果なのです。こうして生態系は再び多様な生物で満たされ、安定を取り戻すのです。つまり生物の進化は、生態系が空き地だらけで生存競争が弱まった時にこそ進行し、逆に生態系が多様な生物によって満たされ、空地が無くなると進化は停止して生態系は安定を取り戻します。

 生物は生態系のニッチを分け合う様に進化し、再び生態系が多様な生物で満たされると、進化は停止して共存する事で安定を回復するのです。安定した生態系の再建こそが進化の目的であり、それ以上の生存闘争は生態系の安定を乱す攪乱要因に過ぎません。生態系にとっては、個々の生物種はその構成要素・歯車の1つに過ぎず、地球生態系自体が1つの巨大な有機体の様に、自律的に安定性・恒常性を維持する機能を持ったシステムと見る事も出来ます。生物の進化は、生態系に混乱が生じた時に、それを修復し安定を取り戻すための手段なのです。そして、生態系に安定をもたらすものこそ多種類の生物の共存であり、生存競争はそれを乱すものに過ぎないのです。この様に捉えれば、多様な生物の共存こそが地球生態系の本来の在り方であり、根本原理である事が分かります。生態系の安定を取り戻す手段である進化にとって、生存競争はダーウィン進化論が主張する進化の原因や原動力などでは無く、進化の阻害要因に過ぎないのです。

 このことを考えれば、 頑丈型猿人とヒト属が約130万年にも亘って共存していた事実も、当然であると理解できます。頑丈型猿人がサバンナの繊維質の堅い地下茎などを食べる方向に適応したのに対し、ヒト属は肉食へ適応して行く事で、それぞれが異なる生態的地位(ニッチ) に適応して生態系を分け合う様に進化して行った訳です。両者が共存していたのはむしろ当然だったのです。絶滅した古人類がいると、人類学者は直ぐにより優れたヒトの系統によって絶滅させられたと言い出しますが、事実はそれほど単純では無いのです。生物は、できるだけ生存闘争は避けて生態系を分け合う事で共存しようとして来たのであり、その事こそが進化の原動力であり、地球上に約870万とも言われる多様な生物種の共存を可能にしている根本原因なのです。共存こそが生命の基本原則なのです。

(つづく) 


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