見出し画像

人は動物として生まれ、人間へとなっていく生き物なのではないか。

うつ病の治療を始めて、2年と3か月が経過し、自分自身でもようやく落ち着いてきたという自覚が持てるようになってきた。
先月から、二週間に一度の通院も月に一度に変更しました。
先生からも、「少し落ち着いてきましたね。」と言われています。

先日の診察の時間に話したことですが、「落ちいてきた自分自身になぜだか居心地の悪さというか、違和感を感じるんです。」という話を主治医にしたら、「そう仰る方は多いです。」と言われた。
長い年月、こうあらなければ、こうしなければ、という『~ねばならない自分』を頑張ってきた自分が、どこかで当たり前になっていたのだろう。
こうして、肩の力を抜いてのんびりと生きている自分が、果たして本来の自分なのだろうか、そもそも本来の自分とは、どんな自分だったのだろうか?
思い出そうとしても、頑張ってきた自分以外の自分がもはや思い出せなくなっていました。
しかし、今の自分が嫌いだとか受け入れがたいというわけではないのです。
こうして、ゆったりと生きている自分は、とても人間的な部分が回復してきているような感じがする。
診察などでも、冗談めかして、人間らしくなってきましたね(笑)ということを主治医が言いますが。

私は人に生まれたのだから人間らしいも何もないはずなのに、人間らしくなるとはいったいどんなことだろうと考えるようになりました。

私が思うに、人は動物として生まれ、何十年かかけて人間へとなっていく生き物なのではないかと。
動物本来の、本能としての快不快と、人としての知性や理性のバランスを長い年月かけて試行錯誤を続けながら見出していくのではないかと。
動物だけではいけないし、かといって昨今巷にあふれている人の側に偏り過ぎた知識や正義ばかりでも、道を誤るのではないだろうか。
人的な、知識や正義ならきっとAIの方がより正しいだろう。
動物的な、本能に根差し、自然と密接につながった部分と、他の生き物とは少しだけ異質な人的な部分が、絶妙に混ざった時に人間としての輝きなあるのではないだろうか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?