従兄弟は電車が好きでした
従兄弟は電車が好きでした。
子供の頃はよく、積み木の車で運転手ごっこをしていたものです。
電車に乗れば車掌さんのモノマネをし、一番前の車両を陣取って、正面からの景色を堪能していました。
高校を出た後は専門学校に進んだと聞きました。
その頃には頻繁に連絡を取ることはしなくなっていましたが、彼は変わらず電車が好きな青年でした。この頃の彼が、電車のモーター音について語っていたことは今でも覚えています。
専門を出た後、彼はJRの契約社員になりました。
「でんしゃのうんてんしゅになりたい!」と言っていた男の子の夢は、20年その形を変えることなく、ついに叶ったのでしょう。
今は東京メトロの社員をしていると風の噂で聞いています。
最近ではJR時代に知り合った彼女と入籍したそうで、人生のレールも全く違わずと言ったところでしょうか。
僕には姉もいます。
姉は絵が好きでした。
小さい頃から絵が上手く、外食の時には、アンケート用紙の裏に絵を描きながら大人しく料理を待っていました。
高校生になっても絵は好きなままで、プレゼントで買ってもらったペンタブを駆使して、色々な絵を描くことに勤しんでいました。時効なのでここに書きますが、僕の美術の課題の影武者にも度々なってもらったものです。
東京のとある芸術大学に進んだ彼女は油絵を専攻していました。そこで度々もらってくる賞を家族LINEで報告する彼女は、とてもエネルギッシュで、僕には眩しく感じられました。
大学を出た後は、会社に就職しつつも、イラストレーターとして事業届を出し、二足の草鞋を上手く履きこなしているようです。
僕は頭のいい子供でした。
三人の中ではきっと一番だったことでしょう。
小学五年生からは学習塾に入り、地域有数の進学校へ通うことになりました。
でも僕は空っぽでした。
部活は小学生の時からやっていたテニスを惰性で選択し、趣味はビデオゲーム。
やりたいこともなく、日々を無為に過ごしていました。
勉強が辛いと嘆いた時には、将来幸せになるために人は勉強をするのだよと教えられてきました。
僕は二人よりも勉強はできましたが、それは果たして二人よりも幸せだったことを意味したのでしょうか。
夢に向かって進んでいく二人を見ていると、空っぽの自分がとても貧しく思えてなりませんでした。
勉強にも熱が入らなくなり、成績は緩やかに下降の一途を辿っていきました。
それでもなんとか大学へ進み、今僕は大学四年生です。
大学に行けばやりたいことが見つかるものだと思っていました。従兄弟にとっての電車が、姉にとっての絵が、僕にもきっとあるのだと思っていました。
半ば自分探しのように大学に行きましたが、食堂にも図書館にも、探している自分はいませんでした。
空っぽの僕はどんな靴を履いて、どんなレールを歩むのでしょうか。
それはまだ、わかりません。