見出し画像

10代の後半に宗教にハマるとどうなるのか?

19歳のころ、とある宗教団体で3年間活動していた過去のお話し。

当時はまだ好奇心旺盛な高校生だっただけに、深々とのめり込んでしまい、そんなタイミングで「宗教にハマると人間どうなるのか?」という赤裸々な体験談です。


ヤンキーのいとこは3人兄弟の末っ子で俺の2つ下。

父親は少年院手前までいった暴漢で家族関係はやや不穏。対して俺は温室育ちの一人っ子。

ヤツは今日も河川敷で他校のクソ生意気生徒を凹したり、ゲーセンで絡んできたボクサー経験者を路地裏でワンパンKOしていたり。

顔はイケメン。体格は某ゲームの怒ると金色に変化するゴリラそっくりで、怒りの閾値は育ちもあって低い低い。

中学時代の陸上部県大会では「4キロ砲丸投げ」で12mと新記録を樹立するが、これは昭和57年の記録である8mを4mメートルも上回るトンデモ記録だ。

練習方法は「喧嘩」とのこと。
それに加え、バンドもやっていたので彼女占有率は市場一。

対して俺は文系寄りの色白モヤシ。将来は画家を目指し、デッサンに打ち込む日々で美術部部長。県のTV局主催の油絵大会で優秀賞だってあった。

まるで「凸凹、陰と陽」。
おたがいがお互いの感性に惹かれていた。


驚いた…。

宗教とは無縁すぎるヤンキーが神妙な顔つきで俺に勧誘をしてくる。

学など無縁な生活を送っていた野郎が「南妙法蓮華経」と唱えると生活が良くなり、幸せになるという。どうやらバンド教室の先生から1年ほど前に勧誘されていたようだ。

すこし理論的な内容も話されたが、驚きのあまり、おまり覚えていない。

すると奥からサラリーマン風の男性が現れ、宗教について詳しい話をしてきた。「こいつ、こんな人間関係を持っていたのか」とショックを受ける。

本来なら宗教など絶対に入信しないが、いとこは自分の功徳体験をマジな顔で俺に語る。

功徳といっても根拠のない思い込みレベルの内容だったけれど、彼の『幸せになってほしい』というこの一言が嬉しかった。

只、いま思えば「何をもって幸せなのか?」を判断できる年齢ではなかった。


宗教に入信すると人生どうなるのか?結論は、失敗すると人生を破壊してしまう。

各々が活動を続けた理由はいとこは「家庭環境を良くしたい」がために。私は「大学に受かりたい」がために。

とまぁ、心の隙間は誰しもあるわけ…で。

結果としてわたしは大学受験に失敗し、借金そして病気を抱えることに。いとこも似たような境遇のようで、悩みの尽きない人生を歩んでいる。お互いの若く貴重な時間は虚無に埋もれ、そんな自分に冷静になれたのは『人生の岐路を大きく逸れてから』だった。

宗教とは少なくとも10代のような「人生の方向性を決める時期」に率先するものではないだろう。そのときは正しいと思っていても、所詮は10代。物事の価値基準を自分ひとりで判断できる年齢ではないのだ。

只、これがもし「成長したね」と、自他ともに感じられるような経験であったなら、未来は違ったかも知れない。


もし、このタイトルが若い方の目に止まり、自分自身に通じるようなら少しだけ考えてみてほしい。

若さというのは恐ろしいほどあっという間で、人の一生は年を取ってからが長く、傷が深いと長い時間を寂寞せきばくした気持ちで過ごすことになる。

少しでも「成長できる」と感じられる環境に身を投じて『人生の発射台の角度を調整できる若き日々』を大切に生きてください。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?