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産んでくれたことには感謝する、けど、それだけ
この記事は『虐待』ワードを含みます。関心のある方は心留めて、お読みください。
親戚の息子Aが数年ぶりに帰郷して、自分のオヤジと顔を合わせていた。
といってもお互い何か話している様子はない。ただ同じ空間にいるというだけだった。
まぁ、それもそうだろう。
Aは父親から「虐待」を受けて育ち、その虐待は成人を迎えても熾烈に続いていた。機能不全家族で生まれてしまったがために社会に馴染むことが出来ず、40に近い年齢になっても生活は不安定のままだ。
そんなAにむかって父親はこう言い放つ。
「あいつはバカだからダメだ」と。
Aの母親は、Aが中学生のころに離婚した。
その理由は複雑であったため親権は父親が持つことに。家事の殆どは家政婦に任せっきりで、父親本人はたまに飯をつくるといった程度の親子関係だった。
そんな父親だが、彼もまた虐待を受けて育った。
昭和という児童保護への関心が薄い時代だっただけに、想像を絶する虐待を受けていたはずだ。だからといって子どもを虐待する理由にはならないし、父親が息子に自己投影をしていることに気づかなきゃいけない。
そんな父親にむかってAはこう言い放つ。
「産んでくれたことには感謝する、けど、それだけ」
私はすこし、秋葉原の事件を思いだした。
秋葉原の殺傷事件の加害者K、彼もまた数々の虐待を受けて育った。彼はテストで満点付近を取っても、親には満点以外に価値はないと罵られ、そのテスト用紙を目の前で破られた挙句、長々と反省文を書かされたという。
生まれ、認められず、生きていく。
この世でこどもが一番認めてもらいたいのは『親』なのに。
この事件では多くの方が亡くなっており、加害者への擁護は皆無。だがしかし、ものごとには何かしらの裏がある。
私の父もすこし似たような部分があった。
育児教育にあまり関心がなく、酒飲みで、酒が入っていないときの機嫌は余り良いものではなかった。父の顔色を窺って育った私はそのせいで周囲に気を張りすぎてしまい、疲れることが度々あった。
そんな父にも母親の自殺という苦心があった。それだけに私が成長するにつれ、親としての在り方に悩んでいたかも知れない。
すったん揉んだあった過去だが、いま父と私は「麻雀」のテレビ番組を一緒に観ている。
おもしろいことに時間になると、不慣れなラインで知らせてくれる。
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こんなことを2年以上も続けているのだから驚きだ。それも40歳の息子と70代の父親が、である。
往年を過ごし、父の表情は信じられないぐらい和やかになった。父と息子が親密な時間を過ごす、こんな日々が来るなんて想像もしなかった。
只、この関係は時間が連れてきただけじゃない。
ちょっと雑な父親で、何かを教えてもらったことはあまりなかったけれど、お互い自分なりに生きて、それぞれがまぶしい光に突っ込んでいった先に待っていた家族関係だったのだ。
皆それぞれの人生を生きている。理不尽を強いられ、押し寄せる過去に囚われる時だってある。けれど『今この瞬間』を必死に生きれば、囚われない生き方が、そこにあるかも知れない。
いつか雨降って地固まるのなら、親と子、悔いなく過ごしていきたいものだ。
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