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働き方に「余白」を求めて

赫赫然然かくかくじかじかとあって心療内科に通うことになり、そこで出会った心理士先生の働き方に思うことがあった。

その前に少しだけ、前振りを。

数年前に適応障害になってから人生設計がへたくそになり、お薬頼りの生き方になってしまった。

精神系の病院には以前よりお世話になることがあったので分かってはいたが、お医者さんは5分程度しかお話を聞いてくれない。もっとも診療報酬上、仕方ないのだが。

けれど、これがカウンセリングとなると、ゆっくりと話を聴いてくれる。やっぱお話しを聞いてほしいし、誰かが聴いてくれるだけで、私はホッとする。考えだって前向きな方向にへと纏まってくる。

それになんだか、うれしい気持ちになる。


思えば、リハビリ(言語聴覚士)の働き方は詰め詰めだったと思う。1日にそれなりの単位を稼がねばならず、病院によっては過度な労働を強いられるものだから、患者ひとりに費やせる時間はおざなりになり、そこに書類業務ものしかかる。

そりゃ医療従事者といえど、雇用されたサラリーマンと変わらないし、稼がなゃならん。患者さんへの「適切な治療」と、お金を生む「労働者」としてのバランスが崩れたとき、私は適応障害になった。

当時のツイッターにはそれに苦しむ理学療法士さんがいて、医療業界の働き方に毒を吐いていたひとがいたけれど、その気持ちよくわかる。


今お世話になっている病院には静謐せいひつさがあって、スタッフ全員に余裕がある。院内はとても静かで、受付の広間には淡水魚の泳ぐ水槽が美しく輝いている。

カウンセリングが成り立つ場所というのは、そういった環境があってこそなのだろう。心理士先生からは、十分な『余白』が感じられる。これは、その人の性格とか雰囲気だけではなく、時間的にも人間的にも、余裕のある応対だということが伝わってくる。

予約を取るとき「2か月待ちです」といわれて、当初は残念な気持ちになったけれど、いまは納得している。リハビリの仕事にもこういった「余白」がほしいと思ったし、そういった余白こそが働き方のあるべき姿だと思う。資本に追わるばかりの仕事は中身のないただのやっつけ作業で、それが苦手で医療業界を選んだのに、上手く世渡りできない自分に笑えてくる。

リハビリでこれだ。科にもステージにもよるけれど、医師・看護師はもっとしんどいかも知れない。


精神科でここまで余裕をもった対応をされたのは、じつは初めてで、大概が、お薬の処方でことが終わる。カウンセリングは別料金だけど、申し出てよかったと思っている。

他人の余裕ある働き方を見ると、職場選びの参考になる。社会復帰を目指すなら、どういった職場を選ぶべきなのか、心理士先生の立ち振る舞いに詰まっている気がした。


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