![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/146077797/rectangle_large_type_2_f3a3931478ab6c10dd5a089c86ef7d70.png?width=1200)
40歳を過ぎ、うつと診断されても幸せです
40歳、人生第二の思春期などと呼ばれる年齢で、”やはり”と呼ぶべきか『慢性うつ(気分変調症)』だと診断された。
”やはり”というのは、幼いころから不安の波が持続的に続いていて、楽しんでいる最中にですら、不安に襲われる経験が多々あったためだ。
きっと「自分は違う!」そう思いたかったんだと思う。その反面「もしかしたら…」といった感覚は胸の奥にずっと潜んでいた。
慢性うつは、幼い頃から発症していた。
理由は家庭環境にあって、ずっと呪詛のことばを吐き続ける祖母の存在と、そのことに気づけない両親が原因だった。
こどもには”うつらしいうつ”は表れずに、その代わり『身体症状』として現れるという。
10代から、夢遊病や口腔習癖(つめ噛み)にチック、強迫性障害などに苛まされていたが、親は「ほっとけば治る」と無関心。
すると子どもの神経細胞は、毒素(不安)が混ざった状態で成長する。私は一人っ子だったので、不安を「分かち合う」ことができる兄弟がいればまた違っていたかも知れない。
大人になってうつが表在化したのは『受け止められるようになったから』だと医師から伝えられた。
「人は怖い生き物」「人は必ず裏切る」「社会に出ても逃げ道を用意しろ」「キリョウ人(美人)以外に価値なし」
これらは祖母が私に聞かせ続けた徹底的なまでの呪いで、期間にして3歳あたりから高校生ぐらいまで毎日のように聞かさされ続けた。今考えてもひどいと思う。
「祖母の言葉は必ずしも世論のすべてではない」と、頭でわかってはいても、心が言うことを中々きかない。根に貼りつく強烈な不安が、今でもわたしを社会から遠ざける。
只、祖母もまた虐待人生だった。私を憎んで吐いた言葉ではなく、おぞましい社会から私を守るために伝えたことばが、私を追い詰めた。
皮肉なものだな、と。
私とおなじ病気と、年齢のたかへ。
とりあえず、目の前のイベントをこなして次に進む。ゆっくり階段を登ればいいのでは、と思います。べつに登らなくてもいいですしね。
お仕事については、健全に成長してこられた方々にお任せしてもいいのでは。これは無責任とかではなく『与えられた持ち場』の問題だと思うのです。だって、私たちの小さな歩みは、必ず「後世の学び」になるのだから。
年を取り、動ける範囲は狭まってきてはいますが、今日をたのしく笑って生きていければと。
では。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?