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悪しき雀荘で学んだ、若造のいま

麻雀ブームにのっかり、その昔勤しんでいた麻雀を再燃させてみた。

麻雀体験記なんて、所詮は人の話しだし、読み手にはおもしろくないかもしれない。

それでも、すこし異質な話しをすれば「ひとの興味を誘えるかな?」とおもい、書いてみた。


そのむかし、麻雀の神秘性に沼ってから、気づけば20年。これだけ時が経つと、かつて麻雀にあったものがすっかり無くなっていることに気づく。

それは打ち手らの「野蛮性」というもの。

私は地方の薄汚いビルの最奥、穴倉のような雀荘でフリーデビューした。で、そこの客のマナーは最高だった。牌の強打にはじまり、当たり前のような先ツモに三味線。勝負には貪欲で、村意識の強さから一見客なんかは小さいことでも文句を付けられる。

そこでは生きる人間模様も最高だった。

店内に響き渡る住所不定客のイビキ、客と思いきや店の洗面所で歯磨きだけして消え去る者。40代にして全歯欠損の客に、児童買春の前科持ち従業員など、往年の時代らしさがあったとおもう。店の金を持ち逃げする従業員だってなんのその。

いまおもえば信じられないような治外法権雀荘だったけれど、当時ハタチそこらの若造にとっては好奇心を満たせるワクワクの秘密基地だった。そんな若さが影響を与えたのか、野蛮なオヤジ連中にはひとしきり可愛がってもらえた。

兎にも角にも社会不適合者の吹き溜まりだったけれど、みな麻雀は強く、それでいてノビノビと生きている…そんな気がした。もう生きてはいないだろうけど。

とまぁ、そんな時代があったんです。


いま振りかえると異質な光景だったけれど、ネット麻雀界隈ではその異質さはどう映るのだろうか?

「スタンプがうぜぇ」とか「長考ツモは煽りだろ」などという声もあるが、ネットで距離がある分、おたがい安心して楽しめてるじゃないかと思ってみたりする。ひと昔まえの雀荘でイキり散らしたなら、グーパンが飛んできてもおかしくなかったからだ。

何はともあれ、麻雀がクリーン化しつつある現代では、お目にかかれない過去の遺物だろう。ただ、そんな場所でも個人的に学べたことがあった。

それは、ひととの勝負事は『熱くなれるからオモシロイ』ということだ。


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