どこかのだれかの日々の記 池松アメリ その2

自分の考えや感じた事を、形式にとらわれないで書いたもの。

※三省堂現代新国語辞典 第5版

2042年3月

昨日まで風邪をこじらせて一週間と少し休養をとっていた。

とても久しぶりのひとりぼっちだった。

大学に入ってからそろそろ一年。レイや先輩たちと出会ってからだと10ヶ月ほど。これまでの人生では味わえなかった、どんなキラキラした人にも負けないと胸を張って言えるほど楽しく眩しい日々を送ってきた私にとって、この10日ほどの休養は耐え難いほど寂しく苦しいものだった。レイたちのお泊りセットやそれぞれがくつろぐ為に持ってきたクッション、お菓子やドリンクたち、読みかけの栞が挟まれたままの文庫本たちが目に入る度に寂しさが募る。思い出が形になって寂しさを掻き立てる。もう二度と会えない訳じゃない。風邪が去ればまた会いに行ける。頭ではそう分かっていても、得体の知れない不安が頬を伝って落ちる。何度も。何度も。友達に会えないのがこんなに寂しくて苦しくて辛いなんて思いもしなかった。いや、想像できていなかったんだ。

少しでも気を紛らわせるべく、重怠くなっている体に鞭をうちながらレイから借りていた領貴先生のエッセイ集を読んだり咫半先輩が勝手に持ってきて置いていった40年くらい前の音楽を聴いたりした。余計に寂しくなった。よく考えたら皆がいない事が寂しいのに更に思い出に触れるなんて寂しくなるに決まっているのだ。熱で頭が上手く働いていなかった証拠だと思う。けど、頭が上手く働いていないのに「寂しい」や「苦しい」みたいな気持ちはしっかりと感じられているのは少し不思議かもしれない。そういう意味では頭は働いてくれていたのだろう。

結局、何をやっても辛いだけだったから薬を飲んで栄養を補給して寝るを繰り返した。その中でふと、年末にレイと話した事を思い出した。年末の賑やかで楽し気な空気と伽藍とした家の寒々しい空気とのギャップがなんか嫌だ、という私に「そんなん誰だって一緒だ。特にうちのサークルは全員地方出身だから同じようなもんだ。」とレイはぶっきらぼうに答えてくれた。口ではそう言ってもなんだかんだで先輩たちを引き連れて連日遊びに来てくれたし大晦日には皆で年越しをしたり初詣に連れて行ってくれたりもしてくれた。レイは優しい。先輩も優しい。

そんな事を考えながら眠った7日目の夜、夢を見た。幼少期の頃の風景が広がる夢を。何度も読んでしまって読む必要がなくなってしまった本たちが収まった本棚とやりたくもないのにやらされた沢山の習い事の教材たちが押し込まれた引き出したちがついた勉強机とかなり値の張る寝具がセッティングされたベッド、落下防止の金網がつけられた開け放てない窓、私の背丈に対して少し大きいダイニングテーブルやチェア、特に使う事もないのに置かれている大きなテレビ、私以外誰もいない薄暗い家。それが私の全てだった。家の全てがつまらなかった。両親とは朝に会うだけ。色々と物を買ってくれたけどそれだけだった。あの頃感じていた「つまらなさ」はきっと「寂しさ」だったのだと今なら分かる。夢から覚めた私は汗をかいて毛布の中でうずくまっていた。

風邪が治ったとしてもこの家には私しか帰ってこない。そう思った途端に少しだけ、ほんの少しだけ怖くなった。理由は分からない。ただ、今まで感じた事のない寂しさや怖さが生まれた。これはどうすれば消えるんだろう。色々考えたけど分からない。もしかすると誰かと一緒に住むと消えるんだろうか。そう思った時、私の中に1つの考えが浮かんだ。レイと一緒に住めないだろうか。なんだかんだでこの家に一番多く来ているのはレイだし、レイと一緒なら私は一番楽しめると思う。ただレイがうなずいてくれるか分からない。そもそもそれ以前に両親が許してくれるかどうかも分からない。もしかすると話せば分かってくれるかもしれない。上手くいく事を想像するしかない。確か4月の末辺りにならないと両親は日本に帰ってこない筈だ。ならその時に会いに帰るしかない。そう決めた。

レイと一緒に住んでしばらくしたらあの怖さの理由も分かるだろうか。分かるようになれると嬉しい。レイが一緒に住んでくれればの話だけれど。

体もやっと本調子になってきた。明日にでもレイに会いに行こう。いつもの「元気で明るい私」で。



※ この文章はフィクションです。実在の人物・団体・名称などとは一切関係ありません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?