見出し画像

推しと推しの邂逅〜おめめどう20周年参加記録③

日々に追われていたらあっという間に1か月経ってしまった。

さて、おめめどう20周年である。


20周年の前夜祭にも参加させていただいた。
おめめどう歴もビギナー中のビギナーと言えるほど超浅く、非関西圏からの単独参加の私。居場所なかったらどうしよう…と一抹の不安があったのだが、篠山観光ツアーを終えた時点でそれは杞憂であると確信できた。

それはそうである。
初めましてだけれども、そこに集う人たちは皆、おめめどうの考え方に共感し、ツールを使い、わざわざ丹波篠山まで行こうと思う人たちである。
おめめどうという共通言語を有しているので、障害児者支援に対する価値観の方向性が同じで、会話にストレスが無い。
実際、前後左右すべて初めましての方だったが、おめめどう歴こそ長短いろいろあれど、単独参加の方がほとんどであった。
参加者は私のような保護者だけでなく、特別支援学校/学級の教員や放課後等デイサービスやグループホームの職員など様々だ。
巻カレやコミュメモが教室に当たり前にある支援級やデイが心底羨ましい。
保護者も、私の子供たちよりも年齢が高いお子さんたちがいる方も多く、その方達のエピソードは特に参考になったし、希望が持てる物が多かった。
たっぷり3時間楽しんで、電車に間に合うため走ったほどだ。


さて当日。
午前中はsyunさんを偲ぶ会。
私はsyunさんにお会いしたことはもちろんないし、講演を聞いたこともない。
それでもsyunさんのお人柄や支援者としてのスタイルがありありとわかるような、それでいてしんみりする雰囲気は殆どなく、むしろクスクス笑えてしまう。そんな偲ぶ会であった。
聞けば聞くほど、ここまで徹底して当事者目線を貫ける支援者はなかなか居ないなと感じ入った。

ほんとうに、なぜsyunさんがいらしたたきにおめめどうと繋がっていなかったのか…
一度で良いから、ご本人の語りを聴いてみたかった。
おめめどうの名前だけなら6年も前から知っていたのにと思うからこそ、悔やまれてならない。

昼休憩中は、syunさんの大学時代のご友人たちによる追悼コンサート。
昼食(前日に買っていた白殻五粉のパン)を食べながら、ライブならではのサウンドを体感していた。
このときに、何人ものおめめどうユーザーの方とお話することができた。
単独参加の方も多く、みなさんとすぐに打ち解けられた。
今こうやって私とフラットに会話している支援者が、ウチの子たちが通う学校や事業所にいてくれれば…!!と本気で思った。

そして午後。
肝心の、20周年基調講演である。

私は他の多くの出席者と逆で、おめめどうを知るより先に平林ルミさんと飯野由里子さんを知っていた。
2022年に社会モデルの本を出されたときに受講した飯野さんのセミナーは、自分が子供にしていることの方向性に自信が持てなかったときに聞いて、全部は理解しきれなかったものの「社会モデル」の考え方を自分の中にしっかり根付かせることが出来て、その後の子育ての方向性を決定づけたきっかけとして、強烈に印象に残っていた。
おめめどう始めたばかりの初心者が、おめめどう20周年記念に丹波篠山まで遠征することを決断したのも、講師が飯野さんと平林さんだったからというのがとても大きい。
ハルヤンネさんと飯野さん&平林さん。
私が「この人の話、良い!」とピンと来た方々が繋がった!!!という感動と興奮があった。

講演は、「子どもの権利から考える合理的配慮」というテーマだ。
いやもうドンピシャでしょう。
今年4月から全ての事業者に義務化されたこのタイミングで、
我が家の事情で言えば、息子の進路を考えるこのタイミングで、
そして私も絶賛どハマり中の虎に翼が放送中のこのタイミングで、
これほど相応しいテーマがあるのかという。

そもそも、子育ても障害支援も、人権が抜け落ちていたら間違える。
世の中には、有象無象の子育てハックや◯◯療法が入り乱れている。
何が信頼に値するもので、何がインチキなのか??
科学的なエビデンスももちろん大事なのだが、素人にはそれだけでは見抜けないこともある。
そのときに、当事者の人権が守られているのかという目線で見ると、取るべき方法が見えてくる。

私がおめめどうにピンと来たのは、人権がその考え方のベースにあるからだ。
やらせる視覚支援ではなく、本人の意思を尊重するための、つまりは本人は当然に権利と意見を持つ人間だということを第一に考えた視覚支援
発達障害児に視覚支援が有効だとはずいぶん前から知識として知っていたし、その効果もわかっていたつもりだけど、全く片手落ちだったわけだ。
もうピゴが10歳を過ぎて知るなんて、なんということ。
おめめどうにもっと早く出会いたかった… 」と思う理由はここにある。

この基調講演で得たひとつの知見は、合理的配慮とは当事者の申し出があって初めて検討が行われるものだが、申し出がなくても、あらかじめ多様な人が居ることを想定した環境の整備を行うことも、合理的配慮と同等かそれ以上に大事であるということ
これは、飯野さんが社会モデルについて論じているその著書の中で「この社会は偏っている」と断言しているのだが(私はこの言葉に痺れた)、その言葉に基づくものだ。
そう、この社会はマジョリティに配慮された構造になっているのだ。

子ども、そして障害者は自分のニーズを的確に表現できる人ばかりではない。
むしろとても難しい。
自分が困っていること、ニーズがあることを認識していない場合も多い。
だからこそ、様々な選択肢が実はあるのだということを示し、やってみてもらうことで、ニーズを発見すること。
それが合理的配慮における建設的対話の糸口にもなる。

私が子どもたちにおめめどうツールをとにかく使い始めたように、まずはやってみて、そこから本人たちの意見を聞きながら調整していくのが良さそうだ。


合理的配慮についてはもっと深く理解したいしその必要があると思っているので、飯野さんのふぇみゼミも今受講中である。


前日の観光ツアーに前夜祭も参加していて、午後の基調講演で舟を漕ぐなんてことにならないと良いけど…と一抹の不安が実はあったのだが、全く、一瞬も眠気に襲われることはなく、講演資料はマークアップと走り書きメモでいっぱいになった。
これこそADHDならではの過集中かもしれんね…苦笑

講演終了後は急いでコミュメモをいくつか購入し、知り合ったユーザーさんの車で篠山口まで送っていただいた。
感謝してもしきれない。
新大阪駅までも、ユーザーさんたちとおめめどうエピソードのおしゃべりに花が咲いた。


そういうわけで、大満足で帰路に着いた。
奇しくもこの日は母の日だった。
私が母親になって11年。
今までで最高の母の日となった。
この旅行に快く送り出してくれた家族に大感謝である。

バイバイ!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?