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「三菱の至宝展」に行ったら三菱創業四代のことが知りたくなった

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三菱一号館美術館で開催中の「三菱の至宝展」鑑賞後に調べた色々を書き物をしました。
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#文化

「三菱の至宝展」に行ったら三菱創業四代のことが知りたくなった②彌之助編

「三菱の至宝展」に行ったら三菱創業四代のことが知りたくなった②彌之助編

前回は創業者岩崎彌太郎についてご紹介しました。

今回は2代目岩崎彌之助についてご紹介します。

2代目 岩崎彌之助父彌次郎と兄彌太郎が投獄されたとき、4歳だった弟の彌之助は国内で漢学に親しんだ後、21歳でアメリカに留学し翌年には兄が創業した三菱商会に入社しました。

彌之助は企業が文化芸術に対して貢献することの社会的な意義や企業が社会的責任として行う芸術支援の意味をアメリカ留学を通して学び、軌道

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「三菱の至宝展」に行ったら三菱創業四代のことが知りたくなった③久彌編

「三菱の至宝展」に行ったら三菱創業四代のことが知りたくなった③久彌編

彌太郎の長男として生まれた岩崎久彌は慶応大学に進学後ペンシルベニア大学に留学し、22歳にして副社長として三菱に入社したエリートです。久彌は本社機能に大きな負荷がかかっていた当時の三菱に事業部制を導入し、迅速な経営判断を可能にするとともに、事業の多角化を押し進めました。その結果、三菱重工業(造船業)の近代化、丸の内エリアの開発をはじめ、キリンビール、三菱製紙、小岩井農場などを立ち上げるなど、事業を幅

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「三菱の至宝展」に行ったら三菱創業四代のことが知りたくなった④小彌太編

三菱の至宝展は9/12に無事最終日を迎えました。直前に開催されたコンスタブル展が会期途中で臨時閉館したまま再開することなく閉幕を迎えたので、今回ももしかすると・・・・・・とは思っていましたが、無事完走したということでひとまず安心しました。

もう展示を見ることはできませんが、鑑賞後の事後学習ということで最後まで書いていこうと思います。ちなみに、静嘉堂の展示ギャラリーは2022年秋に現在の三菱生命館

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「三菱の至宝展」に行ったら三菱創業四代のことが知りたくなった番外編①古典籍と蔵書印のはなし

「三菱の至宝展」に行ったら三菱創業四代のことが知りたくなった番外編①古典籍と蔵書印のはなし

文字を手に入れた人間は文字を見るとどうしても読みたくなってしまうもので、意味が取れそうで取れない漢字の配列を眺めるのはなんだかスッキリしません。本質的には中身が分からないことには古典籍の本当の価値は伝わらないのかもしれませんが、古典籍は文字以外にもたくさんの情報を持っており、実際に様々な側面から史料として研究されています。

例えば、「三菱の至宝展」で展示されている古典籍には様々な「蔵書印」が押さ

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「三菱の至宝展」に行ったら三菱創業四代のことが知りたくなった番外編②陶磁器が持つ景色のはなし

魯山人によれば、「陶器には、その具わっている慶長以後に見られる貧弱な美的価値と、それ以前の作と見られる思想的高踏なる芸術陶器の両面があるということを知らねばなりません。」のだそうです。さらに魯山人は徳川中期以降に作陶された作品に関して、「極めて低級な美を盛るに過ぎない大量的なもの」と一蹴し、慶長以前の作品は「名巌のような、松樹のような、琅玕(ろうかん:美しい竹の意)のような、梅花のような、その美し

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「三菱の至宝展」に行ったら三菱創業四代のことが知りたくなった番外編③翻訳と異読のはなし

「三菱の至宝展」に行ったら三菱創業四代のことが知りたくなった番外編③翻訳と異読のはなし

岩崎久彌が収集したコレクションには異なる言語で書かれた同じ本や異なる時代に書かれた同じ書物の写本、異なる版で印刷された同じ本などが数多く収蔵されています。今回の展示では、ベルギー、フランス、オランダで出版された翻訳本が揃っている《東方見聞録》がこれに該当します。

複数の言語で書かれた同一の書籍を収集することは、翻訳の過程において生じる記述のズレを突き止めるために非常に重要です。聖典などの場合、些

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