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保育とAI

AIはいろんなことができるので、
AIは、保育者の仕事や大切にしていることを奪ってしまう?
AIは、乳幼児期の大切な経験を奪ってしまう?
こういった漠然とした不安・抵抗感があると思います。

しかし、良い悪いの前に、AIのことを知らないことには何とも言えません。

AIには何ができて何ができないのかを知り、AIによって保育や保育者がどう変わるのかを考える必要がありそうです。

そこで、乳幼児教育学会で取り上げられた保育とAIのシンポジウムからの気づきをまとめてみます。

教えるってなんだ?

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「教える」という行為は、基本的にヒト以外の動物にはありません。

そして、生殖可能期間を超えて生きるのもヒトの特徴と言われています。
子孫を残すのが目的であれば、わざわざ生殖可能期間を超えて生きる必要はないわけです。

ということは、生殖可能期間を超えて生きるのには、種としての何らかの生存戦略がある。。。
じゃあ、その生存戦略とは何か?

子孫を残すだけでなく、文化を継承し、発展させること。
そこには、「教える」という行為、つまり「教育する」というヒトにだけの特別な営みがある、ということです。

いま、この「教育」という営みに、AI(人工知能)が入るor入らない、という話になっているわけです。

AIでこんなことができるらしい

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では、これまで自然知能だけで教育をしてきた人類が、人工知能を取り入れて教育するとどのような可能性があるのでしょうか。

それは、AIが得意とする分野はAIに任せ(人間はそういった部分から解放され)、人間だからこそできる分野を強化する。

たとえば傷害・事故予防。
AIがサポートすることで、重大事故を未然に防ぐことができるのではないか。
子どもの行動や環境をセンシングしAIをはたらかせることで、重大事故につながりそうなものを未然に検知し、警告を出したりして事故を防ぐことができるかもしれない。
しかしそれは、いわゆる子どもにとって無菌状態を作り上げるという意味ではありません。
重大事故のない環境をAIがつくるとしたら、保育者は、いかに子どもがチャレンジできる環境を作っていけるか、子どものチャレンジを支えるかという役割へ。
つまり、事故を防ぐという管理者的な役割はAIに任せ、子どもの試行錯誤やチャレンジを支えるという教育者としての本筋に特化できる可能性へ。

たとえば子ども理解。
センシング技術で子どもの位置や向き、視線を捉える。
熟達保育者には背中にも目があったり(本当にはありません)、360度見てるって言われますが(振り向かないと見れません)、やっぱり限界があるし、新人保育者には難しい。

AIが把握した子どもの行動と、生身の人間としての子ども理解を融合させたら、これまで人間だけがやっていた子ども理解からより深いところに行けるのではないか。

恐れる前に、どう使うかを考える

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ということは、AIを過度に恐れたり、遠ざけたりするのではなく、何にどう活用するのかを考えることが大事になるということですね。
AIは人間の仕事を奪うと騒がれた時期がありましたが、それまで裸足だった人間が靴を履いて走り出すみたいな感じなのかもしれません。
どう使うかは人間にしかできない領域です。

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