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ストリップとスサノオとパプリカと

「浅草ロック座のストリップ、見るべし!」大阪で20代30代40代の、仕事も年齢もバラバラの女たち6人で飲んでたら1人が熱く主張する。おお!その場で「じゃ、浅草集合で」と日程その他が秒で決まる。現地集合、現地解散。

 

女体礼賛

秋分の日を前にした浅草寺は非常にいい「気」が漂っていた。浅草寺さんがゴキゲンだな、と感じた。参拝し、昼間から集まって酒を飲み、いざ、ストリップの殿堂、ロック座へ。

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いきなりお嬢様風の美人が出てきて、やっと弾けてますレベルのバイオリンを弾き出す。ええ!?シュールすぎる。

いきなり度肝を抜かれまくったあとは、アート性の強いものやトラック野郎もの、極妻的なもの、民族的なもの、アラビアンナイト的なもの等々、各ストーリー性のある団体の踊りへ。その後に一人づつの見せ場へと展開していく。これが、とにかくすごかった。何故だか涙が止まらない。

全裸で毅然と存在する「魂」と「女体」。覚悟を決めた女とは、こんなにも美しいものなのか。肝が据わった女の存在感。大胆な動きの美しさ、目線の強さ、しなやかさ。

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「媚び」や「恥じらい」など一切ない。この神々しさ。女体礼賛。

なんとかして足の間をじっくり見たい男衆。その欲望にも美しいポージングと「余裕の笑み」で応える。エロスとは生命力。存分にごらんなさい。

全肯定。空間が、あらゆるものへの肯定で満ちていく。

「裸一貫で勝負」する、なんて言葉では言うけれど、彼女たちはまさにそれ。それだけ。そんなものを見せられたら魂が震えるでしょ。薄っぺらい虚飾なんてマジでどうでも良くなるでしょ。

「もう、損得とかどうでもいいです。そんなものは捨てます!」と心の中で宣言していた。

なんだか清められたような気分。清々しい。まるで神社。ああ、そうか。神社って女体を模したものでしたね。

 

台風と突然の出雲呼び出し

謎に出雲大社に呼ばれた気がしたので、翌日早朝、今度は出雲へ。台風接近中で案じたが無事飛んでくれた。次の便は欠航だったようだ。出雲大社へ行ってみたが、どうも違ったようで、いつものように謎の流れで山奥の須佐神社に行くことに。

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夕方雨の中、須佐行きの最終バスに飛び乗って、宿で夜はのんびり過ごした。でもなんだか武者震い?がする。なんだこれ。神社に行く前に「怖気づいた」のは須佐神社が初めて。なんとも恐ろしい。スッキリ晴れた翌朝、正式参拝をした。


働く神々

須佐神社で祝詞を聞いていると目の前に映像が浮かんできた。

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スサノオ様と瀬織津姫、アマテラス様など様々な神様が作業をしていた。よきことのために。よくなるように。楽しそうに。力を合わせて。遊ぶように。あのビジョン。あの光景。ああ、仕事ってこういうことだったよね。そして、いま、起こっていることの意味。そういうことだったのか。


 パプリカ

あの光景に一番近いのは米津玄師の「パプリカ」。あの感じ。あの喜びと楽しさと嬉しさいっぱいの世界。

出雲から帰ってきてこの曲とPVを偶然見たときにはそれまでこの曲を知らなかったので本当に驚いた。

神様たちはこんな感じ。ということは、本来、私たちも。

この曲で全国の子供たちが踊りまくっているらしく、そりゃそうだよね。クリエーターって本当にすごい。米津玄師には一体何が見えたのかな。

浅草と出雲。あの日見た光景。余計なものは脱ぎ捨てて本質だけを見ていきたい。世界の本質とは優しさと寛容、多様性、そして歓喜。私にはそう見える。

小さいけれどよいところ

スサノオ様が「この国は小さい国であるがよい処である。」と気に入って自分の名前をこの地(須佐)につけたそうだ。とてもスサノオっぽいと感じる。小さいけれどよいところ。いいね。

私にとっての「小さいけれどよいところ」。誰かにとっての「小さいけれどよいところ」。夫にとってもこの家が「よいところ」だったら嬉しいな。

喜びと楽しさと嬉しさいっぱいに日々を暮らして、あの日見た喜びと楽しさと嬉しさいっぱいの神々の仕事に参加しよう。私にとって「暮らし」も「旅」も「神事」であり、書くことは自分のいる世界への「奉納」である。

今回もよい旅でした。

サポートありがとうございます。 頂いたサポートは武者修行に使わせていただきます。 ( ー`дー´)キリッ