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「教科書を一緒に読んでほしい」という高校生

数年前、この本を読んだときに「そう!これが言いたかった」と腑に落ちた感覚がありました。

数学者である新井紀子先生による『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』です。ベストセラーとなったので、読んだことはなくともタイトルだけは聞き覚えのある方も多いのではないでしょうか。

この本では、「そもそもAIとは何か?」という点から始まり、AIの特性や苦手なことなどを明らかにしていきます。その上で、現代の子どもたちの読解力に話の焦点を当てて、課題を指摘していく……という構成です。

読むのがちょっと億劫だな、と感じている方にはTED Talkの動画(2017年)もおすすめです。10分程度の動画の中に、書籍版の内容がギュッと凝縮されているので、まずはこちらから視聴してみるのも良いかもしれませんね。

*新井先生は英語でプレゼンテーションを行なっていますが、日本語訳もちゃんとついてます。

さて、本の内容自体は各所で紹介されているので、ここでは割愛して、改めて「教科書が読めない」というのはどんな状況なのか、という点を考えてみたいと思います。

わたしも夫も、仕事は教育関係なので、「教科書が読めない子どもたち」というフレーズを聞いたときに、パッと具体的なイメージが浮かびました。

この「読めない」というのは、決して「文字として認識できない」「漢字や用語の意味がわからない」ということではありません。わたしたちが今まで接してきた子どもたちの中には、「英語がメイン言語で、そもそも日本語が苦手」という子がたくさんいましたが、そういうことではないんです。


「読めるけど、読めない」

一見矛盾しているような現象ですが、結構このパターンは多いです。「読める」の定義が、前者と後者で異なっています。

「読めるけど」の「読める」は、単純に文字として追えるかどうか。「読めない」の方は、頭で内容を理解できているかどうか。

子どもがすらすら音読できていると「大丈夫そうだな」と思ってしまうことがありますが、実はきちんと理解できているかどうかは全くの別問題。なかなか顕在化しにくい部分でもあるので、見落としていることが多いように思います。


「教科書を一緒に読んでほしい」という高校生

実際にあった話です。

ある日、試験前の高校生から「先生、世界史を教えてほしい」と言われました。正直なところ、わたしには専門外なのでパッと答えられるほど知識はありません。

そう生徒に伝えると、「いや、教科書を一緒に読んでくれるだけでいいから大丈夫」と言われました。

……は?

一瞬意味が分からず、「教科書なら一人で読んだら?」と返したのですが、「一人で読んでも頭に内容が入らず、よく分からない」と本人は言います。

ちょっと情報を補足しておくと、別にこの生徒は日本語が読めないわけではありません。やや国語は苦手な子でしたが、少なくとも教科書レベルの文章なら問題なく読める言語能力を持っているはず、でした。


ところが、その生徒は自分で「教科書を読む」ということができません。一問一答式の問題や用語自体は暗記できているのですが、歴史の流れや出来事の関連性を読み解くことができていなかったんです。

そのとき、わたしが実際にしたのは「教科書を一緒に読む」ということだけでした。世界史資料集の対応ページを横に並べて、教科書に書かれた内容を一緒に確認しながら読んでいく、という作業を続けただけです。

一通りの範囲を読み終えた後、その生徒は「よく分かりました!先生は世界史もできるんですね」と言って去っていきました。


いやいや、ちょっと待って。

ツッコミどころだらけの状況でした。


上記でも触れた通り、世界史は自分の専門外なので、その場で語れる知識はほとんどありません。本当にただ「教科書に書いてある内容」をそのまま説明してあげただけなんです。まるで通訳みたいに。

……え、こんなことが必要だったの?と拍子抜けでした。

さらに驚くべきは、実はこの生徒のようなケースは特殊例ではないという事実です。教科書や参考書を読めば分かるはずのことを質問してくる生徒はたくさんいます。


もちろん、困っている生徒に手を差し伸べるのが先生の役割ではあるのですが、「答え」を示すこと自体は先生の役割ではありません。「魚を与えるのではなく、釣り竿を与える」というのが基本的な役割だとわたしは思っています。

知識や情報を得たいなら、今の時代たいていの事柄は簡単に調べることができてしまいます。先生に聞くよりも早いかもしれません。教科書だけでなく、参考書だって種類も豊富です。


でも、残念なことにそれらを効果的に活用できている生徒は少数派ではないでしょうか。便利な学習ツールは世の中に溢れているけれど、使いこなせているのは一握りだけ。ここに物凄い格差があるように感じます。


そんなモヤモヤした状況を明確に突きつけてくれたのが『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』でした。

書籍の中で紹介されている「RSTテスト(Reading Skill Test)」で測定できる読解力には限界もあると思いますが、客観的に把握しようという試みは、かなり画期的です。続刊となる『AIに負けない子どもを育てる』もとても参考になりました。


では、こうした課題を解決するためには何が必要なのか……という点については、まだまだ議論や試行錯誤を重ねていく必要があると思います。

単純に「昔の方が良かった」と言うのは、大人の怠慢だと思うので、これからの時代に合わせた教育のあり方を考えていく必要があるはずです。

そんな中で、新井先生も帯で推薦している『14歳からの読解力教室: 生きる力を身につける』はとても参考になった一冊でした。新井先生の著書を読んで興味を持った方には、こちらもオススメです。


個人的には、読解力を上げるために有効なのは「要約」の練習だと思っています。「読む」という行為は受け身になりがちですが、要約をすることで主体的に理解しようとする意識が高まります。

新井先生と野矢茂樹先生の対談でも、野矢先生が「要約が最も有効」だとおっしゃっていたので、ちょっと心強く感じました。

私は、国語力をつけるには要約が最も有効だと信じているんですよ。文章を木に例えると、いちばん重要な幹=言いたい中心的な主張があって、それから枝葉=主張を説明したり、支えたりする部分があるはずです。要約の訓練を重ねることによって、その幹の部分だけをうまく切り出して文章の構造を取り出せるようになるわけです。その力がないと、幹も枝葉もなくて藪みたいになって、文章を読んでも頭に入らなくなる。
〈対談〉 新井紀子✕野矢茂樹「生きるための論理」より抜粋


あらためて「教科書」について話を戻すと、日本の教科書はよく作られています。細かい部分まで工夫がされているし、クオリティが高いです。久しぶりに読み返すと、大人が読んでもおもしろいなと感じます。

だから、まずはぜひ教科書を大切にしてほしい。
教科書に書かれていることが決して「すべて正しい」わけではないけれど、基本ではあります。


……でも、子どもだけでなく大人にも同じことが言えますよね。

「学び」は子どもだけのものではないので、大人も読解力を上げるための努力をしていかなければいけないな、と思っています。

RSTのホームページに例題が掲載されているので、気になる方は腕試しに解いてみてはいかがでしょうか?



みな

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