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ポメラ日記68日目 本屋に寄り道する話

 このあいだ、梅田のジュンク堂書店の本店へ立ち寄った。

 梅田の新刊書店というと、僕の中では「紀伊國屋書店」と「ジュンク堂書店」の二強になっている。

 梅田の「紀伊國屋」は、小さな頃から通っていて、学生の頃は部活用のエナメルバッグを肩から提げながら出入りしていた(通路で大抵ぶつかります)。文房具コーナーもあって、ポケットで持ち歩ける小型のノートをずいぶん買った記憶がある。

 最近は、洋書のバーゲンセールを見掛けることがあり、フィッツジェラルドや村上(春樹)さんの洋書を手に入れたこともある。

 小説を書くようになってからは、文芸誌の公募の結果をよく見に行った。阪急の改札側(コインロッカーのある方)から入ると、すぐに文芸誌のコーナーに辿り着く。

 もちろん、名前は載っていなくて、とぼとぼと落胆して帰るのがお決まりのコースだった。ヨドバシカメラの前のスクランブル交差点の日差しがいつもやけに眩しかった。あの道を笑って歩いたことがない。

 「ジュンク堂」は「丸善」と合併して「丸善&ジュンク堂」になったけれど、相変わらず僕は「ジュンク堂」と呼んでいる。「丸善」には何となく東京や京都のイメージがあり、梶井基次郎の「檸檬」で読んだ、ハイカラな感じがする。

 梅田で本(新刊)を探すというとき、「紀伊國屋」か「ジュンク堂」のどちらかに行けば探している本が手に入る、という法則がある。

 品揃えで言うとおそらく「ジュンク堂」がよく、「紀伊國屋」で目当ての本が見つからなかったとき、「ジュンク堂」に行けば見つかる、ということがよくあった。この二つの大型書店は補完関係にある。

 さっと立ち寄れる立地や利便性で言うと「紀伊國屋」で、少しマニアックな本やゆっくりと本が読みたいときは「ジュンク堂」。

 本好きの感じでは、なんとなく「ジュンク堂」の方が敷居が高く、学生の頃はあまり出入りしなかったけれど、大人になってからは「ジュンク堂」によく立ち寄った。

 この間は洋書のフェアがあると通知が来たので、何となく行ってみた。本屋に行くときはいつも「何となく」で行く。

 カポーティの「最後のドアを閉めろ(『Shut a Final Door』)」の短編が入った洋書を探していて、見つかればいいなと思っていた。が、やっぱりバーゲンコーナーにはなくて、そのままフロアをうろついた。

 「ジュンク堂」の本店に入って、1冊も買わずに出てきたことってほとんどないような気がする。一般書店では縮小ぎみの海外文学(翻訳文学)の棚もずらりとあって、目移りする。

 棚の背表紙を見ていると、「何となく目に飛び込んでくるタイトル」とか「妙に目が合う本」というのがあったりする。

 本屋で本を探すのは、僕の中ではちょっと占いに近いところがある。「何回通っても気になってしまう本」があって、ダウジングみたいなものかもしれない。あるいはウィジャボードの針になるというか。

 ヘンな話だけれど、気になる棚は二周か三周くらいして、本の冒頭を立ち読みして棚に戻す、という行為を繰り返しているうちに、「通路を抜けたあとも妙に気になる本、後ろ髪を引かれる本」があって、それは経験則でいうと「いまの自分にとって必要だった本」であったりする。

 この辺は、「本好きの都市伝説」として聞いて貰えればいいかなと思う。たぶん、「本屋に行く回数」と「読んだ本の数」によって、「当たり」の本を見つける確率が上がる。本の値打ちを知るためには古本屋にも通うといい。本の嗅覚がよくなるから。

 あと、出版社との相性も何となくあると思う。スタンダードな古典を揃えるなら新潮の海外文庫、ポップなエンタメ小説は角川、ハードなSFはハヤカワepi、小説の創作法はフィルムアート社、マニアックな海外文学は河出文庫、みたいな感じでレーベルのカラーがあると思う。

 今回、僕は、「白水社」の白水uブックス(翻訳版のサリンジャーの「ライ麦(野崎孝訳)」を出しているところ)の棚を見て廻った。

 するとやっぱり気になるタイトルがあって、ちょっと手を伸ばした。堀江敏幸さんが書いた「郊外へ」という本だ。

 どうして気になったのかは自分でも分からない。『郊外』には何となく憧れがあったからかもしれない(学生の頃、裕福な家の子が庭付き一軒家の郊外に住んでいて、遊びに行くと、オーディオコンポやL字型のソファがあったり、二段ベッドがあったり、犬がいたりした。彼はクラスの人気者で、僕が持っていないものをみんな持っていた)

 もちろん堀江さんの文章は、僕が本を開く前に想像していたものとまったく違った。

 初めに読んだのは「レミントン・ポータブル」という冒頭の章で、はじめは「レミントン・ポータブル」が何を指しているのか、まったく分からなかったけれど、読み進めていくとすぐにタイプライターの話だと分かった。

 堀江さんの文章は、ブレスが長い、というか、切れ目なく流れていくような文体で、一文一文がいったいどこに着地するのか分からない面白さがある(そして、はじめて読む人は面喰らう)。
 
 「レミントン・ポータブル」というのは、米国製のタイプライターで、古物市の露天で商売をしている少年と「値切り合戦」の掛け合いをする、という何ともユーモラスな描写からはじまる。

 少年の手の内を読んでいる「私」と、何とか大人のまねをしたい中学生くらいの「少年」。このあと、少年の父親がやってきて、これは「(ジョルジュ)シムノンが使ってたのと同じ由緒ある型だ」とちょっとした嘘を言うのだけれど、やっぱり「私」はそれも見抜いていて、「シムノンが愛用していたのは、たしか重戦車なみのアンダーウッドだったはずだが」とすかさず書いて、でもそれについては「言わずに」、値切り交渉を続ける辺りが、読んでいて痛快な感じがする。

 実は「私」がこのタイプライターを手に入れたい理由には、ある作家にまつわる記憶が関係していて……、という話なのだけれど、ネタバレになるのでここまでにしておこう。

 この本に掲載されていた詩の部分がとくに好きで、僕は結局、『郊外へ』を買って帰った。

 僕ははじめ、『郊外へ』を小説だと思って読み進めていたのだけれど、あとになって『エッセイ』だと分かって思わず声が出そうになった。フィクションだと思っていたことが、ノンフィクションだったことの驚きがあって、ほんとうに筆が上手い人の手に掛かると、その境目はなくなってしまうんだなと思った。

 小説で行き詰まったときは街へふらりと出掛けて、お気に入りの本を探してみるのもいいかもしれません。

 それでは、よい週末を。

 2024/04/12

 kazuma 

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