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やさしさに包まれたなら

学校で学生や生徒にやってもらうデザインに関する課題やワークを考える際、「大喜利にならないようにしないと」と意識することがある。
自分が比較的、サービスやGUIのデザインなど、道具としての趣が強いデザインに関わる基礎演習に呼ばれることが多いからだろう。人間中心設計、形は機能に従う、そうしたことを噛み砕きながら、遠回しに「まずは人間のメンタルモデルに沿うような設計の型を覚えましょう」ということを伝えていると思う。守破離の守をしっかり押さえてもらう、という感じだ。

しかし、学生や生徒の中には、実に殊勝なことに、こちらを驚かせようとしてくれるような方がいる。思わず笑ってしまうようなアイデアを出したり、これまで誰も見たことがないようなトリッキーなことをしてくれるような手合いが。
ありがたいしよくよく考えればこちらの勝手な都合でしかないのだが、前述の通り、はじめは守であってほしい。これまでにないような鉛筆をつくるとしても、まずは鉛筆の形を保ってほしいとでも表現すると良いだろうか。
講評会の時に困ってしまうのは、これはおもろい!と思うようなアイデアが出てきていても、それをピックアップして評価してしまうと、その後出てくる作品が「いかにズラすか」「いかに見たことのないアイデアを出すか」という方向に向かってしまうことがままあることである。
そういうとき、自分の力量の至らなさを痛感する。おもしろいと思っても、おもしろいと伝えきれなかったり、そっちの方向にいかないでほしいと思っても、それをはっきり言えなかったりする。どのような立場に自分の身を置いて良いのかわからなくなりながら、講評の時間が流れていくことがこれまで何度かあった。

ところで、TAKEO PAPER SHOW 2023 PACKAGING ─── 機能と笑い を観に行った。
とにかく見応えのある展示で、ため息をつきながら会場を周ったのだが、前述の話題に引き付けるなら、”笑い”の方の展示に考えさせられた。こちらのキュレーターは「おいしいデ」や「わらうデ」の梅原真。「デザインとは笑いである」を標榜するデザイナーである。
会場には、思わず手に取ってしまいたくなるような商品パッケージが並ぶ。持ち手がやかんの取手になっている、カップヌードルのショッパー。リスの形を模した持ち手からはみ出た網を、頬袋に見立てたくるみ袋。赤鬼豆カレーとだけ書かれた札の貼られた、真っ赤な包み。

パッケージのデザインと、サービスやGUIのデザインのセオリーはそれぞれ別であろう。しかし全く関係ないとも言い切ってしまってよいものか、それでは、その関係性とは何で、そこから互いに何を見出すことができるか、とやけに難しく考えながら会場を周った。
ボールペンを買ってキャップを外したとき、そこに消しゴムがついていたら、イラつきを超えて怒り狂うだろう。困るだろう。しかしそれを超えて脱力し許してしまうような、「キャップを外した時についていたら驚くもの」を考え抜く夜が、時にはあってもいいのかもしれない。そして今日がそういう夜のようだが、自分の力量では消しゴムくらいしか思い当たらなかったわけである。実に情けない話である。

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