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ドイツのゲーム文化発展過程から学ぶ『フットボールの発展に必要な5つの要素』

ユーロゲームもしくはドイツゲームとは、1990年代中盤から現在までに発売され、世界的な人気を獲得した独特のテーブルゲーム群。 狭義にはドイツを中心とするユーロ圏で作られるボードゲームを指すが、2010年代以降その枠にはとどまらなくなりつつある。weblio辞書より

ユーロゲームのデザインや文化、歴史、プレイについて書かれた『ユーロゲーム ——現在欧州ボードゲームにデザイン・文化・プレイ』には、「ゲーム」という点で言えば同じ分類に属し、また多くの類似性を持つ「フットボール」を考える上で、非常に重要な記述がいくつも散りばめられている。

チェスをはじめとして、あらゆるボードゲームはその特徴から、私たちがプレイする「フットボール」と比較され、メタファとして用いられてきた。フットボール、戦争、ボードゲームが切っても切り離せない関係にあることは、ペップ・グアルディオラが「配置」という概念をこの世界に持ち込んで以降とくに、常識として認識されるようになった。

今回は、そこにある戦略性を含む「プレイ」の要素に注目してフットボールを語るのではなく、第三章「社交ゲーム ドイツにおけるゲーミング」から多くを引用し、「文化」の観点から考察をしてみたい。


ドイツのゲーム文化

そもそもドイツという国は、フットボールの国である。文化として、また競技としてフットボールを大いに革新・発展させてきた。(フットボールにおける)アカデミックな領域でも、またコーチング(指導者)の領域においても、ドイツを抜きにしてフットボールを語ることは一向にできない。しかしまた、ドイツは「玩具の国」であり、ユーロゲームが生まれた「ボードゲームの国」でもある。そこには何かしらの社会的・歴史的・文化的背景があって然るべきである。

ドイツは長い間、高品質な玩具の生産に結びつけられてきた。〔ニュンベルグ玩具博物館の〕Helmut Schwarzはニュンベルにおける玩具生産(とりわけ粘土人形)の始まりを14世紀後半にまでさかのぼるとしており、またこの都市は長い間「世界の玩具の首都」の称号を自称してきた。(中略)18世紀の終わりには、ある店のカタログに八千種類の玩具がリストされており、店主の言うところによれば、それは全て、この都市で産まれたものだった。
Schwarzが記すように、産業以前のこの時代においてこれだけ製品の幅が広いのは国際的取引が相当に存在していたことを示している。ヨーロッパの文化の中心として、そしてカトリック教会の庇護の下、ニュンベルはドイツにおける「技術の誕生地」として有名だった。

「なぜドイツはボードゲームデザインの世界的な革新の中心と認識されるに至ったのか」をみれば、現代フットボールにおいてドイツが同じ役割を担っていることも頷ける。

そしてそれらを学び、考察することは、私たち日本のサッカーを少しでも成熟させるために、大きな助けになるのではないか。


「文化」を生成する5つの要素

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本書を読むと、ドイツがボードゲームの類において、アメリカやその他ヨーロッパ諸国とは異なる独自の文化を持っていることがわかる。ではその「文化」と言える独自性は、どのようにして産まれるのか。あるいはどのような条件が揃うことで形成されていくのか。

私の解釈としては、以下のようにまとめることにしたい。そこには5つの要素がある。

①歴史・社会的背景
②デザイナーの養成
③メディアの支援
④コミュニティ(知見共有の場)の存在
⑤ショー・イベント等の発展

まず、①歴史・社会的背景として、ドイツは玩具の都市であったことは上記した通りであり、その他あらゆる点において「発展の必然性」が存在していたことがわかる。

第一次世界大戦の時点まで、ドイツは世界的に玩具生産を支配していた。この戦争は生産の停止をもたらし、工場は武器生産用に転換させられ、国際市場はアクセス不能になった。(中略)ドイツの玩具は多くの国でボイコットされ、第二次世界大戦の発生により、まだ残っていた工場は再び武器生産に転用され、玩具生産の全面的禁止が1943年に発布された。

一度戦争や大恐慌、また国家社会主義党の権力の高まりなどによって勢力を弱めたドイツの玩具文化だったが、その回復は迅速だったという。余談ではあるが、フットボールが生まれたイギリスも、フットボールの全面禁止が長い間発布されていた歴史を持つ。禁止されることは、また同時に発展を促す行為なのかもしれない…。

ドイツ文化が戦後の急速な経済回復における鍵だったと見られていること、そしてゲーム業界がこれほど早く回復したことを鑑みれば、これはゲームがドイツの国民的アイデンティティの極めて重要な一部を成すものと理解されていることを示している。

日本においてももちろんそうだが、第二次世界大戦という「戦争」がその国のアイデンティティの形成に多大なる影響を与えていることが、改めてわかる。日本はきっと、敗戦国でなければ経済大国になることもなかっただろうから、今日の私たちの思考枠、倫理観、美意識などの類は、大きく変わっていたに違いない。

その国における何らかの発展(文化"化")には「必然性」があるのだ。


作り手養成と、その周辺のシステム化

そのような背景による必然性があったうえで、そこから「意図性」を持った発展には、作り手の養成と、それを支えるシステムが必須となってくる。日本はあらゆる面でかなり属人的な発展を遂げるが、西洋は何においてもシステム作りが明らかにうまい。

まずドイツでは、ボードゲームの②デザイナー養成を会社が独自で行い、それを③メディアが支えた。

主としてファミリーゲームの生産者であるRavensburger社は、ドイツ人原産のゲームを開発すべく、社内のデザインチームを養成し始めた。多国籍企業達に徐々に試合されつつある闘技場で地域のアイデンティティを保つためには、地域の創意工夫が必要だった。幸いなことに、ゲーム会社の努力はメディアによって支援された。これはドイツにおいて確立されたゲームの文化的重要性を反映している。
おそらく、他国として比較してドイツの現代ゲーミング文化に最も大きな影響を及ぼしたのは、ゲームを扱うメディアの大きな存在感だ。

これはもう、ドイツにおける現代フットボールの発展過程を語る際に、そっくりそのまま引用しても差し支えないほどである。

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ドイツは、ドイツ独自のダイナミックでバーティカルなフットボールをつくりあげたが、そこにはデザイナー(作り手)=監督やコーチの養成が背後にあったことは言うまでもない。その独自性は、メディアを通して世界中に拡散された。W杯を制すにあたって、代表組織が独自にアナリスト集団を形成し養成を行っていたことは今では周知の事実だし、ユルゲン・クロップを初め、ユリアン・ナーゲルスマンやトーマス・トゥヘルなど、ドイツ人の独自性を持つ監督もシステムによって誕生させることに成功している。


知を共有することでしか到達できない領域と、ショーというブースト

このようなシステム化に加えて、④コミュニティと⑤ショー(イベント)の存在を無視することはできない。

とはいえ、デザイナーが著者として商業的に認められるだけでは、ゲームデザインの活発な文化を作るには不十分だ。1970年代以降そしてSpecial des Jahres(ボード/テーブルゲームの賞)の設立以降、ゲームの著者を大いに支えるコミュニティが発展した。(中略)それ以来毎年、新規およびベテランのデザイナーや出版社そしてゲーム編集者が、集まってゲーム業界内の重要な問題について議論し、アイデアや工夫を交換し、プロトタイプを有望な出版社に見せている。

なぜヨーロッパでフットボールがこんなにも発展するのかといえば、科学の発展と同じく、コミュニティを形成し、知見を絶えず交換し続けているからである。ゲームの世界も、同じであった。

現代フットボールは、ドイツ、イギリス、スペイン、イタリア、ポルトガル、フランス、などの国々を中心に知見を共有しあい、競争し、発展をアクセレートしている。南米諸国もその縮図は変わらない。日本の場合、ここにおいて圧倒的にコミュニティ外の存在であるため、発展の難易度は絶望的に高いのである。

そしてそれら、全ての要素をブーストするものとして、イベントやショーなどの存在がある。

ドイツにおける消費者の注目とデザイナー志向文化の両方についてまた別の物差しになるのが、一年を通じて開かれる様々なゲーミングショーであり、その最大のものがエッセン・ゲームフェアだ。(中略)その目的は人々が「集まって共に遊び、ゲーミングがドイツ文化の不可欠な部分であると実証」できるイベントを提供することだった。
重要なのは、ゲームフェアは新進のボードゲームデザイナーが新作を大会社と同じ現場に展示できる場だと見なされていることであり、またアメリカとは異なり(アメリカでは、Hasbroのような会社は、要求していないのにゲームを提出されても、ふつうこれを避ける)、大会社が創造的なデザインを積極的に求めている。(中略)ゲームフェアは商業の現場であるのと同じくらい、出版社とデザイナーの両方が良質なゲームを生み出すことの文化的な誇りを湛えており、これが利益の追及と同等にドイツのゲーム業界において大きな部分を成すものであるのはおそらく間違いないだろう。

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現代フットボールで言えば、これはW杯や、チャンピオンズリーグに当たるだろう。

それぞれの国が、戦術の発展性などを披露し、競い合うことで、文化的な誇りを湛えているのがそれらの「ショー」であり、お披露目の場である。W杯やチャンピオンズリーグがなければ、現代フットボールの発展はない。


戦後のウォーゲームへの態度の影響

①歴史・社会的背景
②デザイナーの養成
③メディアの支援
④コミュニティ(知見共有の場)の存在
⑤ショー・イベント等の発展

以上、文化が文化たる所以5つの要素を見てきた。いかに欧州や南米におけるフットボールの文化が偉大かが、わかる。

日本は①の時点ですでに真似することは叶わないのであるから、それでも彼らの道をなぞるのか、それとも別の道を行くのか、あるいは両面なのか、ここで私の意見を述べることはしないが、少なくともフットボールに関わる人間として考えるべきものであることは間違いない。

最後に、上記したようなことに付け加える形で、本書の中にある興味深いトピックから問いを生み出し、この記事の最後にしたいと思う。

ドイツでは、ボードゲーム発展の一方で、その一種である「戦争」を模したウォーゲームが嫌悪されているという。それはもう、どんなに歴史に疎い人間でも、ドイツ人が戦争に関するゲームを嫌悪する理由はわかる。

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