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あなたにはなぜ、一貫性がないのか?

サッカー監督とはブランディングである。2年ほど前に書いた記事に、僕はそう書いた。確かにこれは、今でも思う。サッカー監督の仕事とは、ピッチ内外問わず、ブランディングをしていく過程そのものだし、そのうえ監督は、クラブのブランディングの一部として機能しなければならない。

あれから2年が経って、僕は相変わらずブランディング、ブランディングばかり言っている。当時よりも専門的な知識はついただろうし、実際にサッカークラブのブランディングをするまでになった。

ただ「自分がブランディングばかり口走る理由」が、当時とは少し変わっている気がしている。もとい、深いところまできているような気がしている。なぜ僕のような人間が「ブランディング」という分野に興味を持ち、そして他者にもその視点を求めるのだろうか。


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ブランディングという分野を学べば学ぶほど、より「深い」考察を求めれるものであることがわかる。深いと言おうか、奥と言おうか、根源と言おうか。普段表面には現れていないものを探り、抜き出し、解釈をし、そして意図的に表出させていく。

おそらくこの作業が、自分にとっては「人生」と自然に重なるのだと思う。「お前は一体何者なのだ?」と、僕は子供の頃から考え続けていた。鏡を見て、外見は借り物で、中身とは別のものだとしか思えず悩んだ時期もあるくらいで、僕は少し変だったのかもしれないけれど。

己とは何か。

それをビジネスに置き換えても、ブランドに置き換えても、プロダクトに置き換えても、僕の場合サッカーチームに置き換えても、全てはそこから始まっていくと信じている。それがきっと、自分が自然とブランディングというものに興味を持って、今も学び続けている理由なのだ。

深く、奥の方を探っていく感覚。


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それ故、僕は「セルフブランディング」というものが比較的楽に出来る。特にWEB上で自分のブランド(と言ったらまだ大袈裟だけど)をつくるのは、ある程度予測が出来ていて、監督としてのキャリアをスタートさせることを目的に、SNSでセルフブランディングをすることを誰かに否定されても意見を曲げなかった。それが自分にとっては自然な、予測ができる作業だったからだ。

それが今、仕事として、たくさんの人を巻き込みながら「ブランディング」という作業と向き合っていると、やっぱりいろんなことが見えてくる。

根気のいる作業であること、時間のかかる作業であること、表面に出てくるデザインは一部でしかないこと、言葉のセンスがいること、そして、操作されたものであること。

『さよなら、俺たち』という本を読んだ。

男性性(マスキュリニティ)にフォーカスした、ジェンダーがテーマの本だ。最近ジェンダーについて興味を持っているのも、女性があまりに理不尽な暮らしを強いられていることを知ったのと同時に、自分が「男」だからだ、という部分に気が付いたからだと思う。つまり「男とはどういうものなのか」。そして何より大事なのは「男とはどういうものだとされているのか」。ジェンダーとは生物学的な性別のことではなく、社会的、文化的な性差のことを言うらしい。男性として日本に生まれた僕は、知らないうちに特権をいくつも持っていることに気付かず、それ故「男とは」みたいな問いをせずに生きてきた。自分という人間を深くまで探るには、「日本に生まれた男」ということを抜きにして考えることは、多分無理だと思う。

こういう作業が、僕にとって「ブランディング」にすごく近い。そもそも何なのか。何がしたいのか。何がしたくないのか。それを納得のいくまで探っていかないと、人間だったら幸せになれないし、商品だったら売れないし、サッカーチームだったら勝てない、僕はそう思っているから、このビジネスから生まれたブランディングという概念をビジネスとは違う文脈で受け入れる。

全く関係のない文脈においてだが、この本の中で著者は『人間の一貫性は、フィクションだと思う』というようなことを言った。僕はその言葉を見た時、頭の中に色々なものが走った。この言葉にも、僕がブランディングを特別視する理由が詰まっている。


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吉本ばななの著書に『「違うこと」をしないこと』というものがある。自分にとって「違うこと」とは何なのか。僕らはきっと本能でそれを理解しているのに、無視をしてしまう。自分にとって「違うこと」をすればするほど、自分とは違う生き物になっていく。

僕もきっと、自分にとって「違うこと」をするのが、異常に嫌なんだと思う。子供の頃はそればかりしていたから、18歳の時に生まれた場所から逃げて地方に行った。それから自分は、ある程度自分であることが出来ていると思う。

この「違うことをしない」、という作業はブランディングそのものだなと思う。

NIKEは挑戦を馬鹿にしたりしないし、Appleは洗練された見た目にこだわり続けるだろう。自分がある何かの「ブランド」だと考えた時、そのブランド=あなたにとって「違うこと」とはなんだろうか。

人間の一貫性は、フィクション。僕らは多分、個人レベルで言えば、昨日と言っていることが変わったり、言っていることとやっていることが違ったりする。そういう生き物だと思う。だからおそらく、周りにいる一貫性をもった人々は「己に何かをして」一貫性を保っている。例えばそれは、吉本ばななの著書にあるように、「違うこと」をしないと決意することだったりする。

何かをブランディングしていくこととは、決して自然ではないのだ。ブランドを築き上げていく作業には、自然ではない何かが必要になる。

僕はきっと、ある種この不自然性がゆえの難しさに、魅了されている。


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河内一馬(カワウチ カズマ)
1992年生まれ(28歳)東京都出身。サッカー監督。アルゼンチン在住。サッカーを"非"科学的視点から思考する『芸術としてのサッカー論』筆者。監督養成学校在籍中(南米サッカー協会 Aライセンス保持)。NPO法人 love.fútbol Japan 理事。2021年より鎌倉インターナショナルFCの監督 兼 CBO(Chief Branding Officer)に就任。

※現在はこの月額制のマガジンでしか文章は書いていません

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