見出し画像

第4話:インパクトのある国 編|『あのサッカー大国は、天国か地獄か』

第1話:はじめてのひとり旅 編
第2話:他人と違う自分 編
第3話:欲に素直になる 編

第4話:インパクトのある国 

『あのサッカー大国は天国か地獄か』-4話_アートボード 1

進む道を決める時、僕は「直感」に素直になる。これまでもいくつか決断をしてきたけど、それらは全て人生にとって大きな分岐点となるもので、18歳でサッカーをやめて東京を出る時も、24歳の時に旅をする時も、そしてアルゼンチン来ることを決断した時も、「この道しかありえない」と感じていた。だから誰かに止められても、やめておいた方がいいよと言われても、全く耳をかさなくなってしまう。自分でも不思議だけれど、それ以外のことがイメージ出来なくなるのだ。この感覚が自分にとってはGOサインで、迷ってしまう時はまだ時間が必要なんだと、そう判断する。アルゼンチンから日本に帰ったあと、監督としてのキャリアをスタートさせる場所を鎌倉に決めた時も、「この道しかありえない」といういつもの感覚を持っていたから、迷いが全くなかった。こういう時、僕は大抵うまくいく。


理由は後からついてくる

無意識に頭の中で戦略を形取って、進む方向を決める。それから理由をつけて、決断にロジックをつけていく。自分にとっては最後のチャンスだと思っていた海外挑戦を「アルゼンチン」という国に決めた時は、まさにそんな感じだったと思う。僕がうまくいく時の、いつもの感覚。

外国人でもプロライセンスが取れる場所でなければならなかったし、住むのに莫大なお金がかかる国ではいけなかったし、VISAも比較的簡単に取得できる場所でなければならなかった。言葉は英語かスペイン語を取得したいと思っていたし、もちろん「サッカー大国」でなければ、サッカーの本場でなければいく意味がない。そして何より自分にとっては、「インパクトのある国」という条件が、最も重要だった。

上にあげたいくつもの条件を満たしているのは、今考えてもアルゼンチンしかあり得ない。


セルフブランディング

僕にとって「インパクトのある国」という条件は、絶対だった。それもサッカー大国でなければならない。その理由はひとつ。セルフブランディングを成功させるためだ。

なぜ僕が、海外に出ることをきっかけにセルフブランディングをしなければならなかったのか。理由は大きく2つある。

①お金や人脈がなかった:スポンサーを獲得したり、何かしら自分に金銭的な価値を生まなければならなかった
②日本に帰ってすぐに監督としてのキャリアをスタートさせたかった:日本に帰るまでにある程度名前が知られていなければならなかった

結果的に僕は、1年目はクラウドファンディング、2年目はスポンサー+収入、3年目は収入、という形でアルゼンチンで生活し、こっちにいる間に監督としての契約を結ぶことが出来たから、そういう点で言えばセルフブランディングは大成功と言える。

具体的にどういう戦略で動いていたのか、そして具体的に何をしたのかは後述していくとしよう。


これまでのパターン

とにかく僕は、「2年、もしくは3年で日本に帰ってくる」ということを決めていたから、その期間の中で目立たなければならない。当時のことを考えてみると、WEBで名前が上がる「海外にいる指導者」は今よりも圧倒的に少なく、言ってしまえばまだブルーオーシャンだった。ここ2,3年で、SNSの普及も手伝って事情が大きく変わったけれど、僕は当時の彼ら(名前が上がっている海外在住の日本人指導者)をよく観察した。

基本的に彼らがやっていたことは「積み重ね」だった。つまり、海外生活の中で「名前が出ない時期」という、(言い方が正しいかはわからないが)隠れている時間を皆持っていたのだ。つまり、いくらかの時間を経て徐々に目立っていく。僕はそれだと、ダメだった。なぜならWEBで名前が知られなければならない(①と②を達成するため)のに、2,3年しかないのだから。

つまりこれまでのパターンをなぞろうとしても時間が全く足りないのだ。

そのために「インパクトのある国」という条件は必須だった。「スペインにいる」というのと「アルゼンチンにいる」というのは、人々の印象が全く異なる。

ここから先は

1,057字
サッカー、またはサッカー以外の分野から日々何を学んでいて、何に気付いて、何に疑問をもち、どんな風に思考を巡らせているのか、そのプロセスにおいてどのような知識や仕組みが必要だったのか…などが書いているマガジンです。記事数は150以上。

蹴球症候群

¥300 / 月

他分野を通してサッカーを解明し、サッカーを通して他分野を解明する

いただいたサポートは、本を買ったり、サッカーを学ぶための費用として大切に使わせて頂きます。応援よろしくお願いします。