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「敵は内にあり」状態について——何に答えを出すべきなのか?

まあ僕はもちろん日本人だから、これまで色々な日本人の組織に属していきてきたわけだけど、パンデミックにおけるこれまでの日本を客観的に見ていると、つくづく「何と戦ってんの?」と思わざるを得ない。「内側に敵いるよねそれ」と、誰がどう見てもわかる状態。

僕は安宅和人さんの『イシューからはじめよ』が凄く好きなのだけれど、結局、何かと戦うとき、もしくは何かに取り組む時、動く時、なんでもいいけど、「何に答えを出すべきなのか?」ということが、一番重要なのだ。僕は職業柄なのか、性格からなのかはわからないけど、「何と戦うべきなのか?」とか「そもそも何と戦っているのか?」とひたすら考えることが多い。

いまの政府や典型的な信用できないリーダーを見ていると、「お前何と戦ってんの?」という感想がいちばん最初にくる。あなたがいま必死になって倒そうとしている相手は、対象は、なんですか?それは本質的ですか?と問い続けないと、スピードが出ない。時間が勿体無い。

組織やチームというものは、「ひとりでは解決できないことを集団になって取り組む」ために存在している。ひとりで出来るものなら、集まる必要はない。もちろん、内側に対してアプローチをすることも必要だけれど、それはあくまでスピードを出したり、質をあげたりするのが目的で、内同士で戦って外に目を向けられないのは、本末転倒にもほどがある。わかっていても、常に問い続けないと無意識に戦う相手を間違えてしまうから、集まった人間というのは恐いのだ。確かに、内と戦わなければならない時もある。でもそれは、外と戦うための「手段」であることを忘れてはならない。

今回の「政府(各政治家)vsそれ以外」の縮図に関して言えば、明らかにリーダーの力が足りない。決断にパワーを感じないから。僕がこの記事で言いたいのは、「今は政治家の批判なんかしていないで、コロナと戦えよ!」とか、そういうことでは全くない。どちらかと言えば、意思決定を任されている政府に言っている。あなたたちは、今なにと戦っていますか。

「リーダー」と「その他」を分けるのであれば、この「敵は内にあり」状態を脱するためには、両者の協力が必要だ。「敵は内にあり」状態に陥らないための、イシューを見極める想像力と、集団で動く時の利点と欠点に対する理解力、そして何より、「戦う相手は外にいる」という、当たり前のことを常に意識することである。特に、日本では。

終わり

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