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考察:『細かな美しさ』 と 『大きな醜さ』 どちらにより敏感になるべきか?

『日本人は、細かな美しさには敏感だが、大きな醜さには鈍感である』

誰が言っていたのかは覚えていないのですが、ある外国人が日本のことをこのように言い表しました。この言葉を聞いた時、これは極めて真理だなと、そう思いました。

例えば日本という国には、世界的に名のある建築家が多くいます。しかし例えば東京の街を見ると、ひとつひとつの建物は美しく質の高いものが多いのにも関わらず、街全体を見ると、決して「美しい」とは言えません。諸外国の統一性のある街の美しさと比べると、それは一目瞭然と言えます。言うなれば、細かい美しさはあれど、大きな醜さもまたある。

これをサッカーに例えると、日本には、細かい技術に優れた選手や、細かい要素を注視する指導者は多くいる印象を持ちますが、一方で、大きな醜さ(問題)に気付くことが出来る、もしくはアプローチが出来る選手や指導者は、比較して少ないように思います。日本のスポーツでよく用いられる『神は細部に宿る』という言葉がありますが、これは誤解を生みかねない言葉であると、僕は個人的に考えています。

そんなに小さなことを指摘する(美しさを求める)前に、もっと大きな醜さに手を付けるべきだ…と思ったことは、日本の現場を見ていて少なくありません。ピッチ内、外において。

だから私は「どんな監督になりたいか」と聞かれたとき、「大きな醜さに気付ける監督」と答えることがあります。コーチはチームにおける、もしくはゲームにおける「細かい美しさ」に気を配り、監督は「大きな醜さ」に気を配る。それこそが本来与えられている任務であると思うからです。


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しかし、僕はずっと疑問を抱えていました。たとえば例に出した「街」において、もしくは「サッカー」において、「細かな」と「大きな」は一体どこで区別されるのか?という点です。何が細かいことで、何が大きいことなのか。それに線引きがなければ、街も、サッカーも、改善することが出来ないであろうし、追求することも出来ません。

つい最近、長いこと抱えていたこの疑問が、ある著書を読んでいる時に少し解消されました。この日本人の特徴である『細かな美しさには敏感だが、大きな醜さには鈍感である』という性質を、弱点を、うまく避けて仕事をするためには、必須な考え方だと思いましたので、今回はそれをシェアしたいと思います。

サッカーにも、ビジネスにも活きてくる話です。


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サッカークラブのCBO(Chief Branding Officer)という仕事には、僕の専門外の領域が多く関係してきます。既にプロジェクトを進めている今、改めてそのことを感じているわけですが、その代わりに僕にしか出来ない仕事があるということも、また間違いなさそうです。そのような状況に置かれている今、デザインやブランディング、マーケティングなどについて勉強をすることが多いのですが、

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