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個人的なもの、全体からの孤立、分離の感覚が消滅する時——。なぜ人は“観に行く”のか?

やはり舞台芸術の類には、サッカーという「何か」との共通点や類似点を見出さずにはいられません。『芸術としてのサッカー論』で「サッカーとは芸術である」と書いたのも、生身の人間が舞台に上がり、感情や理論をぐちゃぐちゃに織り交ぜながら表現するものを、観客が“参加する”ことで完成する演劇やミュージカル、あるいはサーカスのようなものに、サッカーを重ね合わせたからに他なりません。

私は今「監督」という立場で、サッカーという「何か」の作り手として存在しています。その規模に関わらず、「人(観客)が観る」という可能性を1ミリでも内包した時点で、私たちコーチやプレイヤーは、舞台芸術の作り手たちと同じように、いかに観られたいか、いかに感じてもらいたいか、何を伝えたいか、などの項目を、真剣に吟味した上でプレーする必要があると思うのです。規模の大小に関わらず、です。そんな大袈裟な、と言われようともです。

では、人々は、なぜ観に来るのか。なぜ私は観客として、舞台芸術を観に行くのか。時間を使っているのだから、そこにはたとえ意識下にのぼっていなくとも、何かしらの理由があるはずです。

なぜ自分は、サッカーを仕事にしようと思った時、「観客のいないサッカーには興味が全くない」と思ったのかと考えると、その理由に繋がっていく感覚があります。




福田恆存氏の『演劇入門』という著書には、このような記述があります。

人間のうちには、初めもなく終わりもない——というよりは偶然に始まり偶然に終る——実人生に対抗して、意識的な演出による完結し統一した一定時期をもちたいといふ要求があります。ひとびとは演戯したいのです。なにものかに操られてゐるだけではなく、たまには自分で自分を操りたいのです。そして実人生のうちにさういふ時期を人工的につくらうとします。

人が演劇でもサッカーでも、その場所に足を運ぶ理由の一つに、このような非日常性(始まりがあり終わりがあるもの、偶然ではなく故意的に始まり故意的に終わるもの)を求めているというのは、私には非常にしっくりきます。

私がサッカーのピッチで仕事をしている時に感じる喜びも、この非日常性にあります。サッカー以外の、人生の不安や悩み、気にかかっているもの、それら全てが外に追いやられ、その場に没入する感覚は、私にとって他では決して味わうことができないものです。そしてそれには「始まり」と「終わり」がある。それがきっと、安心感を与えてくれるのかもしれません。

諸君はなんのために劇場へ出かけるのか。個人の自覚を求めてでありませうか。さうではありますまい。ほんたうはその逆でありませう。劇場では個人的なもの、全体からの孤立、分離の感覚は消滅するのです——すくなくともそこに演劇といふことばに値するものがおこなはれてゐるならば。諸君は祭礼に参加してゐるのであります。共同の意識のまへに、個人的な我意を死なしめようといふのである。

またその非日常性は「個人的なもの、全体からの孤立、分離の感覚の消滅」を意味している。その場に足を運ぶことで、ある種共同体となり、一つのものに視線を向け、動向を見守り、同じことに感動し、「始まり」と「終わり」を経験する。それこそが、私がサッカーというゲームに魅了されている理由であり、また舞台芸術に思いを馳せる理由であると、思うのです。

そういった意味で、やはりサッカーも演劇も、観客がいなければ、観客が参加していなければ、完成しない芸術と言えるのかもしれません。



私が鎌倉インターナショナルFCというクラブでサッカーがしたいと思った大きな理由に、上記したような感覚があります。このクラブには、観客にサッカーを観て欲しいという欲求が、初めからありました。このクラブのプロジェクトには、鎌倉にグラウンドをつくること、そしてスタジアムをつくることが含まれていました。私はその一員になりたいと、強く思いました。

まだまだ舞台は小さいかもしれないし、“客席”は整っていないかもしれない。でもそこには、確かに“観客が参加している”。その時点でもう、僕らのサッカーは、「個人的なもの、全体からの孤立、分離の感覚を消滅」させる役割を担っている。同時に、ひとつにする力があると思うのです。

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Photo: Dan Imai


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Photo: Kotaro Matsuo


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Photo: Kazuki Okamoto


であれば、私たちは祭礼の作り手として、サッカーという「何か」に取り組まなければならない。大袈裟だよと、言われようとも。

近い将来、鎌倉に大きな、唯一無二のスタジアムができて、そこでは日本人も外国人も、男性も女性も、大人も子供も、あらゆるバックボーンを持った人々が一緒に非日常を味わっている。

『CLUB WITHOUT BORDERS』を体現するスタジアム。

私たちはそれを、『90分間でひとつする』ためにサッカーをしていくのだと思います。これから長い時間をかけて。





ぜひ、非日常へのご参加を。鎌倉で待っています。

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