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蹴球症候群

他分野を通してサッカーを解明し、サッカーを通して他分野を解明する
サッカー、またはサッカー以外の分野から日々何を学んでいて、何に気付いて、何に疑問をもち、どんな風に… もっと詳しく
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#サッカー

【記録.7】世界観とチューニング

1週間をどう過ごすかより、1年間をどう過ごすか、に興味があります。もっと言うと、1年間をどう過ごすかより、3年間をどう過ごすか、に興味があります。10年間の方が、興味があります。 「1年間だって、1週間の繰り返しではないか」と捉えることもできますし、その指摘は間違っていないのですが、しかし、やはり"時間の捉え方"は、歩み方、あるいは"歩み始め方"に大きな影響を与えます。 サッカーは、1シーズン(1年)毎に強制的に区切りがつけられます。しかし、それはあくまでも他者によってつ

『競争闘争理論』の執筆裏話あれこれ

回答:まず、本書の理論体系は21歳くらい(9年前)に8割くらいは出来上がっていて、自分がサッカーやスポーツに関して何かを主張するときは、『競争闘争理論』が根拠になっていました(今もです)。つまりSNSやメディアで何かまとまった主張をするとき、例えば反響があった「強いからかっこいいのか、かっこいいから強いのか——。 "弱い"と"ダサい"の因果関係」などは全然関係ないように見えますが、たどっていくと『競争闘争理論』から導かれたものだとわかります。 ただ、当時は理論体系を発表する

"観光客"と"純粋主義者"の真ん中に置けるFOOTBALL

これからのサッカーは、これからのスポーツは、どうあるべきか。そういったことを考えるようになってきました。日本に限らず、世界においても、それらの「在り方」のようなものが、良くも悪くも、少しずつ変化をしていっている(しなければならない)のだと思います。社会が変わっているからです。 本質的な歩みを進めていくためには、いままで固定されていた印象や、当たり前になってしまった価値観、議論すらされない常識を、(自分の中で)捨てなければならないことも、多くなることかと思います。 上で引用

『分野を横断する「越境性」と、ヒエラルキー間を往来する「超越性」』これからのスポーツに必要な人材とは——。

思えばヨーロッパに行くことで、サッカーの中に「ゲーム」と「カルチャー」を見出し、それまでサッカーを「ゲーム(競技スポーツ)」としか見ていなかった私は、突如その周辺に視野を広げるようになった。 その後アルゼンチンに行くことで、私はまた新たな視野を持った。サッカーの中に「チーム」と「クラブ」の2つを見たのである。それまで自分の中にあった「サッカーチーム」という単位は、それだけでは成立しない(「サッカークラブ」の中にある)分解要素であったことを突き付けられることになる。 こうい

「サッカーのコンセプトメイクについて多分誰も気が付いていないこと」(全文公開)

いったい私は何をしているのか、が定義できないと自分でも仕事がしづらいし、協力して他者と働くことも難しいということに気付いてはいるし、たぶん、どうやら今までに誰もやったことのないことをしようとしている、あるいは何かを再定義しようとしているっぽいので、自分でつくんないといけません。 そもそも私はサッカー監督になるための勉強をしてきて、そしてそのためにサッカーというものを学んできたわけですが、ただその道中で、既存のサッカー監督像や仕事の仕方、社会での立ち位置、サッカークラブ内での

私たちはどういうサッカープレイヤーを育てるべきか——。致命傷になり得る5つの能力

育成世代におけるメソッドのようなものは世に溢れていますし、欧州や南米で構築されたものをそのままコピーする(しているつもりになる)ことも多いと思います。 私が思うに、そのほとんどが、タクティカルな部分、テクニカルな部分、あるいはフィジカルな部分の習得に重きが置かれていると思うのですが、それだと具体度が高すぎます。〇〇メソッドと名が付けられているもののほとんどがそうです。 私の考えでは、あるひとつの哲学やスタイルを子供たちに習得させることによってではなく、"サッカーというゲー

『若者のサッカーに対する興味関心を語る時の、圧倒的な勘違い』について

まず、若者の、あるいは、若者でなくとも、「サッカーへの関心」や「興味」というものは、「長い時間をかけてつくられて、長い時間をかけて失われていくものではない」と私は思うのです。そこを勘違いしてしまっては、いけないと思うのです。 そもそも「サッカー」というコンテンツは、西洋由来のもので、日本においてその存在を確かに持ち始めたのは、ここ30年の話です。Jリーグという人為的かつ戦略的に作られたコンテンツがきっかけでした。 それなのに、私たちは、どの領域に関してもサッカーを語るとき

ブラックボックスを省くな。

生きているだけで、人間は何かを入力し、出力し続けます。しかしある意味で自然に反して、意識的に入力し、その結果としての出力に期待をする場合があります。意識的に机に向かって勉強をするとき、などがその好例と言えるでしょう。もっと広く言えば、「学習」をするとき、あるいは何かしらの「向上」を求めるとき、私たちは「入力」と「出力」の関係を暴こうとします。 『このように「入力」したから「出力」がこうなった』と整理することができれば、また同じように「入力」をすることによって、期待している「

「〇〇だけ」では足りないのがフットボールというゲームであるのだから…

最近読んだサッカーに関するWeb記事、それぞれおもしろいので、ぜひ読んでみてください。全記事に共通する感想を最後に。 A lot of time, effort and resources go into our recruitment. My background is in talent development – my first 20 years in coaching was as a talent developer. My assistant, Brian R

『サッカーはプレイヤーのゲームだ。コーチのゲームではない。』

ここ最近でいちばん好きだったインタビュー記事。自分の職業について、自分の思想について、人生について、考えてしまいます。でも勢い余って進んでいくより、私は自分のことや今起こっていることに疑いを持ちながら進んでいくのが、合っているのかもしれない。 From the outside Potter may cut an implacable, unflappable sort of figure. But as with everyone there are flaws in th

サッカー観とトレーニングメソッドに共通する「多様性」の概念

自然が好きです。ただ、New Yorkの夜の街並みを思い出すと、これもまた異常な美しさを感じるのです。生きていると、全く意識していないタイミングで、大切なことに気が付くことがあります。これまで蓄積していた「点」が一本の「線」で繋がる瞬間は、意図せず訪れるのかもしれません。コントロールできないとも言えます。 New York, 2018 最近は、生きる環境が一気に変わったからか、あらゆることに気が付くようになりました。そういえば、日本からアルゼンチンに渡った1年目も、そうだ

「認知特性」をサッカーに応用するには

先日Forbesをなんとなく寝る前に読んでいたら「認知特性」というフレーズがコラムの中で出てきて、興味を持った。そのような、それぞれの人間によって視覚的な認知が強い人や、あるいは言葉による認知傾向が強い人、そういう類のものがあるのだろうとは思っていたけど、ふと出会って興味を持つと学びの意欲があらわれる。さっそくamazonでポチってみると、どうやら「認知特性」に関しては細かく研究がされているようである。

Xaviは偶然か必然か——。サッカークラブの基盤と採用

昔読んだ本が今になって価値を出してくることは、ままある。自分の経験値や知的レベルが追いついていなかった場合もあるし、あるいは興味のあるトピックや従事している事柄などの違いから、当時と現在では違う効用を示している可能性もある。私にとって『ゴールは偶然の産物ではない FCバルセロナ流世界最強マネジメント』は、まさにその一例であろう。本書を読んだのは10年も前の話だが、今まさに読むべきものだと感じている。 現在私は、監督という立場でありつつ、これから先の未来があるサッカークラブの

ドイツのゲーム文化発展過程から学ぶ『フットボールの発展に必要な5つの要素』

ユーロゲームもしくはドイツゲームとは、1990年代中盤から現在までに発売され、世界的な人気を獲得した独特のテーブルゲーム群。 狭義にはドイツを中心とするユーロ圏で作られるボードゲームを指すが、2010年代以降その枠にはとどまらなくなりつつある。weblio辞書より ユーロゲームのデザインや文化、歴史、プレイについて書かれた『ユーロゲーム ——現在欧州ボードゲームにデザイン・文化・プレイ』には、「ゲーム」という点で言えば同じ分類に属し、また多くの類似性を持つ「フットボール」を