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蹴球症候群

他分野を通してサッカーを解明し、サッカーを通して他分野を解明する
サッカー、またはサッカー以外の分野から日々何を学んでいて、何に気付いて、何に疑問をもち、どんな風に… もっと詳しく
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2020年9月の記事一覧

難しい舞台を観たときと、難しいフットボールを観たときは、何が違うのか

難しい映画を観た時や、難しい小説を読んだとき、難しい絵を観た時、難しい舞台を観た時、つまり何かしらの芸術作品に触れたときに「自分にはまだ難しい」と思う場合がある。「わからない」という点では「つまらない」と似ているが、実際両者には明らかな違いがあるように思う。というより、異なる感覚を確かに覚える。おそらくそれは、事後に「何が自分にわからなかったのかを知りたい」と思うか、思わないか、の差ではないだろうか。 そういうとき自分は、まず一旦己で考えてみる。確かに感じている何かを言葉に

マルセロ・ビエルサと僕の狂気 『籠る』

『世の中が"教えたがり"になったとき』 教えることはAIに出来るが、アドバイスは人にしか出来ない

いまの世の中、オンラインサロンやYouTube、その他SNSのプラットフォームを通じて、「誰かが誰かに何かを教えている様子」を見ない日はありません。過去の世界では「誰かに何かを教える」というのは、ある種限られた人たちの特権だったわけですが、いまでは誰もが「教える」という行為を、不特定多数の人に実施することができるようになりました。いいことなのか、悪いことなのか。その周辺について考察してみたいと思います。 ・・・ 教えられること世の中には大きく分けて、教えられるのが嫌いな人

チャンピオンズリーグ決勝を戦った男の講義を受けて——。

先日、アルゼンチン人で元トッテナム監督ポチェッティーノの講義を受け、感じたことを記録しておかなければいけない気がしているので、忘れないうちに書いておこうと思います。 ・・・ ポチェッティーノといえば、僕が「個人的に好きな監督は誰ですか」と聞かれたときに必ずいれる監督のうちのひとりです。そんな彼から直接話を聞ける日が来るなんて思ってもいなかったので、本当に幸せな体験でした。講義はオンラインで行われ、出席者は500人弱。アルゼンチン在住の指導者やサッカー関係者がオンライン上に

あのときとおなじ

あのときとおなじことが、起きている。