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第17話 | 朱印


きっかけは約1年ぶりに会った友人と共に歩いた明治神宮でのこと。

御朱印帳買うねん
と、そういった。

彼は新しく車を買い、そこに乗せておいて各地をドライブした時にその先で訪れた神社仏閣の朱印をいただきたいようだった。

私も、その時流れで買ったのだが
これがかなり良かった。

「次また会うときに見せ合おうな」
と、約束をしたのだがなんとまあ粋で日本男児としての高貴な遊びというか
ともかくかなり気が高揚した。

友人は関西圏に住んでいるので、共に行くことは叶わずとも巡る中で今もこうして
彼も離れた地で朱印を集めているのだろうかと
こう思いを馳せる時間がたまらなく心地の良いものだった。

いざ、興味を持って神社仏閣について調べを進めると
かなりの発見があった。

まず神社と寺院の違いから始まり、神様や多岐にわたる宗派の存在。
そして何よりも驚いたのは日本における神社仏閣の数の多さ。

夥しい数の神社仏閣がこの日本には存在する。

各地大小関わらず、土地を見守る土地神様や仏様がおられそれらを祀る社がある。

興味を持ち始めて間もない自分はひとまず神社に重きを置いて巡ることとした。

すると初めに参拝した「明治神宮」とは東京五社と呼ばれる由緒正しき神社で、また東京十社と呼ばれる23区を見守る大きな神社があるのでそこから巡りはじめた。

実際、足を運ぶと各地の東京の歴史であったり土地の由来、神聖な空気、喧騒の中に佇む神社の静謐さに心安らぎ非常に有意義な時間となった。

仕事柄、早起きには慣れているので早朝から各地をまわりたくさん集めることができた。

実際2週間のうちに二度の参拝で十三社巡ることができた。
以下に詳細を。  

1回目
芝増上寺
芝大神宮
日枝神社
靖國神社
東京大神宮

2回目
王子神社
寛永寺
上野東照宮
根津神社
白山神社
神田神社
湯島天満宮
浅草寺

と、自分でも驚きのペースであるが
ここで一度目の巡った日におきた奇跡について綴ろうと思う。

東京は赤坂にある日枝神社を訪れた際のこと
鳥居を抜け、参拝し境内もたくさん見て周りさあ御朱印をいただいて次に参ろうかと朱印を待っている時のこと
自分の前に50手前くらいに思える夫婦がいた。
その夫婦は奥様の方が大層立派な御朱印帳を手にし、まっているのだった。
そのまま御朱印をいただき彼らが参拝を終え境内の外側へ出て行った。
私も当然御朱印をいただき出て行った。

その頃時刻は11:15くらいで次に向かうは靖国神社であったのでそれまでに蕎麦で腹ごしらえをする予定だった。
九段南にある大川やという蕎麦屋で済ませ、靖國さんへと向かった。

また同じように鳥居をくぐり参拝をし、立派な桜や戦地の石などを見て周り朱印所に至った。
初穂料を納めて待っていると、なんと先ほどの夫婦が御朱印を受け取りに来たのだ。

東京五社巡で御朱印も人気があるとはいえ、お昼の時間も挟み赤坂から九段とかなりの距離を超えてまた御朱印待ちの時間でバッタリなんてことがあるだろうか。

しかし、あちらは気づいていなさそうだったので御朱印を受け取りその場を後にした。
その日最後の予定の東京大神宮まで歩みを進め「東京のお伊勢さん」とも呼ばれる場所で参拝をし、最後に御朱印をいただいた。
そこで待っているとなんと、先にその夫婦がベンチに座っていたのだ。

こんな偶然があるだろうか。
テーマパークや水族館など限られた場所で二度見かけるなどはたまにあるが、この東京という人も名所もたくさんある場所で三度も見かけるとは。

我慢ならずに声が出ていた。
「朝、日枝神社で参拝されていませんでしたか?」
すると奥様が

「やっぱりそうですよね!」
と、向こうも認知していたのだ。

その時ちょうど○番さんと御朱印の完成を知らせる声がかかったので会話はそこで終わってしまったのだが、こんな縁があるのだろうかと
長く余韻に浸る出来事であった。

朱印を通して人と人とが結ばれる。
そんな話であった。

さて、二度目の参拝の際にハッと気付かされたことなのだが
それは最後浅草寺で参拝した後のことである。

御朱印をいただき、御朱印帳を開いた際にいつも書きたての朱印が反対側の頁に染みつかないように小さな半紙が挟まれる。
浅草寺の半紙には御朱印についてという小さな書き置きがされていた。

そこに書いてあることを読んだ時のこと。
『朱印についての本義を描いたのちに、ーこのような本義から申しますと、お経も書社せず、あるいはお堂に入ってお参りもしないで、ただ御朱印だけを集めて歩くということでは、本来の尊い意義を無視してしまうことになり、あるべき姿から離れてしまいます。少なくとも書写なさるか、ご宝前で読誦されるなどして、そのあとに御朱印をお受けになるようにしていただきたいものです。』

とあった。
無論、写経や読誦はしていないものの境内は全て周り土地神様へのあいさつは行っていた。
しかし、たくさん集めたいというコレクターの心と、少しばかりの友人への競争心が現れていたのかもしれないと考えを改めることとした。

参拝で本殿の前で手を合わせているときはやはり気持ちのなかで、何か不思議な感覚に陥り心があらわれるそんな気分になる。

感謝とこれからの発展を見守りくださいと伝えるときは安らいだ気持ちでいられ一種のホッとした安堵のようなものを得られる。

ひとまず東京五社、十社を巡り次は関東全域にわたって少しづつ集めてゆけたらなと願っている。
昼に食べる蕎麦も含めて。

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