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日々の旋律:自分史(4)

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高校時代の思い出

高校入学と写真部

中学校を卒業して、ついに高校生になりました。父親のコネで入学したこの学校は学力が高すぎて、勉強についていくのがやっとでした。自分の希望ではなく、親の期待という重荷を背負うことになりました。

高校に入って最初に所属したのが写真部です。地味な活動ばかりでしたが、実家にもともとあった一眼レフの古いカメラを手に、白黒写真を自分で焼いたりする経験をしました。夏休みの合宿で伊豆七島のある島へ行き、日の出の瞬間や波打ち際の景色、自然の風景をカメラに収めました。部員たちと夜遅くまでバカ話ばかりしていたのが懐かしいです。文化祭では写真展も開かれましたが、私の作品はそれほど評価されませんでした。それでもカメラを通じて見る世界は新鮮で、少しだけ心が弾んだのを覚えています。

バンド活動と音楽

私はずっと忌野清志郎さんが率いるRCサクセションに夢中でした。中学3年の時に初めてアルバムを買い、その音楽に魅了され続けていました。高校3年生になると、世はバンドブームでした。BOØWYやTHE BLUE HEARTSなどが流行り、友達に誘われてバンドを組むことにしました。ギターを担当することになりましたが、最初は指が痛くてたまりませんでした。月に何度かスタジオに集まり、RCサクセションのカバー曲やオリジナル曲を練習しました。最初はコードを押さえるのも難しかったですが、次第に演奏が楽しくなり、バンドメンバーとの絆も深まりました。一度だけライブを行い、その時間は本当に楽しかったです。

家族との関係と父親の影響

父親は大学の教員で、そのおかげで学費が半分になるなど、様々なメリットがありました。父の期待もあり、大学進学時には法学部法律学科を選びました。実は文学部に行きたかったのですが、「文学じゃ食っていけない」と反対され、仕方なく法学部に進むことになりました。

高校時代、父親との関係は相変わらず複雑でした。父親は飲んで家で暴れ、家族に厳しく接することが多かったです。そして、3歳年上の兄が両親に腹を立てて家庭内暴力を振るうこともありました。家の中が暗くなり、そんな時は地元の友達の家に遊びに行っていました。このような家庭環境は私に大きな影響を与えました。大人になってから、私も父親と同じようにお酒に逃げるようになってしまいました。

青春18きっぷの旅

高校1年の夏休みに、青春18きっぷを使って東京から北海道まで旅をしました。青函連絡船で海を渡り、札幌まで行きました。帰りはブルートレインに乗って帰ってきました。この旅は、私にとって自由と冒険の象徴でした。カメラを手に風景を撮影し、電車の中で見知らぬ人々との会話を楽しみました。それも楽しい旅でした。

原付免許とバイク

16歳の時、原付免許を取得し、友達から安くヤマハのジョグというスクーターを購入しました。これで通学や友達と遊びに行くのが一段と楽になりました。自由に走り回ることができるスクーターは、私にとって新たな冒険の手段となりました。その後、中型免許を取得し、ヤマハのRZRに乗るようになりました。これで奥多摩へ一人で行ったり、友達とのツーリングを楽しむことができました。

高校時代を振り返って

高校時代は、自分を見つけるための試行錯誤の時期でした。写真部やバンド活動を通じて、自分の興味や情熱を見つけることができました。勉強はとても大変で、特に高校3年のときは国語だけが得意でした。また、家庭環境の中での葛藤や父親との関係も、私にとって大きな影響を与えました。日々の小さな出来事が、私を成長させ、今の私を形作っています。

つづく

次回は、大学時代の思い出についてお話しします。

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